目次
- 竹の子族の由来とは?
- 竹の子族とはどんな人?
- なぜ竹の子族と言われるようになった?
- 竹の子族の歴史
- ど派手と言われる竹の子族のファッションやメイク
- 奇抜なアラビアン・ファッション
- パステルカラーや蛍光色を多様
- 漢字の刺繍
- 男女共に奇抜なメイク
- 竹の子族を象徴する楽曲
- 80年代のディスコサウンド
- 代表曲
- 竹の子族の路上ダンスパフォーマンス
- 最盛期には2000人以上!
- どんなダンスをしていたのか
- 1980年代の原宿の歩行者天国の象徴
- 元竹の子族出身の芸能人
- 沖田浩之(故)
- 清水宏次朗
- 深津絵里
- YOU
- 竹の子族の流行が下向きになった次のブーム
- ブレイクダンサー
- バンド
- ローラー族
- 竹の子族は現在も存続している?!
- 現在はケケノコ族として
- ブティック竹の子にレディーガガ?!
- ホコ天NIGHT★とは
- 竹の子族以外にもいた〇〇族
- 親指族
- 太陽族
- ロカビリー族
- カミナリ族
- カラス族
- 時代は巡る!いつの時代も若者が流行を作る!
via pixabay.com
ケケノコ族という奇抜な格好で踊る集団が最近数々のイベントフェスに引っ張りだこになっているようです。一度見てしまうと虜になってしまうほどの魅力を持つ彼女達は、現代の竹の子族と呼ばれています。
ケケノコ族とは、2017年族長ケケ・ヒサツネこと本名ひさつねあゆみさんとサブリーダーであるK・エニシ・旭莉、本名神田旭莉の2人によって結成されました。80年代に社会現象となった竹の子族の文化を引用しながらも、時代と街にフィットしている新しい竹の子族を目指しているそうだ。
ケケノコ族とは、2017年族長ケケ・ヒサツネこと本名ひさつねあゆみさんとサブリーダーであるK・エニシ・旭莉、本名神田旭莉の2人によって結成されました。80年代に社会現象となった竹の子族の文化を引用しながらも、時代と街にフィットしている新しい竹の子族を目指しているそうだ。
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竹の子族といえば原宿の歩行者天国ですが、今はもう開催されていないので、現在の竹の子族と呼ばれているケケノコ族は、変わりに原宿の街の中を踊りながら練り歩いていくケケノコ闊歩というパフォーマンスを披露している。
オリジナルのファッションや振り付けなどが話題となり、新聞やTV、ラジオなど多数メディアから注目され、紹介されるとすぐに話題となりました。
ケケノコ族結成のいきさつには、族長のケケ・ヒサネツさんが、竹の子族の名前の由来になったと言われている、原宿竹下通りにあるブティック・竹の子で働きながら、当時の竹の子族について詳しくオーナの大竹竹則さんに教えてもらっていたという。そうして、竹の子族という文化を引用しながらも、進化した別のものができればと思いケケノコ族を作ったそうです。今後さらに、進化し時代にフィットした新しい竹の子族を見せてくれることでしょう。
オリジナルのファッションや振り付けなどが話題となり、新聞やTV、ラジオなど多数メディアから注目され、紹介されるとすぐに話題となりました。
ケケノコ族結成のいきさつには、族長のケケ・ヒサネツさんが、竹の子族の名前の由来になったと言われている、原宿竹下通りにあるブティック・竹の子で働きながら、当時の竹の子族について詳しくオーナの大竹竹則さんに教えてもらっていたという。そうして、竹の子族という文化を引用しながらも、進化した別のものができればと思いケケノコ族を作ったそうです。今後さらに、進化し時代にフィットした新しい竹の子族を見せてくれることでしょう。
ブティック竹の子にレディーガガ?!
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竹の子族の名前の由来になったと言われているブティック竹の子は、歩行者天国や竹の子族がいなくなった今でもお店は営業しています。今では、竹下通りで一番長いお店です。
ギラギラ輝くスパンコールに派手なデザインの装飾品、エナメルや羽飾りなど、当時を思い出させてくれる服もあり、歌手や俳優、ダンサーなどのステージ衣装としての需要が高いようです。
海外のお客様もいて、パーティー用にと購入していく外国の方が多いみたいです。2012年には、世界で有名の歌手レディーガガが来店し、大量に購入していたようです。レディー・ガガがブティック竹の子に来店した事は、ニュースとなりとても話題になりました。ブティック竹の子は、今でも話題になる有名店です。
ギラギラ輝くスパンコールに派手なデザインの装飾品、エナメルや羽飾りなど、当時を思い出させてくれる服もあり、歌手や俳優、ダンサーなどのステージ衣装としての需要が高いようです。
海外のお客様もいて、パーティー用にと購入していく外国の方が多いみたいです。2012年には、世界で有名の歌手レディーガガが来店し、大量に購入していたようです。レディー・ガガがブティック竹の子に来店した事は、ニュースとなりとても話題になりました。ブティック竹の子は、今でも話題になる有名店です。
ホコ天NIGHT★とは
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ホコ天NIGHT★とは、全日本竹の子連盟という団体が、2003年から毎月第二土曜日に開催しているイベントです。ホコ天NIGHT★主催の熊澤誠司さんは、元竹の子族でフレンズ(不恋達)というチームのメンバーでした。
懐かしいヒット曲を流し、当時の竹の子族だったグループのメンバー達が、グループの名前を縫い付けた鮮やかな衣装に身を包み踊る人で、ダンスフロアは埋め尽くされています。
路上でもなく、ラジカセを囲んで踊るわけではないが、このイベントに参加していると当時の原宿・歩行者天国を感じることができるでしょう。大人になった竹の子族は、今も月一度昔に戻って踊っている人も多くいます。
懐かしいヒット曲を流し、当時の竹の子族だったグループのメンバー達が、グループの名前を縫い付けた鮮やかな衣装に身を包み踊る人で、ダンスフロアは埋め尽くされています。
路上でもなく、ラジカセを囲んで踊るわけではないが、このイベントに参加していると当時の原宿・歩行者天国を感じることができるでしょう。大人になった竹の子族は、今も月一度昔に戻って踊っている人も多くいます。
竹の子族以外にもいた〇〇族
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昭和には、竹の子族以外にも色々な集団がありました。呼び名も竹の子族のように○○族といった呼び名のグループが多くありました。
ここでは、竹の子族のように〇〇族と呼ばれているグループをいくつか例にあげてご紹介していきます。今でも続いて呼ばれているものや、活動しているものも中にはあります。
ここでは、竹の子族のように〇〇族と呼ばれているグループをいくつか例にあげてご紹介していきます。今でも続いて呼ばれているものや、活動しているものも中にはあります。
親指族
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1951年昭和26年に流行した有名な言葉、親指族。この親指族は、おやゆび姫の童話のような可愛いイメージのものではなく、親指を使いパチンコ台のレバーを操作し、遊んでいる人達の事を指しています。
当時のパチンコは、電動化されておらず一球ずつ投入口から玉を入れて、バネ付きのハンドルではじくタイプのものでした。第二次世界大戦中、パチンコは全面禁止となり終戦後は、各地で復活してきました。
当時のパチンコは、電動化されておらず一球ずつ投入口から玉を入れて、バネ付きのハンドルではじくタイプのものでした。第二次世界大戦中、パチンコは全面禁止となり終戦後は、各地で復活してきました。
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時代が進むにつれ、パチンコは電動式となり、自動的に玉が飛び出すハンドルタイプになりました。また、時代とともに親指族という言葉は過去のものになりました。
ところが、2000年の平成12年頃に新たな親指族が登場しました。今度は、携帯電話を親指で猛スピードで操作する若者達を親指族と呼ぶようになりました。親指族の人の特徴は、他人の迷惑そうな顔に気づかない程集中していることです。
このように現代で進化した内容で同じネーミングで使われている名前もあります。
ところが、2000年の平成12年頃に新たな親指族が登場しました。今度は、携帯電話を親指で猛スピードで操作する若者達を親指族と呼ぶようになりました。親指族の人の特徴は、他人の迷惑そうな顔に気づかない程集中していることです。
このように現代で進化した内容で同じネーミングで使われている名前もあります。
太陽族
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太陽族とは、1955年に発表された石原慎太郎さんの小説、「太陽の季節」から由来された言葉で、発表された翌年小説は単行本化されました。
石原慎太郎さんや弟である石原裕次郎さんを真似て、サングラスやアロハシャツ、慎太郎カットというヘアスタイルの当時の若者たちの事を太陽族と呼んでいました。
石原慎太郎さんや弟である石原裕次郎さんを真似て、サングラスやアロハシャツ、慎太郎カットというヘアスタイルの当時の若者たちの事を太陽族と呼んでいました。
ロカビリー族
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ロカビリー族は、1958年に日劇ウエスタン・カーニバルが開催されたことがきっかけとなり、ロカビリー歌手のファッションスタイル真似たファンが多くいました。このファンたちのことを当時ロカビリー族と呼んでいました。
ロックンロールの初期スタイルである、ロカビリーを真似たロカビリー族は、リーゼントに丈の長いジャケット、シャツはオープンカラーでマンボズボンというファッションスタイルが特徴でした。
ロカビリー族は主に、六本木に集まることが多く、後に六本木族とも呼ばれるようになりました。
また、加賀まりこや峰岸徹など六本木からスターが生まれるようになったのも、これらのことが関係しているという説もあります。
ロックンロールの初期スタイルである、ロカビリーを真似たロカビリー族は、リーゼントに丈の長いジャケット、シャツはオープンカラーでマンボズボンというファッションスタイルが特徴でした。
ロカビリー族は主に、六本木に集まることが多く、後に六本木族とも呼ばれるようになりました。
また、加賀まりこや峰岸徹など六本木からスターが生まれるようになったのも、これらのことが関係しているという説もあります。
カミナリ族
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カミナリ族とは、オートバイで公道を高速走行することを楽しんでいた人たちのことを指している言葉で、昭和30年から40年代を中心に使われていた言葉です。
マフラーの芯を抜いたり改造を施していたオートバイが多く、騒音が大きく雷のような音だったのでカミナリ族と呼ばれるようになったと言われています。
現在の暴走族や特に違法な競走型暴走族の先駆けで、これらの行動様態のルーツとされています。昔も今も危険で迷惑な行為です。
マフラーの芯を抜いたり改造を施していたオートバイが多く、騒音が大きく雷のような音だったのでカミナリ族と呼ばれるようになったと言われています。
現在の暴走族や特に違法な競走型暴走族の先駆けで、これらの行動様態のルーツとされています。昔も今も危険で迷惑な行為です。
カラス族
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カラス族とは、上から下まで全身黒ずくしの服装をした若者たちをカラスに例えて呼んでいた言葉です。全身黒のファッションスタイルが流行したのは、1980年代にDCブランドが社会的なブームとなったことがきっけとなっています。
カラス族は、ねぶた祭りで正式なハネトの衣装ではなく、黒装束の衣装でねぶた祭りに参加し、それがカラスのように見えることからカラス族と呼ばれるようになりました。
カラス族は、徒歩暴走族の部類とされ平成に入ると暴走族などのグループの中心となっていき、次第に危険で悪質凶悪な集団であるとされました。カラス族とは、純粋にファッションを楽しんでいる若者たちと、祭りを台無しにする暴走集団、両方を指している言葉でした。
カラス族は、ねぶた祭りで正式なハネトの衣装ではなく、黒装束の衣装でねぶた祭りに参加し、それがカラスのように見えることからカラス族と呼ばれるようになりました。
カラス族は、徒歩暴走族の部類とされ平成に入ると暴走族などのグループの中心となっていき、次第に危険で悪質凶悪な集団であるとされました。カラス族とは、純粋にファッションを楽しんでいる若者たちと、祭りを台無しにする暴走集団、両方を指している言葉でした。
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