2019年10月5日 更新

物部天獄とは?リョウメンスクナの都市伝説や東日本大震災との関係も

真言立川流以上の邪教を作り、リョウメンスクナという呪仏を作り出したという物部天獄は果たして実在した人物だったのでしょうか?この記事では物部天獄やリョウメンスクナを紹介していき、邪教とされる天魁教や、東日本大震災との関係についても検証していきます。

物部天獄ってなに?

Man Smoke Fog - Free image on Pixabay (685945)

人類の歴史において、宗教というものは古くから存在しており、世界中で生まれたそれは、多くの人々の心の拠り所となってきました。その形は違えど人々は神や仏といったものに祈ることで救いを求めてきたのです。

しかし、時に人はこの人知を超えた存在に、憎しみや怒りといった負の感情を以て祈ることがあります。古来より、その邪悪な祈りは呪いという力となって、標的となった人物を襲うと考えられてきました。

そして、この記事で紹介する物部天獄という男も、リョウメンスクナという存在を媒介にして呪いの力を使ったとされる人物でした。

物部天獄は都市伝説中の人物

Fantasy Spirit Nightmare - Free photo on Pixabay (685942)

近年、ネット上でリョウメンスクナという謎の言葉と共にその名前がたびたび見受けられる物部天獄という名前。呪いなどという異常なものを扱う存在だったともされているこの物部天獄という男は、いったいどのような人物だったのでしょうか?

ここでは、この話の中心人物ともなる物部天獄という男が、どういったことをしていた人物で、どの時代に生きていたのか、また、この物部天獄という名前に関することなども見ていきたいと思います。

リョウメンスクナの登場人物

Raven Crow Night - Free image on Pixabay (685946)

物部天獄とは、無料掲示板サイト「2ちゃんねる」に書き込まれた「リョウメンスクナ」という怪談に登場する人物です。この「リョウメンスクナ」の話においては、物語の根幹に関わってくるほどの重要人物なのですが、物部天獄についてはあまり多くは語られておらず、一言で言って「謎の人物」です。

この物部という苗字は、日本史上において、かなり古くから存在していたようで、6世紀頃には既に現在の大阪近辺の地方豪族として名前が出てきます。

明治後期〜大正時代に生存

Buddha Statue Japan - Free photo on Pixabay (685954)

物部天獄は明治時代から大正時代にかけて生きていた人物とされています。明治時代から始まった文明開化の波に乗って、西洋文化が大量に入り込んだことで、日本の科学技術はこの頃に大きく進歩することになります。

しかし、明治時代は日清戦争や日露戦争など対外的な情勢不安による混乱も多く、大正時代には桜島の噴火や関東大震災などの天災が頻発。物部天獄が生きたこの時代は、近代化の波の中で日本全土が大きな混乱にあった時代と言えるでしょう。

とあるカルト教団の教祖

Man Hinduism Holy - Free photo on Pixabay (685968)

物部天獄はとあるカルト教団の教祖であったとされています。決して歴史の表舞台に立つことはないであろうほどの本格的な密教であったと言われ、具体的な教団名や教義など、その大部分が不明となっていますが、人道に背くことばかりを繰り返す邪教であったといいます。

物部天獄についての生い立ちなども一切が不明であるため、どういった経緯で天獄がこのカルト教団の教祖となったかは分かりませんが、世界的に見てもカルト教団の教祖はカリスマ性を持っていることが多く、この物部天獄という人物も強いカリスマ性を持っていた可能性は十分考えられるでしょう。

本当の名前ではない

Beijing Opera Mask China - Free photo on Pixabay (686056)

当然のことですが、この物部天獄という名前は本名ではありません。先にも書きましたように、物部という姓に関しては古くからあるもので、現在も岡山県や京都府など西日本を中心に1800世帯ほどある苗字ですので、姓に関しては本名である可能性があります。

しかし下の名前は時代が違うと言えども、まず付けない名前でしょう。天国と地獄を混ぜたかのようなこの言葉は一般的に使われるものではないため、教団特有の造語か何かだと考えられます。

リョウメンスクナ

Skull Butterfly Beetle - Free photo on Pixabay (686086)

物部天獄と共に都市伝説的に語られていることから、その存在はあくまで創作であって、眉唾なものであるようにも思えるリョウメンスクナという存在。

しかし、実際にこれを祀る地域があることや、歴史的な背景も存在していることから、あながちその全てが偽りの存在であるとも言い切れない部分があります。

ここでは、このリョウメンスクナという存在がいったいどういったものなのか、また岐阜県各地に伝わるリョウメンスクナに関する伝説も紹介していきます。

異形の人の鬼神

Buddha Statue Japan - Free photo on Pixabay (685957)

このリョウメンスクナは漢字で「両面宿儺」と書き、いくつかの書物や伝承に登場します。主な言い伝えでは、仁徳天皇の時代において飛騨の地に現れたとされる異形の人、もしくは鬼神として描かれることが多いようです。

奈良時代に書かれた日本最古の歴史書『日本書紀』においては、仁徳天皇の使者である武振熊命という人物によって討たれた凶賊であるとされている一方、岐阜県に伝わる伝承においては毒龍退治や寺院の開祖となった英雄のような扱いをされています。

8本の手足と2つの顔

Carnival Monster Mask - Free photo on Pixabay (685973)

異形の姿で描かれるこのリョウメンスクナについて、『日本書記』では、「1つの胴体に2つの顔があり、それぞれが反対側を向いている。後頭部はくっついていてうなじが無く、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるが、ひかがみと踵がない」とされています。

『日本書紀』においては、天皇の命に従わず、人々から略奪を繰り返していたために討伐されたという伝承で描かれていますが、これはあくまで朝廷側から見たリョウメンスクナ像であり、逆を言えば、飛騨地域に侵略してきた朝廷を迎え撃った人物であると捉えることもできます。

スクナ族とラマ

Meditation Buddhism Monk - Free photo on Pixabay (685966)

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