目次
- 竹の子族の由来とは?
- 竹の子族とはどんな人?
- なぜ竹の子族と言われるようになった?
- 竹の子族の歴史
- ど派手と言われる竹の子族のファッションやメイク
- 奇抜なアラビアン・ファッション
- パステルカラーや蛍光色を多様
- 漢字の刺繍
- 男女共に奇抜なメイク
- 竹の子族を象徴する楽曲
- 80年代のディスコサウンド
- 代表曲
- 竹の子族の路上ダンスパフォーマンス
- 最盛期には2000人以上!
- どんなダンスをしていたのか
- 1980年代の原宿の歩行者天国の象徴
- 元竹の子族出身の芸能人
- 沖田浩之(故)
- 清水宏次朗
- 深津絵里
- YOU
- 竹の子族の流行が下向きになった次のブーム
- ブレイクダンサー
- バンド
- ローラー族
- 竹の子族は現在も存続している?!
- 現在はケケノコ族として
- ブティック竹の子にレディーガガ?!
- ホコ天NIGHT★とは
- 竹の子族以外にもいた〇〇族
- 親指族
- 太陽族
- ロカビリー族
- カミナリ族
- カラス族
- 時代は巡る!いつの時代も若者が流行を作る!
当時、社会現象にまでなった竹の子族。竹の子族の多くが、ダンスを披露する際に使っていた定番とされている曲が、いくつもあります。
ここでは、竹の子族を象徴する曲をいくつかご紹介していきます。当時竹の子族だけでなく、多くの人が聞いた流行曲にもなるので、当時を思い出す、知るために聞いてみるのも良いでしょう。
ここでは、竹の子族を象徴する曲をいくつかご紹介していきます。当時竹の子族だけでなく、多くの人が聞いた流行曲にもなるので、当時を思い出す、知るために聞いてみるのも良いでしょう。
80年代のディスコサウンド
via pixabay.com
竹の子族は、ラジカセからディスコサウンドを流すのが中心で、曲に合わせてステップダンスを踊っていました。80年代のディスコサウンドは、当時の若者の間でブームとなり、多くの若者が聞いていました。
多くの若者に愛された80年台ディスコサウンドは、今聞いても色褪せることない名曲として多くの人に愛されています。
最近では、昔流行した曲が再燃している事もあり、当時の懐かしい曲を耳にすることも増えてきました。
多くの若者に愛された80年台ディスコサウンドは、今聞いても色褪せることない名曲として多くの人に愛されています。
最近では、昔流行した曲が再燃している事もあり、当時の懐かしい曲を耳にすることも増えてきました。
代表曲
via pixabay.com
竹の子族の間では、主にラジカセから流す曲は、アラベスクやヴィレッジ・ピープル、ジンギスカンなど80年代のキャンディーポップスが中心となっていました。
竹の子族の音楽は、キャンディ・ポップと呼ばれていた洋楽ディスコナンバーに、沢田研二や松田聖子など当時の歌謡ヒット曲を混ぜて、違和感もなく踊っていたところです。このような曲の合わせ方なども竹の子族ならではの特徴の一つでもあります。
竹の子族の音楽は、キャンディ・ポップと呼ばれていた洋楽ディスコナンバーに、沢田研二や松田聖子など当時の歌謡ヒット曲を混ぜて、違和感もなく踊っていたところです。このような曲の合わせ方なども竹の子族ならではの特徴の一つでもあります。
竹の子族の路上ダンスパフォーマンス
via pixabay.com
竹の子族といえば、路上ダンスパフォーマンスです。多くの竹の子族が、派手な色の衣装に身を包み、奇抜なメイクで曲に合わせて路上でダンスを披露する様が圧巻でした。
時には、踊っている竹の子族の人数よりも見物客の方が多い時もあり、竹の子族を少しで見ようとする多くの人で、埋め尽くされていました。
ここでは、そんな竹の子族が踊っていた場所やパフォーマンス内容など、どのように活動して、どのくらいの規模だったのかについてご紹介していきます。
時には、踊っている竹の子族の人数よりも見物客の方が多い時もあり、竹の子族を少しで見ようとする多くの人で、埋め尽くされていました。
ここでは、そんな竹の子族が踊っていた場所やパフォーマンス内容など、どのように活動して、どのくらいの規模だったのかについてご紹介していきます。
最盛期には2000人以上!
via pixabay.com
多くの若者のブームとなっていた竹の子族、ブームの最盛期には、2000人以上も活動していたと言われています。また、最盛期のギャラリーは、竹の子族を遥かに上回る10万人以上だったとも言われています。
社会現象とまで言われた竹の子族、当時はちょっとした有名人並にニュースなどで連日取り上げられ、話題となっていました。これだけの人が集まる程、注目されていた竹の子族は、当時の人達を魅了していたのでしょう。
社会現象とまで言われた竹の子族、当時はちょっとした有名人並にニュースなどで連日取り上げられ、話題となっていました。これだけの人が集まる程、注目されていた竹の子族は、当時の人達を魅了していたのでしょう。
どんなダンスをしていたのか
via pixabay.com
竹の子族は、曲に合わせて「ステップダンス」を踊ることが基本とされています。80年台のキャンディーポップスや歌謡曲に合わせて、路上でダンスを踊ることが竹の子族の特徴です。
誰でも踊る事が出来るダンスなのも、多くの若者にブームとなった理由になるのかもしれません。非現実を楽しみたい若者の集団である竹の子族は、自由にそれぞれが踊る事を楽しんでいたのでしょう。
誰でも踊る事が出来るダンスなのも、多くの若者にブームとなった理由になるのかもしれません。非現実を楽しみたい若者の集団である竹の子族は、自由にそれぞれが踊る事を楽しんでいたのでしょう。
1980年代の原宿の歩行者天国の象徴
via pixabay.com
竹の子族の活動の場は、原宿の代々木公園横にある歩行者天国で、1980年代、原宿歩行者天国の象徴として話題となっていました。
また、地方都市の公園や東京にある吉祥寺、池袋などでも小規模の竹の子族が踊っていました。
竹の子族の主な活動場所である原宿の歩行者天国では、開催される毎週日曜日には10万人近くが集まり、歩行者天国の端から端までギャラリーで溢れかえったことも多くありました。このような事から、竹の子族は原宿の歩行者天国の象徴として話題となっていました。
また、地方都市の公園や東京にある吉祥寺、池袋などでも小規模の竹の子族が踊っていました。
竹の子族の主な活動場所である原宿の歩行者天国では、開催される毎週日曜日には10万人近くが集まり、歩行者天国の端から端までギャラリーで溢れかえったことも多くありました。このような事から、竹の子族は原宿の歩行者天国の象徴として話題となっていました。
元竹の子族出身の芸能人
via pixabay.com
当時、竹の子族で活躍していた若者の中に芸能人になった人もいます。当時、社会現象とまでなっていた竹の子族の出身で芸能人になった人は、多くいます。
ここでは、当時竹の子族で活躍していた、竹の子族出身の芸能人の方を何人かご紹介していきます。芸能界に入るきっかけとなったエピソードなども併せてご紹介します。
ここでは、当時竹の子族で活躍していた、竹の子族出身の芸能人の方を何人かご紹介していきます。芸能界に入るきっかけとなったエピソードなども併せてご紹介します。
沖田浩之(故)
via pixabay.com
竹の子族で、アイドル的存在だった沖田浩之さん(本名 置鮎広之)は、1963年1月7日生まれのA型で、神奈川県川崎市出身です。
沖田浩之さんが芸能界に入るきっかけとなったのは高校時代、原宿にある歩行者天国で竹の子族として踊っていたところに、大手芸能プロからスカウトされ、そのまま芸能界デビューしました。
数多くのグループが活動していた竹の子族、その中でも特に、女の子達から絶大な人気を誇っていたグループが「ランナーズ」という竹の子族のグループで、当時高校生だった沖田浩之さんもこのグループに所属していました。
沖田浩之さんが芸能界に入るきっかけとなったのは高校時代、原宿にある歩行者天国で竹の子族として踊っていたところに、大手芸能プロからスカウトされ、そのまま芸能界デビューしました。
数多くのグループが活動していた竹の子族、その中でも特に、女の子達から絶大な人気を誇っていたグループが「ランナーズ」という竹の子族のグループで、当時高校生だった沖田浩之さんもこのグループに所属していました。
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竹の子族から、芸能界入りした沖田浩之さんは、TBS系列の人気ドラマ金八先生に出演したり、歌手デビューするとオリコンチャートで最高8位のヒットを出し、人気を博していました。
歌手時代の沖田浩之さんには、熱狂的なファンも多くおり、ファンの中から親衛隊も多数結成されていました。歌手で活動していたのは、約4年程で歌手活動終えて、津川雅彦さんの事務所に入り俳優業に専念するようになりました。
そして、ドラマやテレビ番組など多方面で活躍していた沖田浩之さんは、1999年3月27日に36歳という若さでこの世を去りました。あまりにも突然の別れに、当時多くのファンが悲しみに打ちひしがれました。竹の子族時代から、キラキラ輝いていた沖田浩之さんは、亡くなってからも多くのファンから愛されています。
歌手時代の沖田浩之さんには、熱狂的なファンも多くおり、ファンの中から親衛隊も多数結成されていました。歌手で活動していたのは、約4年程で歌手活動終えて、津川雅彦さんの事務所に入り俳優業に専念するようになりました。
そして、ドラマやテレビ番組など多方面で活躍していた沖田浩之さんは、1999年3月27日に36歳という若さでこの世を去りました。あまりにも突然の別れに、当時多くのファンが悲しみに打ちひしがれました。竹の子族時代から、キラキラ輝いていた沖田浩之さんは、亡くなってからも多くのファンから愛されています。
清水宏次朗
via pixabay.com
清水宏次朗さんは、1964年11月10日生まれで、東京都出身の俳優・歌手です。竹宏治という芸名で活動していた時期もありました。
高校性の頃に、竹の子族の初期メンバーとして原宿で踊っていたところ、芸能プロにスカウトされ芸能界に入りました。
その後、数々のドラマに出演し、人気俳優として芸能界でも活躍していました。
高校性の頃に、竹の子族の初期メンバーとして原宿で踊っていたところ、芸能プロにスカウトされ芸能界に入りました。
その後、数々のドラマに出演し、人気俳優として芸能界でも活躍していました。
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