目次
- ジルドレとは
- ジル・ド・レー
- フランスの貴族
- 百年戦争で活躍した軍人
- 百年戦争とは
- 1337~1453年に起こった戦い
- フランス人王朝同士の争い
- 現在のフランスとイギリスの国境線が決定した戦い
- ジャンヌ・ダルクの加勢によってフランス軍が巻き返す
- ジャンヌ・ダルクやジルドレの活躍もありフランス軍が勝利
- 捕虜となったジャンヌ・ダルクはあらゆる嫌疑をかけられ処刑
- 百年戦争によって国家・国民というアイデンティティが形成された
- ジルドレの青年期
- 1405年ころシャントセで産まれる
- ブルターニュ地方の貴族でありアンジュー領主に仕える家柄
- 問題人物が多い母家系
- 幼少期に両親を亡くす
- 放任主義の祖父に育てられる
- 1417年以降2度の婚約
- 結婚に関するトラブル
- ジルドレとジャンヌ・ダルク
- 1424年宮廷入り
- ジャンヌ・ダルクの監視を命じられる
- 1429年オルレアン包囲戦でジャンヌ・ダルクと共に活躍する
- パリ包囲戦後ジャンヌ・ダルクと別れる
- ジャンヌ・ダルクが捕らえられたことを知り生活が荒んでいく
- 散財や浪費を繰り返し錬金術に陶酔
- 黒魔術のため少年らを拉致・虐殺
- 1440年聖職者を拉致・監禁したことによりジルドレが捕らえられる
- 宗教裁判が行われた
- 絞首刑後火刑となった
- ジルドレ死後の関係者の様子
- 犯罪へ誘導したフランソワ・プレラーティは終身刑となる
- 脱獄したが再び捕らえられ1445年絞首刑となった
- ジルドレの妻は貴族と再婚
- 娘は遺産を受け継ぎ1444年シャルル7世の側近と結婚
- のちにシャルル・ペローの童話に登場する殺人鬼のモデルとなった
- ジャンヌダルクに大きな影響を受けた人生だった
via pixabay.com
1440年の5月に所領を巡る争いによりジルは、サン=テティエンヌ=ド=メール=モルトのミサに60名程の兵士を連れ聖職者を拉致し監禁します。
当時ミサを妨害する行為は異端同様重罪であり、ジルドレは大司教により告発されます。そして、周囲で少年行方不明等の黒い噂もあったことから身辺調査が開始され、調査に入ったナント司教はジルドレの行っていた凶行の痕跡を発見。
ジルドレの行いは、悪魔崇拝、男色などどれも重罪にあたり、錬金術師のフランソワと共に逮捕されます。
当時ミサを妨害する行為は異端同様重罪であり、ジルドレは大司教により告発されます。そして、周囲で少年行方不明等の黒い噂もあったことから身辺調査が開始され、調査に入ったナント司教はジルドレの行っていた凶行の痕跡を発見。
ジルドレの行いは、悪魔崇拝、男色などどれも重罪にあたり、錬金術師のフランソワと共に逮捕されます。
宗教裁判が行われた
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ジルドレは逮捕後、宗教裁判へ出頭します。宗教裁判とは、簡単に言うと異端尋問であり、異端を絶滅させるために措置された裁判になります。ここで判決を受けた人は異端とみなされ、国家の敵、実刑を課せられます。
その裁判にジルドレは出頭し、公開裁判にて全ての悪行を告白し懺悔し、涙を流しながら許しを請いました。しかし、ジルドレの行ったことは人としても尋常ではない行いであったことは間違いありません。
周囲で聞いていた人の中にはその行為に吐き気を伴う、また、意識を失う人までいたそうです。
その裁判にジルドレは出頭し、公開裁判にて全ての悪行を告白し懺悔し、涙を流しながら許しを請いました。しかし、ジルドレの行ったことは人としても尋常ではない行いであったことは間違いありません。
周囲で聞いていた人の中にはその行為に吐き気を伴う、また、意識を失う人までいたそうです。
絞首刑後火刑となった
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裁判にてジルドレが受けた判決は有無なく死刑でした。ジルドレが受けた死刑方法は、絞首刑後死体を火刑に処すというものでした。
当時貴族内で死刑が行われる時は、斬首刑であり、ジルドレが受けた絞首刑後の火刑は貴族にとって不名誉なことでした。
そして、死後遺体を焼き払う事は死者への冒涜を意味しており、キリスト教では最後の審判まで肉体が残っていなければいけないこともあり、肉体を完全に消すという火刑は、キリスト教にとって精神的にも恐怖を与える判決です。
当時貴族内で死刑が行われる時は、斬首刑であり、ジルドレが受けた絞首刑後の火刑は貴族にとって不名誉なことでした。
そして、死後遺体を焼き払う事は死者への冒涜を意味しており、キリスト教では最後の審判まで肉体が残っていなければいけないこともあり、肉体を完全に消すという火刑は、キリスト教にとって精神的にも恐怖を与える判決です。
ジルドレ死後の関係者の様子
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ジルドレが捕まった際には、ジルドレを犯罪に招いたフランソワや、他の共犯者達も捕まっています。ジルドレは死刑判決を言い渡されましたが、フランソワ含め、その他の人はどのような判決を受けたのでしょうか。
また、ジルドレは若い頃にカトリーヌと結婚しています。そして、二人の間には娘、マリーもいました。ジルドレの犯罪により、二人はどうなったのでしょうか。
ジルドレが処刑された後にその犯罪に関わった人、またジルドレの関係者がどうなったのか紹介します。
また、ジルドレは若い頃にカトリーヌと結婚しています。そして、二人の間には娘、マリーもいました。ジルドレの犯罪により、二人はどうなったのでしょうか。
ジルドレが処刑された後にその犯罪に関わった人、またジルドレの関係者がどうなったのか紹介します。
犯罪へ誘導したフランソワ・プレラーティは終身刑となる
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フランソワのことを簡単に紹介しますと、フランソワはイタリア出身であり、聖職者を目指していまし。しかし、教会に仕える僧侶になれましたが、医師であり魔術師のジャン・ド・フォンタネルという人物に出会います。
この出会いにより、フランソワも魔術の虜になり、ジャンヌが処刑されたことにより奇行と浪費に走るジルドレを知り、見事に取り入りジルを欺いたとされます。
そんなジルを犯罪者にまで導いた自称錬金術師であるフランソワもジルと一緒に捕まりましたが、彼は素直に黒魔術への関与を認め、終身刑という判決を得ます。
この出会いにより、フランソワも魔術の虜になり、ジャンヌが処刑されたことにより奇行と浪費に走るジルドレを知り、見事に取り入りジルを欺いたとされます。
そんなジルを犯罪者にまで導いた自称錬金術師であるフランソワもジルと一緒に捕まりましたが、彼は素直に黒魔術への関与を認め、終身刑という判決を得ます。
脱獄したが再び捕らえられ1445年絞首刑となった
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しかし、大人しく終身刑を待つフランソワではありませんでした。フランソワは脱獄に成功し、その後アンジュー公ネルに上手く取り入り、後に町の代官にまでなりました。
しかし、1445年にフランソワは捕まってしまい、終身刑で終わるはずのフランソワは脱獄したことで、絞首刑を言い渡されました。
他の共犯者達は逃げ延びたとされていますが、詳しい事までの記載はないため、どうなったかという詳細は不明です。
ジルはフランソワと出会わなければ、フランソワはジャンと出会わなければ、こんな悲惨な運命を辿る事はなかったかもしれません。
しかし、1445年にフランソワは捕まってしまい、終身刑で終わるはずのフランソワは脱獄したことで、絞首刑を言い渡されました。
他の共犯者達は逃げ延びたとされていますが、詳しい事までの記載はないため、どうなったかという詳細は不明です。
ジルはフランソワと出会わなければ、フランソワはジャンと出会わなければ、こんな悲惨な運命を辿る事はなかったかもしれません。
ジルドレの妻は貴族と再婚
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ジルドレの妻、カトリーヌ・ド・トアールは、ジルドレが処刑された後にシャルトルの貴族と再婚を果たします。シャルトルは今のノートルダム大聖堂がある場所で有名です。
シャルルのどの貴族かという記載はありませんが、シャルトルは13世紀程からアパナージュとなっており、フランス国王が長子以外の王子や王弟に封土として与えられた王領の一部であるとあります。
そんな場所に住む貴族であるため、さぞ裕福な人との再婚を果たしたのではないでしょうか。カトリーヌがジルと結婚したきっかけはとてもカトリーヌにとって望まれない形でした。
再婚後、幸せな家庭を築けたことでしょう。
シャルルのどの貴族かという記載はありませんが、シャルトルは13世紀程からアパナージュとなっており、フランス国王が長子以外の王子や王弟に封土として与えられた王領の一部であるとあります。
そんな場所に住む貴族であるため、さぞ裕福な人との再婚を果たしたのではないでしょうか。カトリーヌがジルと結婚したきっかけはとてもカトリーヌにとって望まれない形でした。
再婚後、幸せな家庭を築けたことでしょう。
娘は遺産を受け継ぎ1444年シャルル7世の側近と結婚
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ジルドレの娘、マリーはジルドレの遺産を受け継ぐことができ、1444年にシャルル7世の側近でリッシュモン大元帥の配下のプレジャン・ド・コワティーヴィと結婚をします。
コワティーヴィは、領地保全に全力をかけたこともあり、ブルターニュ領内は没収されたものの、他の土地は守ることができました。
しかし、そのすぐ6年後、1450年にノルマンディーで戦死してしまい、コワティーヴィの親族とマリーは遺産相続で争うことになり、守ることができなかったそうです。
その後、1451年にアンドレ・ド・ラヴァルと再婚しますが、子供を授かることがないまま1457年に死去しました。
コワティーヴィは、領地保全に全力をかけたこともあり、ブルターニュ領内は没収されたものの、他の土地は守ることができました。
しかし、そのすぐ6年後、1450年にノルマンディーで戦死してしまい、コワティーヴィの親族とマリーは遺産相続で争うことになり、守ることができなかったそうです。
その後、1451年にアンドレ・ド・ラヴァルと再婚しますが、子供を授かることがないまま1457年に死去しました。
のちにシャルル・ペローの童話に登場する殺人鬼のモデルとなった
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シャルル・ペローが書いた童話は、グリム童話として今も有名です。その中に青髭という童話があります。この話は、とても恐ろしい話であり、ジルドレと似ているという話が上がっていますが、それは論証できていません。
青髭の話は、とある金持ちの男が登場します。その男は青い髭を生やしていたことから青髭と呼ばれ、周囲からも恐れられていました。
青髭は何度も結婚していますが、その度妻になっていた人達は行方不明となっていました。その後、4兄妹の美人である姉妹に求婚後、妹結婚します。
青髭の妻となった妹は、とある経緯から青髭にもらった多くの鍵を手に、城内を巡ります。しかし、青髭から決して入ってはいけないと言われている部屋がどうしても気になり、妹は入ってしまいます。
青髭の話は、とある金持ちの男が登場します。その男は青い髭を生やしていたことから青髭と呼ばれ、周囲からも恐れられていました。
青髭は何度も結婚していますが、その度妻になっていた人達は行方不明となっていました。その後、4兄妹の美人である姉妹に求婚後、妹結婚します。
青髭の妻となった妹は、とある経緯から青髭にもらった多くの鍵を手に、城内を巡ります。しかし、青髭から決して入ってはいけないと言われている部屋がどうしても気になり、妹は入ってしまいます。
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そこにあったのは、今までに青髭の妻であったであろう女性達の死体でした。妹は青髭に部屋に入ったことがバレ、殺されかけますが、その日偶然訪れる予定であった妹の騎兵として働いていた兄達が来て、青髭を倒し妹は助かります。
その後、子供のいなかった青髭の遺産は全て妹の元へ来たという話です。この話から、モデルはジルドレなのではないかと言われています。似ている箇所はありますが、果たして本当にジルドレなのかは謎です。
その後、子供のいなかった青髭の遺産は全て妹の元へ来たという話です。この話から、モデルはジルドレなのではないかと言われています。似ている箇所はありますが、果たして本当にジルドレなのかは謎です。
ハーメルンの笛吹き男は実話?その怖いあらすじと男の正体や子ども達の末路 - POUCHS(ポーチス)
ハーメルンの笛吹き男はグリム童話のひとつ。笛吹きの男が町の子供たちを連れ去ってしまう・・・というのが大まかなあらすじですが、これに実話説があることは御存知でしょうか?ここでは笛吹き男の正体、物語の怖い真実、舞踏病説などの仮説について紹介していきます。
ジャンヌダルクに大きな影響を受けた人生だった
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