ジルドレとジャンヌダルクの関係性とは?ジルドレの青年期と百年戦争

ジル・ドレという人物を知っているでしょうか。ジルドレは、かの有名なジャンヌダルクと共に百年戦争で戦った人物です。しかし、その後の人生は大きく変わり、後に青髭という童話でモデルになる程の犯罪者へと変貌を遂げます。そんなジルドレはどのような人だったのでしょうか。

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ジルドレとは

Gladiator Warrior Gear - Free photo on Pixabay (402692)

ジルドレとはどのような人物だったのでしょうか。ジルドレは決して貧しい家に生まれたというわけでもなく、出生後もすくすくと育っています。

その後の百年戦争でも大活躍した英雄と称される程、フランスに貢献した人物には間違いありません。しかし、後に犯罪へと手を染めていきます。

それはどうしてなのでしょうか。まずはジルドレという人物はどのような人なのか、簡単ではありますが紹介します。

ジル・ド・レー

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ジルドレは、現在でも有名な話の一つとして童話「青髭」のモデルになった人物とされています。ジルドレは髪の毛がブロンドの髭は黒と立派な姿であり、どこから青髭に見えたのだろうかと思いますが、恐らくは髭にかかった光の加減で青く見えたのではないかと言われています。

ジルドレは、百年戦争の真っ只中では、あのジャンヌ・ダルクと戦友と言われる程の大物ですが、後に悪魔貴族と言われる程の人間になってしまいます。

また、語学力もあり頭脳明晰であったことが、大きな犯罪を企てるだけの能力に変わったこともあるでしょう。

フランスの貴族

Mime Pantomime Hulki Okan Tabak - Free photo on Pixabay (402702)

ジルドレの父親はブルターニュ地方の貴族であり、アンジュー領主というフランス王家に近い存在の人に使えていました。

また、ジルドレの母親はブルターニュ・アンジューとの関係が深く、ジルはこの二つの家系が合体して、広い領土を受け継ぐことになりました。

母親の家系は主に問題を起こす人が多く、ジルドレの祖父もその一人でした。ジルドレの母親はジルドレが幼い時に亡くなり、その後父親も事故で亡くなります。

両親は祖父との関係を持つことを嫌がりましたが、その思いも空しく、祖父に引き取られます。その後は富のためにジルドレはいい手駒として使われるようになりました。

百年戦争で活躍した軍人

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成人したジルドレは、軍人になり百年戦争真っ只中のフランス軍に加入します。その時のフランスは存在さえも危うい状況でした。そんな時にフランスの救世主となったのがジャンヌ・ダルクでした。

そして、ジャンヌ・ダルクが属すフランス軍の指揮官であったのがジルドレです。ジルドレとジャンヌは勇敢で圧倒する戦いをしました。

当時イギリス軍が占領していたオルレアンを解放し、近郊のジャルジョー、ボージャンシー、パティと戦い、イギリス軍を撃破し王太子シャルルはフランス王国シャルル7世となりました。

百年戦争とは

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百年戦争は、ジルドレにとってとても重要な戦になります。この戦争では、当時イングランドと呼ばれていたイギリスとフランスの王家同士が起こしたものにより、長く続いた戦争です。

この戦争は、今後のイギリスとフランスの関係を築いていく上で重要だった戦と言え、また二つの国の成長にも繋がりました。

百年戦争では有名なジャンヌ・ダルクも登場しますが、この戦争はどのような戦争だったのでしょうか。またジャンヌ・ダルクとジルドレの関係はどのようなものだったのか紹介します。

1337~1453年に起こった戦い

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百年戦争とは、1357~1453年にフランスとイギリスで起きた長期戦争のことになります。116年と長い期間続いた戦争ですが、原因はフランスのパリ周辺に起源を持つ王家のカペー家の直系男児の断絶であるとされています。

長期の戦争の中、長い休戦もありましたが、実際は56の戦いがあったとされています。その間に疫病の流行などもあり、フランスは人口の半分、イギリスは人口の30%前後を失いました。

結果としては、良き関係を築けるようにはなりますが、長い戦争の中で失ったものはとても多かったことでしょう。

フランス人王朝同士の争い

Chess King Pieces - Free photo on Pixabay (402717)

百年戦争のきっかけはフランス王朝同士の争いが原因ではありますが、かなり複雑な関係が及ぼした結果になります。

百日戦争が始まった時より昔の1066年にイングランド王となったウィリアム1世まで遡ります。ウィリアム1世はフランス国内のノルマンディーとイングランドを統合し、領地を支配しました。

その後ヘンリー2世がイングランド国王になり、フランス王のルイ7世の王妃であるアリエノール・ダキテームと結婚し、フランスの領土は大きくなります。

その後、エドワード3世が統治下にあたった1327年、イングランド王国はフランス国内に所有していた領地を管理できない状態になってしまいました。
Crown Kings Bavaria - Free photo on Pixabay (402718)

当時のフランス王シャルル4世が1328年に死去しますが、その後の後継者にあたる男子がおらず、エドワード3世の母がシャルル4世の妹であることから、自分がフランスの王になると思っていました。

しかし、シャルル4世にはフィリップスという従妹がおり、フィリップスも自分が後継者ではないかと考えます。

1328年、フランスの王位を継承したのは、フィリップス6世となりますが、エドワード3世とフィリップ6世は対立。

その後、フランス領土の一部を没収されたエドワード3世は、フィリップ6世との関係が完全に悪化し、イングランドがフランスに戦争を申し込んだことで、勃発します。

現在のフランスとイギリスの国境線が決定した戦い

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百年戦争のきっかけは王位継承問題と、領土問題によるものという話を上記で触れました。そのため、この戦争によりイギリスとフランスの領土が決まり、現在の国境線がはっきりとした戦いという事には間違いありません。

100年以上続いたこの戦争では、領土の取り合いも多く、どちらかが取っては、またどちらかが取るという繰り返しでした。
White Cliffs Dover - Free photo on Pixabay (402723)

現在、フランスとイギリスの国境はドーバー海峡、又はカレー海峡と海で分かれていますが、1369年頃のフランスとイギリスは多くの条約によりイギリスの支配地域や割譲された領土などが現在のフランスにもありました。

1415年頃には、現在のパリ周辺などはイギリスの支配地になっており、現在のフランスの姿はありませんでした。

百年戦争では、多くの地域がフランスとイギリスの取り合いになっていましたが、フランスとイギリスはこの戦争で、領土の奪い合いの重みを知り、当時はドーバー海峡などで国境を決めたということはないでしょうが、それぞれの国を守るために国境を作る決めてになったでしょう。

ジャンヌ・ダルクの加勢によってフランス軍が巻き返す

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