目次
玄倉ダムの放流を開始
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20時20分に玄倉ダムが放流を開始しました。中州とダムの距離は5kmほど離れていましたがダムが放流されれば間違いなく中州の水位は上がります。
夜間から早朝にかけて警察などが数回避難を呼びかける
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21時10分に警察が到着し、ダム管理職員と警察で再度避難するように勧告をしました。この勧告により日帰りで帰宅した4名を除く21名のうち3名が中州を離れて車へ避難します。
この3名は比較的年齢の高い社員とその妻でした。この勧告の時点で中州と岸の間の水流は勢いを増していたので警察が直接テントへ向かうことは不可能でした。
夜を迎えて足元が見えない状況で避難をすることは危険だと警察が判断して、もしもの時は中州の後ろ側にある山へ避難するように伝えて現場を離れました。その指示にも従わずに一行は中州で一夜を過ごします。
この3名は比較的年齢の高い社員とその妻でした。この勧告の時点で中州と岸の間の水流は勢いを増していたので警察が直接テントへ向かうことは不可能でした。
夜を迎えて足元が見えない状況で避難をすることは危険だと警察が判断して、もしもの時は中州の後ろ側にある山へ避難するように伝えて現場を離れました。その指示にも従わずに一行は中州で一夜を過ごします。
暴風雨となり避難していた社員が消防に救助を要請
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事件当日の8月14日を迎えます。14日の8時までの総雨量は114mmを記録していました。暴風雨は激しさを増し、5時35分には神奈川県全域に大雨洪水警報が発令されました。
6時頃、中州を離れて避難した社員がテントに向かって逃げるように呼び掛け、7時30分には警察官がテントの2m付近まで近づいて避難するよう呼び掛けますがどちらの呼び掛けにも反応はありませんでした。
すでに水流は膝下ほどまで上昇している状態で本格的な暴風雨となっていたため8時4分に、中州を離れて避難していた社員が消防に救助要請をします。
6時頃、中州を離れて避難した社員がテントに向かって逃げるように呼び掛け、7時30分には警察官がテントの2m付近まで近づいて避難するよう呼び掛けますがどちらの呼び掛けにも反応はありませんでした。
すでに水流は膝下ほどまで上昇している状態で本格的な暴風雨となっていたため8時4分に、中州を離れて避難していた社員が消防に救助要請をします。
中州が水没し川の中に一行が取り残される
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8時頃から上流にある玄倉ダムの放流が本格的に始まり、8時30分には一行のいた中州が水没しました。テントの中に水が入り込んで一行はこの時やっと事の重大さに気が付くのです。
この時点で中州のすぐ下にある立間堰堤の水深は1mまで上昇しており、大人でも歩いて岸に向かうのは危険な状況でした。増水により流れが急になっている箇所もあるため岸までの80mを自力で避難するのは不可能となりました。
テントも流されてしまい、一行は残ったパラソルの支柱を支えにして激しい水流に耐えている状態でした。男性たちは上流側に立ち、その後ろで女性と子供はパラソルを使って雨風をしのいでいたのです。
この時点で中州のすぐ下にある立間堰堤の水深は1mまで上昇しており、大人でも歩いて岸に向かうのは危険な状況でした。増水により流れが急になっている箇所もあるため岸までの80mを自力で避難するのは不可能となりました。
テントも流されてしまい、一行は残ったパラソルの支柱を支えにして激しい水流に耐えている状態でした。男性たちは上流側に立ち、その後ろで女性と子供はパラソルを使って雨風をしのいでいたのです。
厳しい気象条件の中救助が難航する
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9時7分に救助隊が現場へ到着します。川を渡る方法で救助を試みますが激流のため渡ることができず断念しました。10時頃には救助隊の2名が断崖をつたい川の対岸に到着します。10時30分に対岸へ向かって、救助索発射銃で救助用ロープを発射しますが1発目は木に引っかかり失敗します。
15分後に2発目が発射されましたが1発目のロープに絡まり、強い水圧の影響もあってメインのロープが一行の元へ届きませんでした。救助活動が開始された時には1時間に38mmという激しい雨が降っていました。
また、10時頃に報道関係者が現地へ到着して救助活動の様子が生中継され始めます。
15分後に2発目が発射されましたが1発目のロープに絡まり、強い水圧の影響もあってメインのロープが一行の元へ届きませんでした。救助活動が開始された時には1時間に38mmという激しい雨が降っていました。
また、10時頃に報道関係者が現地へ到着して救助活動の様子が生中継され始めます。
中州に取り残されていた一行が流される
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11時を過ぎると水深が2m近くまで上昇して大人の胸の高さにせまりました。そして11時38分、水流に耐えきれず18名全員が川に流されました。
救助隊や報道関係者が岸で見守る中濁流に流されてしまったのです。川に流される様子は生中継でテレビに放送される事態となりました。
すぐ下流には立間堰堤があり、この堰堤より下に落ちたらまず助からないであろうことは明白でした。
救助隊や報道関係者が岸で見守る中濁流に流されてしまったのです。川に流される様子は生中継でテレビに放送される事態となりました。
すぐ下流には立間堰堤があり、この堰堤より下に落ちたらまず助からないであろうことは明白でした。
流された大半の人が亡くなるという大惨事に
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流される間際に1歳男児が岸へ向かって放り投げられたため別グループのキャンプ客によって救出されました。その他、大人3名と子供1名が岸に流れ着いて助かりました。
残る13名は中州すぐ下流の立間堰堤から流れ落ちて姿が見えなくなりました。その日の夜には丹沢湖で2名の遺体が発見されます。その後8月15日から8月29日にかけて残る11人の遺体も丹沢湖で見つかりました。
結果としてキャンプの参加者25名のうち13名が亡くなるという大惨事となったのです。
残る13名は中州すぐ下流の立間堰堤から流れ落ちて姿が見えなくなりました。その日の夜には丹沢湖で2名の遺体が発見されます。その後8月15日から8月29日にかけて残る11人の遺体も丹沢湖で見つかりました。
結果としてキャンプの参加者25名のうち13名が亡くなるという大惨事となったのです。
玄倉ダムの放流の経緯や理由
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中州の上流にあった玄倉ダムの放水により中州が水没して今回の事故は起こりました。放水までの経緯や下流に人がいてもどうしても放水しなければならなかった理由を見ていきましょう。
玄倉ダムの規模や目的
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玄倉ダムは水力発電を目的としたダムで型式は重力式コンクリートです。高さ14.5m、長さ30.5mで貯水容量が小さいため水を溜めて洪水を防ぐ機能はありませんでした。
洪水調節機能を持つダムであれば洪水が起きれば貯水池に水が溜まる機能がありましたが洪水調節機能がないだけではなく、貯水池が小さいため空の状態でも数時間で満水となる構造でした。
貯水池への流入が毎秒50㎥を超えると放水するよう規定がありましたが事故当時は毎秒100㎥の流入があり数分で満水になったと推測されています。
洪水調節機能を持つダムであれば洪水が起きれば貯水池に水が溜まる機能がありましたが洪水調節機能がないだけではなく、貯水池が小さいため空の状態でも数時間で満水となる構造でした。
貯水池への流入が毎秒50㎥を超えると放水するよう規定がありましたが事故当時は毎秒100㎥の流入があり数分で満水になったと推測されています。
玄倉ダムの放流開始・中止・再開の経緯と理由
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玄倉ダムでは8月13日の20時20分に最初の放流がありました。深夜から早朝にかけても雨が降り続いたため8月14日の6時35分に本格的な放水が始まります。
18名が流される30分ほど前の11時頃には警察からの要請を受けて放水が中止されますが、すぐに貯水量が満水となり崩壊の危機に直面したためわずか5分で放水が再開されました。
下流に人がいるにもかかわらず放水が続けられたことに対しては疑問が呈されましたが放水をしなければ玄倉ダム自体が決壊する可能性が大きかったのです。玄倉ダムが決壊した場合、ダムの下流にある丹沢湖も決壊を起こす恐れがあり深刻な人的被害が想定されたため放水を止めることはできませんでした。
18名が流される30分ほど前の11時頃には警察からの要請を受けて放水が中止されますが、すぐに貯水量が満水となり崩壊の危機に直面したためわずか5分で放水が再開されました。
下流に人がいるにもかかわらず放水が続けられたことに対しては疑問が呈されましたが放水をしなければ玄倉ダム自体が決壊する可能性が大きかったのです。玄倉ダムが決壊した場合、ダムの下流にある丹沢湖も決壊を起こす恐れがあり深刻な人的被害が想定されたため放水を止めることはできませんでした。
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