2019年10月2日 更新

つくば母子殺人事件とは?事件発生の経緯や犯人についても

1994年、母親と2人の子供が殺害され遺体が遺棄されるという凄惨な事件が起きました。犯人は誰だったのか、目的は何だったのか、単独犯なのか複数犯なのか、残された俵結びの謎とは…。当時の報道の問題点も含めて解説していきます。

目次

1997年4月14日、東京地方裁判所で死刑判決が下されました。即日控訴していますが、2001年6月28日、東京高等裁判所で一審支持・控訴棄却、さらに上告をしましたが2006年1月17日、最高裁判所が弁護側の上告を棄却しました。

そして2008年6月17日、東京拘置所で死刑が執行されました。宮崎は冷静に執行を受け入れたそうです。宮崎の死刑執行は、当時大きなニュースとして取り上げられ、再度「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」がメディアに取り上げられました。

エリートが起こした事件一覧

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「つくば母子殺人事件」を起こした野本岩男は医師であり、一般的にみてエリートと言って差し支えないでしょう。この
「エリートであること」が野本と妻・映子さんを精神的に追い詰めた一因かもしれません。もし野本が普通の会社員であったら、身の丈に合った生活をしていた可能性もあります。

エリートというのは裕福な生活や地位を手に入れている反面、少しの失敗で道を踏み外しかねません。そんなエリートたちが起こした事件を紹介します。

慈恵医大病院医師不同意堕胎事件

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2009年1月、当時36歳だった東海大学医学部出身の男性医師が、30歳代の女性看護師と交際していました。その女性が妊娠したのですが、医師は別の女性と直前に結婚していたのです。

女性の妊娠が妻に知られ、離婚話に発展することを恐れた男性は、「ビタミン剤」と称して、何度も女性に子宮収縮剤の錠剤を飲ませました。また「栄養補給」と偽り、子宮収縮剤を点滴しさらに陣痛誘発剤も使用したのです。その結果女性は流産してしまいました。なお女性は出産を希望していて、胎児は妊娠6週目でした。

予備校生金属バット殺人事件

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犯人の予備校生は幼少時から成績優秀でしたが、早稲田大学などの受験に失敗し、予備校へ通いましたが成果は上がりませんでした。1年浪人しましたが、大学受験は上手くいかず、父親に大学受験を諦めることを勧められました。

なんとか2浪を許してもらったものの、ストレスは膨らみ、父親のキャッシュカードを無断使用したり、飲酒をするようになります。事件前夜にこれらの行為が両親に見つかり、叱責され、蹴られました。家庭での居場所を失った予備校生は数時間後の翌日早朝、大量に飲酒し、金属バットで両親を撲殺したのです。

千葉大女医殺人事件

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1983年1月7日の早朝、千葉市葛城の路上で、若い女性がうつぶせに死亡しているのを新聞配達員が発見しました。運転免許証から、被害者は千葉大医学部研究生であることが判明しています。

この事件の犯人は、女性の夫である医師でした。この医師も野本と同じように女性関係がだらしなく、金銭問題を抱えていました。

女性に愛人の存在が露呈し逃げ場を失った医師は、強盗に襲われたように見せかけて殺害したのです。後にこの医師は、刑務所で自殺しています。

子供が犠牲になってしまう事件がなくなることを願う

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「つくば母子殺人事件」について解説してきましたがいかがだったでしょうか。親の勝手な都合で殺害され、人生を奪われた愛美ちゃん、優作ちゃんは生きていれば、成人し社会人として立派に自立していたことでしょう。

無抵抗の子供たちが、大人の勝手な都合や欲望で命を奪われ、希望に満ちた人生を強制的に終わらせられるなんて非常に悲しいことです。どうか子供たちが犠牲になるような事件が今後起こらないことを、切に願います。

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