目次
- 鳥の目、虫の目、魚の目って?
- 成功を掴むための3つの目
- 3つの目は物事を把握するために必要
- 仕事に取り組みやすくなる為にも必要
- 第一の目:鳥の目
- 高い位置から全体を見る
- 全体の流れや動向を知る
- 第二の目:虫の目
- 上からは見えないミクロ世界を見る
- 具体的な戦略を練る為にも絶対必要
- 第三の目:魚の目
- 常に動いている流れの把握
- 環境の変化を見逃さない事
- 昔は「鳥の目、蟻の目」だった
- 元々は大枠から見る、近くから見るという2つの目のみ
- 現在ではコウモリの目も追加された
- 第四の目:コウモリの目
- 固定観念に縛られない視点
- 何のためにやっている事か
- 物事を見る際の注意点
- 1つの目だけが優れていても「全体」は見られない
- 手段の目的化をしない
- 目先のことにとらわれない
- 他人の意見に耳を傾ける
- 様々な場面における3つの目
- スポーツの試合
- 管理者
- 勉強
- 恋愛においても使える
- 恋愛における鳥の目
- 恋愛における虫の目
- 恋愛における魚の目
- 恋愛におけるコウモリの目
- 恋愛における注意点
- 虫の目だけに左右されがち
- 鳥の目が大事になる
- より深い分析には自己理解も必要になる
- 自分自身の物事の分析のクセも理解する
- 自分自身を受け入れる
- 物事をより深く分析する力を身につける
- 様々な視点で物事を見つめ直そう
虫の目は「現場の目」とも言い、物事が実際にどのように動いているかを把握するために必要な視点です。現場で物事の動きに注目し、その場所や人に密着して観察することにより、具体的な戦略を練ることができるのです。
「虫の目」は、マーケティングにおいては顧客や市場に関する情報を得て販売戦略を練る、教育現場においては生徒の理解度を把握し授業内容を変える、というように、現場のニーズをいち早く理解し、それに応じてどのような戦略で進めるか判断するために重要な目です。
「虫の目」は、マーケティングにおいては顧客や市場に関する情報を得て販売戦略を練る、教育現場においては生徒の理解度を把握し授業内容を変える、というように、現場のニーズをいち早く理解し、それに応じてどのような戦略で進めるか判断するために重要な目です。
第三の目:魚の目
「鳥の目」は全体を見る「マクロの目」、「虫の目」は細かい点を掘り下げる「ミクロの目」と言えますが、魚の目はまた違う視点を指します。最も抽象的で難しい「魚の目」についてご紹介しましょう。
常に動いている流れの把握
魚は川の流れや海の潮目を読み、流れが激しい時も穏やかな時もその変化を感じ、適切な対応を取ります。このように、潮の流れの変化をしっかり見極める能力、流れを見る力を「魚の目」と言います。実際は、魚は体の横にある「側線」で水圧や水流の変化を感じており、目で流れを見ているわけではありませんので、「魚の目」は物の例えです。
物事には変化がつきものですが、長期的なゆったりした変化もあれば、急に大きく流れが変わることもあります。その変化の実態を見極めることで、物事への理解が深まり、より適切な対処ができるのです。
物事には変化がつきものですが、長期的なゆったりした変化もあれば、急に大きく流れが変わることもあります。その変化の実態を見極めることで、物事への理解が深まり、より適切な対処ができるのです。
環境の変化を見逃さない事
経済を見る時には、魚の目が最も大切だと言われています。経済は生き物のようにめまぐるしく変化しています。その流れを分析し、まとめたものが経済循環です。
経済循環は繰り返される好況と不況が繰り返される過程を指し、周期や要因によってキチンサイクル、ジュグラーサイクル、クズネッツサイクル、コンドラチェフサイクルの4種のサイクルに分かれます。
経済循環は繰り返される好況と不況が繰り返される過程を指し、周期や要因によってキチンサイクル、ジュグラーサイクル、クズネッツサイクル、コンドラチェフサイクルの4種のサイクルに分かれます。
それらのサイクルが絡み合うことによって、景気が良くなったり悪くなったりします。企業の変化、財政や経済政策、海外経済など流れを生み出す要因を分析し、変化を見逃さないようにしなくてはなりません。
人は基本的に変化を恐れます。今まで得た情報が役に立たなくなり、習慣を変える労力が生まれるからです。そのため変化から目を逸らしがちですが、備えあれば憂いなしです。変化を先読みし、柔軟に対応できる力を養いましょう。そう言った力は、経済のみならず、恋愛やスポーツにも活用できます。
人は基本的に変化を恐れます。今まで得た情報が役に立たなくなり、習慣を変える労力が生まれるからです。そのため変化から目を逸らしがちですが、備えあれば憂いなしです。変化を先読みし、柔軟に対応できる力を養いましょう。そう言った力は、経済のみならず、恋愛やスポーツにも活用できます。
昔は「鳥の目、蟻の目」だった
現在では「鳥の目」、「虫の目」、「魚の目」ですが、昔は魚の目がなく、「鳥の目」(もしくは鷹の目)、「蟻の目」の2つだけでした。
元々は大枠から見る、近くから見るという2つの目のみ
先ほどご紹介した通り、鳥の目は遠くから大枠を眺めるマクロの目、蟻の目は虫の目と同じで、目の前の問題に一歩ずつ取り組んでいくミクロの目です。この2つの目は織物の縦糸と横糸のように交じり合い、お互いを補完しているもので、どちらかが欠けても大切なことを見過ごしてしまいます。
現代ではそれに「魚の目」が加えられました。これは経済、環境、国際関係などが急速に変化する現代社会において、流れに応じて物の見方や考え方を次々と改めていくことの重要性が増したことを示唆していると言えるでしょう。
現代ではそれに「魚の目」が加えられました。これは経済、環境、国際関係などが急速に変化する現代社会において、流れに応じて物の見方や考え方を次々と改めていくことの重要性が増したことを示唆していると言えるでしょう。
現在ではコウモリの目も追加された
そしてさらに「コウモリの目」も追加されました。後で詳しくご紹介しますが、引っくり返ったコウモリのように、一度前提を引っくり返して再構築し、自由な発想で新しい事を生み出す視点を言います。
もちろんこのような視点は現代急に生まれたわけではありません。コペルニクスが地動説を唱えたように、エジソンが白熱電球を発明したように、今までの固定観念を覆す大発見、大発明を成し遂げた多くの先人のおかげで、今私たちは豊かな時代に生きることができます。
しかし、現代では一人ひとりが発明家になり、新しいアイディアを生み出す柔軟な思考を持つことが求められています。コウモリの目は天才しか持てないものではありません。少し視点を変えれば、誰でも新しい景色を見ることができるのです。
もちろんこのような視点は現代急に生まれたわけではありません。コペルニクスが地動説を唱えたように、エジソンが白熱電球を発明したように、今までの固定観念を覆す大発見、大発明を成し遂げた多くの先人のおかげで、今私たちは豊かな時代に生きることができます。
しかし、現代では一人ひとりが発明家になり、新しいアイディアを生み出す柔軟な思考を持つことが求められています。コウモリの目は天才しか持てないものではありません。少し視点を変えれば、誰でも新しい景色を見ることができるのです。
第四の目:コウモリの目
鳥の目、虫の目、魚の目に加え4つ目の目と言われる「コウモリの目」についてお話ししましょう。
固定観念に縛られない視点
コウモリの目とは、逆さにぶら下がっているコウモリのように、物事を逆から見たり、普通の見方にとらわれず、自由な発想で物を見る視点を言います。
物理的にも逆さから物を見るというのは特別な意味を持つようで、日本では「股のぞき」(自分の股の間から顔を出して逆さまに見る動作)によって、幽霊船や物の怪を判別できたり、未来や異世界が見られるという伝習があります。昔の人は、普段当たり前に見ている景色を逆転させることによって、真実や新しい視点が得られることに気づいていたのかもしれません。
物事を逆から見る、新しい発想をするという思考法もあり、「ラテラルシンキング(水平思考)」と呼ばれています。固定観念に縛られず、水平方向に自由に発想を広げるラテラルシンキングによって、ユニークなアイディアを創出できるのです。コウモリの目はラテラルシンキングのために必要な視点であると言えるでしょう。
物理的にも逆さから物を見るというのは特別な意味を持つようで、日本では「股のぞき」(自分の股の間から顔を出して逆さまに見る動作)によって、幽霊船や物の怪を判別できたり、未来や異世界が見られるという伝習があります。昔の人は、普段当たり前に見ている景色を逆転させることによって、真実や新しい視点が得られることに気づいていたのかもしれません。
物事を逆から見る、新しい発想をするという思考法もあり、「ラテラルシンキング(水平思考)」と呼ばれています。固定観念に縛られず、水平方向に自由に発想を広げるラテラルシンキングによって、ユニークなアイディアを創出できるのです。コウモリの目はラテラルシンキングのために必要な視点であると言えるでしょう。
何のためにやっている事か
コウモリの目で物を見る時に大切なのは、前提を明確にすることです。どんなものでも、前提によってそれが持つ意味合いは大きく変わります。
例えば目の前に毛布があったとします。普通なら毛布は「寝る時に使うもの」という目的を持っていますが、「夏場である」ことを前提とすると、「季節外れ、しまわないといけないもの」、「子供がいる」ということを前提とすると、「かぶって遊ぶもの」というように、前提によって、毛布の持つ意味合いが変わってしまいます。この前提を見誤ると、その先の推論や結論も違う方向に行ってしまいます。
コウモリの足は天井に固定されており、どちらの方向を向いているかによって見える景色は全く違ってきます。コウモリの目における「前提の設定」は、コウモリの足にも例えられます。どの場所で、どちらに向けて足を止めるかを決めることがまずは大切なのです。
例えば目の前に毛布があったとします。普通なら毛布は「寝る時に使うもの」という目的を持っていますが、「夏場である」ことを前提とすると、「季節外れ、しまわないといけないもの」、「子供がいる」ということを前提とすると、「かぶって遊ぶもの」というように、前提によって、毛布の持つ意味合いが変わってしまいます。この前提を見誤ると、その先の推論や結論も違う方向に行ってしまいます。
コウモリの足は天井に固定されており、どちらの方向を向いているかによって見える景色は全く違ってきます。コウモリの目における「前提の設定」は、コウモリの足にも例えられます。どの場所で、どちらに向けて足を止めるかを決めることがまずは大切なのです。
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