2019年9月12日 更新

史上最高の天才!フォンノイマンの逸話や偉業!宇宙人や悪魔との噂

天才アインシュタインが「天才だ」と認めたのが、IQが300以上で、現代のコンピューターの基礎を作り、原子爆弾の開発を目的として『安定性解析』をつくるなど、数々の逸話を残したのがジョン・フォン・ノイマンです。彼の最期はどのようなものだったのでしょうか?

目次

ジョン・フォン・ノイマンが6歳の時には、7桁から8桁の掛け算や割り算をを筆算で行い始め、暗算で行なうこともできるようになったと言われています。

8桁の数字とは1000万桁の数字です!大人でもそんな人はいないでしょうが、子供のジョン・フォン・ノイマンはいとも簡単に頭の中で掛けたり割ったりの計算できたそうです。

一日4時間の睡眠時間以外は、常にコンピューター並の思考速度で何かを考えているような子供で、一度見聞きしたら決して忘れないという特殊な記憶力を持っていました。

8歳で微積分法をものにした

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微分積分学を知っていたり覚えている大人も少ないのではないでしょうか?ましてや、8歳の時にこのような学問があるということを知っていることだけでも驚きなのに、理解できてマスターできたジョン・フォン・ノイマンはまさに天才としか言いようがありません。

微分とは「ある関数のある点での接線や、接平面を考える演算」です。積分とは「幾何学的に、曲線や曲面と座標軸とに挟まれた領域の面積や体積を求めること」です。

微分と積分は、まったく別の概念を持ちますが密接な関連性があり、微分は「傾き」を、積分は「面積」を表します。数学の分野の一つで「解析学の基本的な部分を形成する」ものです。

12歳で関数論を読破

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ここまでご覧になり、すでに頭がクラクラしている方は少なくないと思うのですが、ジョン・フォン・ノイマンはさらに12歳で『関数論』を読破していました。関数論とは、理工系の大学生が1、2年次に学ぶ数学なので、言葉自体聞いたことがない方もいるでしょう。

高校時代に「算数の延長」である数学が得意でも、完全に理解できる者は少ないでしょう。さらに、関数論となると、内容は抽象的な「本格的な数学の第一歩」であり、頭の回転では対処できるシロモノではありません。

数学のある一つの問題の研究中において変化しうる量を表す x ・ y ・ z などで示される文字を『変数』と言います。a、bを実数、iを虚数単位とするとき、a+biの形で表される数を『複素数』と言います。変数を複素数にまで広げて研究する解析学の一つが『関数論』で『複素関数論』とも呼ばれます。

44巻本の歴史書を暗記

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電話帳を丸暗記して名前と住所と電話番号を言い当てる遊びをしていたジョン・フォン・ノイマンは、同じように44巻の歴史書や世界史も「完全に暗記する遊び」をしていたそうです。

このような遊び方ができる人自体がいないので、このような遊びをを知っている人自体が少ないはずなのです。好きな絵本のセリフを丸暗記するのとは訳が違います。大人でもこのような遊びを楽しくできる人などいないでしょう。

ジョン・フォン・ノイマンは、一度見たり聞いたりしたものは絶対に忘れない子供だからできた遊びです。

18歳でエトヴェシュ賞を受賞

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1914年、ジョン・フォン・ノイマンは、アウグスト信仰の『福音学校』へ入学しました。

ドイツおよびその近隣諸国のヨーロッパで、10〜19歳の大学進学を前提とした中等教育機関である『ギムナジウム(Gymnasium)』時代の17歳の時には、最初の数学論文「ある種の最小多項式の零点と超越直径について」を、数学者『フェケテ』と共同で書き、1922年にドイツ数学会雑誌に掲載されました。

1921年6月、ブダペスト大学 の大学院に受験する際には、習字・体育・音楽以外の科目で『福音学校』を首席で卒業し、さらにエトヴェシュ賞にも合格しました。

3つの大学を掛け持ち

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1921~1926年、ジョン・フォン・ノイマンは『ブダペスト大学(Eötvös Loránd Tudományegyetem)』の大学院で『数学』を学びますが、裕福なユダヤ人の家庭では「お金を稼ぐことこそが天国への道へ近づける」と考えるのが普通です。

そこで、ジョン・フォン・ノイマンの父親は「数学よりも金になる学問をつけさせたい」と望み、友人のハンガリーの航空工学者で「航空工学の父」とも称される『セオドア・フォン・カルマン』に相談しました。

そして、ジョン・フォン・ノイマンを『ベルリン大学』と『チューリッヒ工科大学』も掛け持ちして『化学工学 (chemical engineering)』 を学ばせることにしました。

23歳で3つの博士号を取得

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ジョン・フォン・ノイマンは、授業を欠席しても試験では非常に優秀な成績をたたきだし、23歳で数学・物理・化学の博士号を授与されました。

『博士号』とは「研究者へのパスポート」と言われ、普通は、4年生大学、2年の大学院修士課程を修了後、3年の博士課程に進み、審査で「自らの研究をまとめた博士論文」が合格すると与えられるものです。

3つの大学を掛け持ちしていたジョン・フォン・ノイマンが、たったの23歳で数学・物理・化学の博士号を授与されることがいかにクレージーであったかを理解することができます。

ENIACとの計算勝負に勝利

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第二次世界大戦中、アメリカ陸軍の支出でアメリカ陸軍の弾道研究所により、砲撃射表の計算を第一の目的として設計されたのが『ENIAC(エニアック、Electronic Numerical Integrator and Computer)』という世界で初めてつくられた電子計算機です。

『ENIAC』は、電子式でデジタル式で、プログラム内蔵方式とするプログラムのためのメモリはごくわずかで、パッチパネルによるプログラミングは煩雑で、専用計算機ではなく広範囲の計算問題を解くことができました。

ジョン・フォン・ノイマンは、なんと『ENIAC』という世界で初めてつくられた電子計算機と、計算の速さを競い勝利し「俺の次に計算の早い奴が出来た」と喜んだそうです。

興味がないことには無関心

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ジョン・フォン・ノイマンは、興味のある物事に対して「一度見たり聞いたりしたものは忘れない」という恐るべき能力や、驚異的な計算能力や思考などから「悪魔の頭脳」「火星人」「1000分の1インチの精度で噛み合う歯車を持った完璧な機械」などと評されていました。

しかし、興味がないことには全くの無関心という一面も持ち合わせており「何十年も居住している家の棚の食器の位置すを覚えることはなかった」「1日前に会った人物の名前すら思い浮かばなかった」というエピソードも残しています。

フォンノイマンの残した数々の偉業

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ここまで、ジョン・フォン・ノイマンの天才ぶりを解説してきましたが、彼の残した主な偉業は、まだまだここから始まります。

悪名高いナチスドイツの『アドルフ・ヒトラー』など、普通のゲルマン民族たちが怖れたのは、このような裕福なユダヤ人だったのです。未だに差別意識を強く持たれているユダヤ人は「恐れられている」と言っても過言ではないのです。

ここでは、私たちが今まで持っている『天才』の概念を打ち砕くようなジョン・フォン・ノイマンの天才ぶりを、それぞれに分けてご紹介していきます。

数学

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