2019年7月31日 更新

ファティマ第三の予言の内容とは?予言の真実や秘密になった理由は?

ファティマ第三の予言をみなさんは知っていますか。ファティマ第三の予言は2005年に公開されたもので、その内容には疑問が多く残っているものです。今回はファティマ第三の予言の内容や左手に火の剣をもった天使の真相、日本で起きた出来事について紹介していきます。

ファティマ第三の予言について

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みなさんはファティマの予言というものを知っていますでしょうか。ファティマの予言には第一から第三まであります。今回は第三を中心に紹介します。

ファティマの予言はポルトガルのファティマと呼ばれる村に住む3人の子どもが聖母マリアに遭遇し、予言を残したと言われています。

3つのうち2つは古くに発表され、第一次世界大戦と第二次世界大戦のついてのものであり、どちらも的中しています。では第三はどうなのでしょうか。

他の記事では予言のつながりで地震の予言について紹介しています。地震についてよく予言が聞かれるでしょう。ぜひ合わせて確認ください。

ファティマ第三の予言の真実

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ではここからは詳しくファティマの第三の予言についてみていきましょう。ファティマ第三の予言は2000年にやっと公表されました。

第一と第二の予言が1942年に公表されていることを考えるとかなり遅くなってからの公表となっています。

ここではファティマの予言というものがどこで言い伝えられ、そしてどのような形で聖母マリアから伝えられたのかを紹介します。

また第三の予言だけでなく第一と第二の予言についても簡単に内容を紹介します。ではファティマ第三の予言の真実を詳しくみていきましょう。

ポルトガルで起きた

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ファティマの予言は1917年5月13日にポルトガルのファティマと呼ばれる村で起きたと言われています。このファティマにて予言が伝えられました。

このファティマに住んでいた3人の子どもの前に聖母マリアを名乗る女性が現れ、3人の子どもに予言を伝えたと言われています。

3人のうち2人は幼くして病気によって亡くなってしまいました。生き残った1人ルシアという少女がこの予言を文章化したと言われています。

この文章化されたものをファティマの予言と言い、この予言をバチカンによって保管されてきたと言われています。

カトリック教会が公認していること

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ファティマの予言はカトリック教会が公認していると言えます。その理由は聖母マリアがファティマに出現したことをカトリック教会が公認しているからです。

ローマ教皇庁はこの聖母マリアの出現を公に認めました。それは1930年10月13日に認められました。

認めた理由としては水のないところから水が湧き、飲んだ人は病気などが治癒したことから認められたようです。

1967年には聖母マリアの最初の出現した人して5月13日を記念日として制定しました。

聖母マリアのメッセージ

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聖母マリアからのメッセージは6回に分けて伝えられました。初回の5月13日に聖母マリアは毎月13日に6回訪れることを約束します。

そして最後の10月には私が誰であって私が何を望んでいるかを話すと言ったそうです。そして6回の間に3つの予言を伝えたと言われています。

その3つのうち最後である第三の予言は今まで厳重に秘密にされ続け、2000年に公に発表がなされました。

しかしこの第三の予言については未だに疑問や不可解な点が多く、議論が盛んに行われているようです。

第一の予言と第二の予言もある

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では第一の予言と第二の予言のないようについて紹介していきます。第一の予言は当時発生していた第一次世界大戦がまもなく終わるというものでした。

第二の予言は第一次世界大戦が終わった後に第二次世界大戦が始まるというものでした。どちらも予言は的中していると言われています。

聖母マリアは今行われている戦争はまもなく終わるでしょう。しかし人々が神に背き続けるのならまた大きな戦争が起きると言ったそうです。

この言葉が第一次世界大戦の終わりと第二次世界大戦の始まりを予言していると言われています。

第三の予言は秘密になっていた

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1930年にファティマの予言は公認され、第三の予言だけは1690年まで公表を待つように聖母マリアから言われたとされています。

しかしながら1690年を過ぎても公表はされず、秘密にされ続けてきました。次で詳しくは紹介しますが、2000年に公表されました。

ではなぜ1690年に公表しなかったのでしょうか。その当時第三の予言を聞いた当時のローマ法王が失神したと言われています。

失神した理由はあまりにも内容が悲惨でショッキングなものであったとされています。そのために公表されなかったと言われています。

2000年に正式に発表された

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第三の予言はついに2000年にその内容が公表されました。その内容は1981年に起きたヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件を予言したというものでした。

しかしこの内容に対して実際に予言を聞いたルチアはバチカンは嘘をついていると発言したそうです。ルシアは2005年に他界しています。

実際にこの予言の内容を聞いたほとんどの人が事件から20年も経過していることもあり予言内容を改ざんしているのではと思いました。

しかし予言内容を知っているルシアは2005年に内容を話すことなく他界しているため真相はわかっていないのです。

聖母マリアとのコンタクト

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ファティマの予言は6回の聖母マリアとのコンタクトによって伝えられました。ここからはその6回のコンタクトを紹介していきます。

聖母マリアとのコンタクトは5月13日に開始され、10月13日まで毎月コンタクトがありました。

それぞれのコンタクトでは子どもたちと聖母マリアとの会話もありましたが、それぞれUFOのようなものが出現したりしています。

他にも怪奇現象のようなものが起き、見聞人もそれを目撃したと言われています。ではそれぞれのコンタクトを詳しくみていきましょう。

1回目のコンタクト

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