2019年9月12日 更新

史上最高の天才!フォンノイマンの逸話や偉業!宇宙人や悪魔との噂

天才アインシュタインが「天才だ」と認めたのが、IQが300以上で、現代のコンピューターの基礎を作り、原子爆弾の開発を目的として『安定性解析』をつくるなど、数々の逸話を残したのがジョン・フォン・ノイマンです。彼の最期はどのようなものだったのでしょうか?

目次

ジョン・フォン・ノイマンは、様々な分野において「数学を応用した理論」を発表しましたが、中でも「量子力学の部門」で発表された「量子力学の数学的基礎」は1930年代最高の発見と言われています。

ジョン・フォン・ノイマンの天才を示す極めつけのエピソードがあります。ある日、プリンストン大学の数学者が3ヶ月の苦心の末にある問題が解けて狂喜乱舞したそうです。その数学者は、ジョン・フォン・ノイマンに聞いてもらおうと彼の家へ飛んで行き、扉が開くとすぐに問題の説明を始めたそうです。

すると、ジョン・フォン・ノイマンは紙も鉛筆も使わず、数分ほど考え「君の言いたい結論は〇〇かい?」と答えたため、この数学者は、愕然とし長い間立ち直れなくなったそうです。そもそも、プリンストン大学の数学科の教授になること自体が大変なのに驚愕のエピソードです。

物理学

Mathematics Formula Physics - Free image on Pixabay (614060)

物理学では、一般相対性理論と共に現代物理学の根幹を成す理論として知られ、主に「分子や原子や、それを構成する電子などの、微視的な物理現象を記述する力学」=『量子力学(quantum mechanics)』を形式的に完成させました。

この完成により、量子力学で扱う物理量や状態といった概念を基礎付け=形式化し、1932年にそれを刊行した論文・書籍のタイトルにもなる『量子力学の数学的基礎』でも知られるという万能型の天才でした。

気象学

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ジョン・フォン・ノイマンは、アメリカの気象学者・海洋学者『ジュール・グレゴリー・チャーニー』や『フョルトフト』と共に、地球上における気体・液体などの流体の運動を、流体力学・熱力学などに基づいて論じる『理論物理学』『地球物理学』の一分野でもある『気象力学』の天才の一人です。

『気象学』や『気象予報』に、微分方程式などの「数学の言葉で記述した系」の時間変化する現象の計測可能な主要な指標の動きを模倣した『数理モデル』とコンピュータを使う斬新な手法を持ち込み、数値予報し、天気を操るアイディアも提案していました。

経済学

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ジョン・フォン・ノイマンは、国民経済・世界経済の経済成長についての動態・要因の分析・説明を行う『経済成長理論』へ貢献し、『生産システム概念』の導入し、オランダの数学者『ブラウワー』が発明した「数学で写像により自分自身に写される点」=『不動点定理』を使い均衡の存在を証明しました。

最も大きな貢献としては、ゲーム理論の本格的な幕開けとされ、現代では応用されることで『経済学ではミクロ経済学』『マクロ経済学』と並ぶ重要な分野として確立された『経済学にゲーム理論』を、経済学者『オスカー・モルゲンシュテルン』と共に持ち込んだことが挙げられます。

フォンノイマンの安定性解析とは?

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数値解析において、線形偏微分方程式を有限差分法で解く際の数値的安定性を調べるのに使われる手法が『フォン・ノイマンの安定性解析(Von Neumann stability analysis)』とされました。

まず1947年、数値的誤差のフーリエ展開に基づいて、偏微分方程式の数値解法に関する研究で最もよく知られていた数理物理学者『ジョン・クランク』と、ジョン・クランクとともにクランク・ニコルソン法の研究で最も有名な英国の数学者であった『フィリス・ニコルソン』により簡潔に述べられました。

その後、ジョン・フォン・ノイマンと共に、マンハッタン計画の中で原子爆弾の開発を目的として創設されたアメリカの国立研究機関である『ロスアラモス国立研究所』により厳密に取り扱われ発展しました。

核兵器開発にも携わる

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1930年代、ユダヤ人の家系であるノイマン一家は、命に危険を及ぼす『ナチス政権』を避け、アメリカ合衆国に移住します。

ジョン・フォン・ノイマンは、本名『ヤーノシュ』から、アメリカ風の『ジョン』という名前に変え、苗字は『フォン・ノイマン(von Neumann)』という貴族風のものに変えられ、彼の兄弟たちは『Vonneumann』と『ニューマン(Newman)』という異なった苗字に変えられました。

1930年、アメリカの『プリンストン高等研究所』に所員として招かれ、数学の教授を務めていましたが、1937年に応用数学を研究し始め「ドイツとの戦争には数値解析が必要である」と考え、アメリカ合衆国陸軍に自ら志願し不採用になりましたが、程なくして爆発物の分野での第一人者となりました。

アメリカ合衆国海軍のコンサルティング

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ジョン・フォン・ノイマンの父親が「数学よりも金になる学問をつけさせたい」と3つの大学を掛け持ちして学ばせようと相談した『セオドア・フォン・カルマン』は、航空工学の基礎を築き「航空工学の父」と称され、1930年、カリフォルニア工科大学に移り『弾道研究所』の責任者をしていました。

セオドア・フォン・カルマンは、ジョン・フォン・ノイマンの天才をより天才に導いた本人であり、ジョン・フォン・ノイマンが応用数学の領域に進むのを阻止したかったそうです。

しかし、ジョン・フォン・ノイマンは、アメリカ合衆国海軍でコンサルティングの仕事をし「大きな爆弾による被害は、爆弾が地上に落ちる前に爆発したときの方が大きくなる」という業績を上げました。

日本への原爆投下にも関係

Atomic Bomb Nuclear Weapons - Free photo on Pixabay (614066)

ジョン・フォン・ノイマンによる「大きな爆弾による被害は、爆弾が地上に落ちる前に爆発したときの方が大きくなる」という理論は、広島と長崎に落とされた原子爆弾にも利用されました。

しかし、ジョン・フォン・ノイマンは、日本に対して原爆投下の目標地点を選定する際に「日本国民が深い文化的意義を持つ京都を殲滅すべきだ」と京都への投下を進言していたのです。

アメリカ合衆国による、原子爆弾開発のための「マンハッタン計画」に参加し、長崎に投下されたプルトニウム型原子爆弾ファット・マンのための爆縮レンズの開発を担当し、1940年代に爆轟波面の構造に関するZND理論を確立し、爆薬を32面体に配置することで原子爆弾が実現できることを示しました。

フォンノイマンの生い立ち

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ジョン・フォン・ノイマン一家は、ハンガリーに移住した裕福なユダヤ系のドイツ人一家でした。『フォン・ノイマン(von Neumann)』という名前は、1913年に父親が「オーストリアのユンカーに相当する位」の貴族の称号をお金で購入したものです。

ジョン・フォン・ノイマンの名前は『ノイマン・ヤーノシュ』でしたが『フォン・ノイマン・ヤーノシュ』に変わり、さらにドイツ語で『ヨハン・フォン・ノイマン(Johann von Neumann)』に変わり、さらにアメリカで『ジョン・フォン・ノイマン』に変わったのです。

ここではジョン・フォン・ノイマンフォンの生い立ちについて詳しく解説していきます。

幼い頃からの英才教育

Brothers Boys Boy - Free photo on Pixabay (614068)

ジョン・フォン・ノイマンは、1903年、ハンガリーの首都『ブダペスト』にて、銀行の弁護士『ノイマン・ミクシャ(英名:マックス・ノイマン)』の父と、共にハンガリーに移住したユダヤ系ドイツ人であった母『カン・マルギット(英名:マーガレット・カン)』の間に、名はヤーノシュ(愛称はヤーンチ)として生まれました。

3人兄弟の長男として生まれたヤノーシュは、幼少期の頃から英才教育を受けており、ラテン語とギリシャ語の才能を見せ、父親と古典ギリシャ語を用いてジョークを言い合ったそうです。英語・フランス語・ドイツ語・ラテン語も堪能でした。

勉強以外では成果を得ず

Girl Boys Children - Free photo on Pixabay (614070)

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