2019年7月31日 更新

ファティマ第三の予言の内容とは?予言の真実や秘密になった理由は?

ファティマ第三の予言をみなさんは知っていますか。ファティマ第三の予言は2005年に公開されたもので、その内容には疑問が多く残っているものです。今回はファティマ第三の予言の内容や左手に火の剣をもった天使の真相、日本で起きた出来事について紹介していきます。

1回目のコンタクトについて紹介していきます。これが聖母マリアとの初めてのコンタクトとなります。初回には予言はありません。

初回のコンタクトでは聖母マリアから毎月13日の同じ時間にここに来て欲しいと依頼を受けることになります。

そしてこの聖母マリアとの出会いについては誰にも言わないで欲しいと言われました。しかし子どもの1人が我慢できずに家族に話してしまいます。

そして家族に話した内容は村中に広まり、子どもの戯言だと村中の笑い者になってしまったようです。

2回目のコンタクト

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そして3人の子どもたちは約束通り6月13日に同じ時間に同じ場所を訪れました。そのとき話しを聞いていた村人も数名いたと言われています。

この時に聖母マリアからは3人のうち2人はもう少しで天国に連れて行くことを言われます。その2人は10歳で病死します。

そして生き残ることになるルシアはまだ役割があるからこの世に残ってもらうと言います。しかし見捨てはしないと加えて言ったようです。

ルシアは結局97歳まで生き残りました。ルシアは予言に関しては今後協会との取り決めで何も話さず他界していきました。

3回目のコンタクト

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3回目のコンタクトである7月13日は予言に関してとても重要なコンタクトとなりました。ファティマの予言はここで伝えられています。

まず聖母マリアは今行われている戦争はもうすぐ終わることを伝えます。そして人々が神に背き続けるのであればまた大きな戦争が起きることを言います。

これが第一次世界大戦の終わりと第二次世界大戦の始まりを予言していると言われています。またロシアについても聖母マリアは言及しています。

人々が私のいうとおりにするならロシアは改心するだろうとあったようです。これはロシア革命などの予言ではないかとも言われています。

4回目のコンタクト

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8月13日には4回目のコンタクトはできませんでした。なぜならば3回目のコンタクトでは聖母マリアからの予言を5000人が聞いたと言われています。

そのためこの予言を聞いた人たちにより子どもたちを朝から拘束していたためです。そのため予言は8月19日に伝えられました。

聖母マリアはもしあなたたちが約束の日に来ていればもっとすばらしい奇跡が起きたでしょうと言ったようです。

この発言から分かるようにその日でなければ予言は伝えられないということがわかるでしょう。

5回目のコンタクト

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5回目のコンタクトは動きがあまりなく、紹介されないことも多いようです。5回目のコンタクトの時には群衆は3万にも集まったようです。

またこの奇跡についての謎を解き明かそうとする人もいたようです。5回目のコンタクトでは子どもと聖母マリアの会話はなかったようです。

起きたこととしては、太陽が急に光を失ってしまい、空からは銀白色の物体が現れました。子どもたちのところまで来てもすぐ消えてしまったようです。

この光景を群衆が見ていると白い綿状のものが空から降ってきたようです。それは捕まえてもすぐに溶けてしまったようです。

6回目のコンタクト

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そして6回目のコンタクト、これが聖母マリアとの最後のコンタクトとなります。このときに聖母マリアは子どもに対して頼みごとをしました。

その聖母マリアからの依頼はファティマに聖堂を立てるということだったそうです。このコンタクトの際には10万人の群衆が集まっていたようです。

そして聖母マリアはとにかく人々は行いを改め、罪の許しを願わなければならないと言ったようです。

なぜ聖母マリアが人々に悔い改めることを要求しているのかは未だにわかっていません。しかしこれが最後のコンタクトとなりました。

ファティマ第一・第二の予言の内容

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ここでは第一の予言と第二の予言を詳しくみていきます。第三の予言は2000年まで秘密にされ、やっと公表されましたが、第一と第二は違います。

今回のファティマでの出来事の25年後にバチカンから正式に内容について公表しています。バチカンではファティマの予言は厳重に保管されているようです。

第一の予言は第一次世界大戦の終焉のことで、第二の予言では第二次世界大戦の発生を意味していると言われています。

これら2つの予言がどのように解釈されているか詳しくみていきましょう。

第一の予言

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第一の予言では聖母マリアは今行われている戦争はもうすぐ終わりを迎えることを話したとされています。

その当時は第一次世界大戦の真っ只中であったため第一次世界大戦のことを指していることで間違いないとされています。

戦争の終わりの後には人々が神を背き罪を犯し続けると次の教皇の在位期間中に戦争が始まることも話したようです。

それがのちの第二次世界大戦のことを言っているとされています。この辺りに関しては次の第二の予言で詳しく紹介します。

第二の予言

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聖母マリアは第二の予言として第二次世界大戦の勃発を言い伝えました。そして多くの人が戦火の中で不幸な目にあうことを言っています。

これは第二次世界大戦の開始とともに広島や長崎への原爆投下も予言していたのではないかと言われています。

予言の中には戦争の前にはヨーロッパに不気味な光が出現すると言っており、実際にヨーロッパ中でオーロラ現象が起き人々を驚かせたようです。

このように第二の予言は第二次世界大戦によって多く人々の命が奪われていくことを言及していました。

ファティマ第三の予言が秘密になった理由

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ファティマの第三の予言は第一、第二と違い、秘密にされてきました。なぜ秘密にされ続けてきたのでしょうか。

秘密にしてきた本当の理由というのは明確には公表していないため分からないことが多くあります。しかし起きたことなどの事実を紹介していきます。

元々聖母マリアからは1960年まで公表は待つように指示を受けています。しかしながら実際に公表したのはその40年も後になったのです。

そして当時第三の予言を聞いたローマ法皇は予言の内容に恐怖を覚え、卒倒してしまったとも言われています。

1960年に発表する予定だった

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