2019年7月15日 更新

ジルドレとジャンヌダルクの関係性とは?ジルドレの青年期と百年戦争

ジル・ドレという人物を知っているでしょうか。ジルドレは、かの有名なジャンヌダルクと共に百年戦争で戦った人物です。しかし、その後の人生は大きく変わり、後に青髭という童話でモデルになる程の犯罪者へと変貌を遂げます。そんなジルドレはどのような人だったのでしょうか。

目次

ジルドレの祖父は領地を広げるためにジルを使って政略結婚を企てます。ジルは過去に2度結婚しており、1417年にはジャンヌ・ペインルと行うはずでしたが、フランスの最高司法機関である高等法院で認められず断念しました。

その後1419年に2度目の相手となるマルグリット・ド・ブルターニュと婚約をしますが、死亡してしまいます。諦められなかった祖父は、近隣の領主の娘であるカトリーヌ・ド・トアールと結婚をさせました。

結婚に関するトラブル

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カトリーヌ・ド・トアールは近隣の領主の娘と言っても、両家にあたる高祖父、アモーリ3世・ド・クランがいたため4親等に位置づけられることもあり、この結婚は近親婚になるとされました。

近親婚は、手続きがとても面倒であり、その手続きを嫌がった祖父は、カトリーヌを誘拐します。そして、ジルと強引に結婚させるべく、既成事実を作り略奪婚へと導きました。

ジルを使った結婚を成功させるべく、祖父は色々と悪だくみを企てますが超えれない壁に断念し、最終的には人として行ってはいけない方法を使うという所が、さすがジルの祖父だと言えるでしょう。

ジルドレとジャンヌ・ダルク

Sword Armor Weapon - Free photo on Pixabay (402799)

成長し、軍人に加入したジルドレはジャンヌ・ダルクと出会いますが、その出会いがジルドレの運命を大きく変えてしまいます。

ジルドレの行った戦いは後にジャンヌ・ダルク含めとても名誉なことになりますが、それはどのような戦いだったのでしょうか。

また、ジャンヌ・ダルクと出会ったことでジルドレはどのようになってしまったのでしょうか。ジルドレは歴史に残る犯罪者となったのは何故なのでしょうか。

軍に入った頃から、ジルドレが死ぬまでの経緯を紹介します。

1424年宮廷入り

Venice Doge'S Palace Square - Free photo on Pixabay (402802)

ジルドレが成人した1424年頃、軍人として入隊します。ブルターニュとフランスを結び付けるために動いていたよシャルル7世の姑に協力した祖父により、ジルドレは入隊できました。

この祖父のコネにより、入隊できたジルドレはシャルル7世の側近ジョルジュ・ド・トレイモに重用され、出世を果たし、1425年に初陣を飾りました。

指揮官として戦場に赴いたジルドレは、その勇敢さと懸命な動きで一目置かれるような存在になります。

ジャンヌ・ダルクの監視を命じられる

Binoculars Child Magnification - Free photo on Pixabay (402810)

ジルドレは、シャルル7世からも厚い信頼を得ていました。そんな誇らしい時、ジルドレに一つの任務が言い渡されます。それがジャンヌ・ダルクとの出会いになりました。

シャルル7世の前に出てきたジャンヌは、神の声を聞いたなど普通ではありえないことを発言していたということもあり、異端なのではないかと疑われます。

当時、異端は重い刑に処されます。それだけ異端は重罪ということです。その疑いをかけられたジャンヌを本当に異端か知るために任命されたのがジルドレということです。

1429年オルレアン包囲戦でジャンヌ・ダルクと共に活躍する

Knight Warrior Horse - Free photo on Pixabay (402836)

ジルドレはジャンヌとの時間を過ごしていくうちに、ジャンヌの高潔な思想や人物像に影響を受け、ジャンヌのことを好きになっていきます。それは果たして恋心なのかは本人しか知るすべはないでしょう。

最終的にはジャンヌに協力するようになります。そして、1429年のオルレアン包囲戦でジルドレ指揮官としてジャンヌと共に戦いへ参加し、見事にイギリスからオルレアンを取り返す事に成功しました。

それを機に次々と勝利を取り、救国の英雄と呼ばれるようになりました。

パリ包囲戦後ジャンヌ・ダルクと別れる

The Beginning Of Sunset Sky Day - Free photo on Pixabay (402866)

救国の英雄と称えられたジルドレは、シャルル7世の大聖堂の載冠敷に出席し、軍人の最高位である元帥という名誉を与えら、他家紋に王家の百合が添えられるというとても大きく名誉あるものを授かります。

その後、9月のパリ包囲戦をジャンヌと共に戦ったのち、ジャンヌはシャルル7世と考え方が合わず対立してしまい、ジャンヌとジルの関係もここで終わってしまいます。

そして、運命の瞬間です。1430年5月に、ジャンヌはブルゴーニョ軍に捕虜され、イギリス軍に身柄を引き渡されれしまいます。そして、上記でも記載したように、異端と判断されたジャンヌは処刑されてしまいました。

ジャンヌ・ダルクが捕らえられたことを知り生活が荒んでいく

Whisky Fireside Alcohol - Free photo on Pixabay (402872)

ジャンヌが捕らえられたことで、ジルは一気に荒れ果ててしまいます。ジャンヌが捕まったことを知り、ジルドレは救出するべくルーアンに向かい攻撃をしたりしますが、それも失敗に終わります。

ジャンヌを救出できなかったジルドレの生活は荒れていきます。そして、ジャンヌの死を知りジルドレの精神、生活は想像を絶する程荒れ果てていきます。

この頃のジルドレは国内随一の財力を持ち、その財力を使い自分好みの美少年たちをあるめては身の回りの世話や夜の慰みをも命じていたのではないかとされていました。

散財や浪費を繰り返し錬金術に陶酔

Vanitas Death Skull - Free image on Pixabay (402874)

そんな荒れていたジルドレの主な活動は、財産を少年達以外にも消費し錬金術にはまり詐欺まがいなことまでするようになります。

そんな生活を続けている中、フランス貴族であり、ジルドレに命令を出すなどしていたラ・トレイモユやリッシュモン大元帥の主導権争いにより、ラ・トレイモユの追放などが重なり、ジルドレの立場は最悪な状態になります。

浪費生活を続けていたジルドレは多くあった資金が底をつき借金まで重ねてしまいました。

黒魔術のため少年らを拉致・虐殺

Father And Son Walking Love - Free photo on Pixabay (402880)

錬金術にはまったと記載しましたが、その後財産目的に近づいてきた自称錬金術師であるフランソワ・プレラーティ達と錬金術を成功させるために黒魔術に誘導され、自分の手下を使い何百人もの幼い少年達を拉致、虐殺しました。

ジルドレの最初の犠牲者は召使であった12歳の少年でした。ジルドレが黒魔術に走った経緯は諸説ありますが、少年達を虐殺することに快感を覚えていたようです。

ジルドレは元々女性には興味がなく、少年達に性的興奮を覚えたが故の犯行ではないかと言われています。

1440年聖職者を拉致・監禁したことによりジルドレが捕らえられる

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