2019年7月31日 更新

ファティマ第三の予言の内容とは?予言の真実や秘密になった理由は?

ファティマ第三の予言をみなさんは知っていますか。ファティマ第三の予言は2005年に公開されたもので、その内容には疑問が多く残っているものです。今回はファティマ第三の予言の内容や左手に火の剣をもった天使の真相、日本で起きた出来事について紹介していきます。

第三の予言は1960年に発表する予定でした。これは聖母マリアから1960年までは公開してはいけないと指示を受けていたためです。

そして1960年を迎えても第三の予言が公表されることはありませんでした。そして2000年についに公表されたのです。

第一と第二の予言が的中したこともあり、人々は第三の予言を公表してほしいという思いは強かったようです。しかし1960年の公表は見送られました。

なぜ1960年に公表を見送ったのかは明確に理由は言及されていないためわかっていません。

当時のローマ法王が内容に恐怖を覚えた

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予言を聞いた3人の子どものうち生き残ったルシアは教皇庁に予言内容を文章化し伝えました。そしてその内容を見たローマ法王が恐怖を覚えたようです。

内容があまりにも衝撃的であったために人々の混乱を避けるために1960年の公開は見送ったとされています。

この見送った理由が一般的に考えられているものとなっています。またこのローマ法王の話を聞いてより人々の関心は強まりました。

このローマ法王の反応から第三の予言は第三次世界大戦や人類の滅亡なのではないかとはまで言われています。

ハイジャック事件まで勃発

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1981年5月2日にアイルランド航空でハイジャック事件が発生しました。犯行の動機はファティマ第三の予言を公表せよというものでした。

犯人はカトリックの修道士であったようです。ハイジャック事件が発生してしまうほどファティマ第三の予言は人々の関心となりました。

そして人々の関心が高まれば高まるほどあることないこと、本当がどうかわからない情報も巷で溢れてしまいました。

実際ルシアから予言の内容を聞いたローマ法王が卒倒してしまったという話はどこまでが本当かは未だにわかっていません。

教皇パウロ6世も恐怖を覚えた

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教皇パウロ6世は第262代のローマ教皇です。パウロ6世はファティマ第三の予言の封印を再度解くことにしました。

しかしながら当時のローマ法王と同じくその内容があまりなものであったため数日間人間不信のような状況に陥ったようです。

ファティマ第三の予言は教皇庁に厳重に保管されており、歴代のローマ法王が封印を解いたもののみんな内容にショックを受けています。

これが事実なのであれば後悔することをためらうことも理解できるかもしれません。

ファティマ第三の予言の内容

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では公表されたファティマ第三の予言の内容について紹介していきます。内容については嘘ではないか、または一部なのではないかと言われています。

ここでは実際に教皇庁から正式に公表のあった内容について紹介します。内容についてルシアも嘘である、一部であると言ったと言われています。

実際に教皇庁が嘘をついていたり、一部だけを公表しているのかは今それをわかる人はいません。なぜからルシアは亡くなっているからです。

ルシアは教皇庁からファティマ第三の予言の内容を話してはいけないと取り決めをしていたため内容は言わずに亡くなりました。

1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件

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教皇庁が公表した原文は長くてここでは紹介しませんが、結論としてファティマ第三の予言は1981年の教皇暗殺未遂事件のことであったということです。

この発表を受けて人々は隠蔽や改ざん、または捏造があったのではないかという憶測が飛び交いました。

その理由としては数々のローマ法王が内容を聞いてあまりにも内容がショックであったという反応からは程遠い内容であったためです。

教皇庁は本当のことを言っているのかどうかは未だに謎の多いものとなってしまっています。

ファティマ第三の予言に対する疑問

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ファティマ第三の予言の内容を紹介しましたが、この公表された内容については疑問が残っており、さまざまな議論が行われています。

そもそも1981年の事件のことを予言していたとしていますが、事件発生から20年経ってからの発表であったことも疑問が残っているようです。

まあローマ法王が卒倒したと噂されている内容の割には衝撃が少なかったことも人々に疑問を持たせてしまっているようです。

まあ教皇庁の発表に対して嘘をついているとルシアが言ったということもあるようでファティマ第三の予言はいまだに謎が多いものとなっています。

1981年の事件とは内容が違う

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ファティマ第三の予言は1981年の事件とは内容が違うのではないかという疑問があります。第三の予言はこの事件のことだと明記してません。

そのためファティマ第三の予言は1981年の事件のことだと言われていますが、本当は違うことを言っているのではないかということです。

しかしながらファティマ第三の予言が公表されてからさまざまな議論があった上で1981年の事件のことを言っているというのが一般論となりました。

それゆえにファティマ第三の予言はたくさんの疑問がより増えることとなってしまったのです。

隠していた割には衝撃が小さい

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ファティマ第三の予言は1960年から考えると40年ほど秘密にしていました。その割にはないような衝撃が小さかったのです。

この衝撃少なかったことに関しても人々の中に疑問を残してしまいました。なぜなら第一、第二は戦争というスケールの大きいものだったからです。

たしかに1981年の事件は教皇庁にとっては大きいものかもしれませんが、一般的に考えて卒倒するほどのものでしょうか。

第一や第二の予言と比べてスケールの小ささや衝撃の小ささにより人々に疑問を残してしまいました。

第一、第二に比べると短い

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ファティマ第三の予言は第一や第二の予言と比べても内容が薄く、短いものでありました。実際の内容を簡単に紹介します。

内容としては兵士によって教皇が銃弾で撃ち殺され、そして様々な階級や職種の聖職者も殺されていくというものでした。

この内容だけを聞くとたしかに1981年の事件のことを言っているようです。聖母マリアは今まで人々に問いかけを行なっていました。

しかし第三の予言は聖職者のみに影響する話をしたとされています。このへんが本当はもっと内容があったのではないかと疑問を抱かせてしまっています。

教皇庁が嘘をついている

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