2019年10月2日 更新

つくば母子殺人事件とは?事件発生の経緯や犯人についても

1994年、母親と2人の子供が殺害され遺体が遺棄されるという凄惨な事件が起きました。犯人は誰だったのか、目的は何だったのか、単独犯なのか複数犯なのか、残された俵結びの謎とは…。当時の報道の問題点も含めて解説していきます。

目次

映子さんは離婚後、土浦市を離れ同じ県内のつくば市に移り住みました。元々看護師になりたいという夢を持っていたようで、少しでも夢に近づきたいと医療現場で働くことにしました。

ついた職は「つくばメディカルセンター」の受付業務です。当時、後の夫である野本はこのメディカルセンターで医師の研修を受けていました。

そして先述した通りテニスをきっかけに出会い、不誠実ながらも交際に発展、妊娠・中絶・そして2度目の妊娠を経て映子さんは野本と結婚したのです。

結婚後は借金返済に追われていた

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優秀な医師である野本と結婚しやっと幸せをつかんだようにみえた映子さんでしたが、その結婚生活は理想とはかけ離れたものでした。収入は十分にあるのに、借金の返済に追われていたのです。

野本は投資や遊び、女性に収入以上の金額を費やしていました。おそらく映子さんも、やめるように説得したこともあったでしょう。しかし野本の浪費は、収まることはなかったようです。

子供が2人生まれても、野本はお金を使い続け映子さんは借金を返し続けました。

夜はランジェリーパブで勤務

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映子さんは長男・優作ちゃんの出産して1年経過していないうちから、働き始めます。職場は微生物研究所で、事務員として雇われていました。

しかし事務員の給料だけでは、借金の返済には到底間に合わない状態でした。この時野本は、家に生活費すら入れていなかったようです。家は一軒家の賃貸、ゴールデンレトリーバーを飼っている「医師らしい暮らし」を保つための生活費も、映子さん頼りだったのです。

とうとう映子さんは昼だけではなく、夜も働き始めます。高額な給料を得るためランジェリーパブに勤務し、生活を支えていました。

犯人・野本岩男について

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妻・映子さんの人生は、苦労の連続と言っても過言ではないものでした。では加害者である野本はどのような人生を歩んできたのでしょうか。

「医師免許を持ち、大きな総合病院に内科医として勤めている」というと、一般的には非常に恵まれた、裕福で充実した生活を想像します。医師というのは人間的にも成熟していて、立派な人間で信頼できるとみる人もいるでしょう。

しかし野本が送っていた生活は、想像する医師の生活とは180度違うものでした。

農家の次男として誕生する

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野本岩男は茨城県の農家に、次男として昭和40年に誕生しました。幼少期から聡明で、就学後も優秀な成績を上げていました。中学時時代は学年トップの成績を収めていたようです。

成績を鼻にかけることなく努力を続けた野本は、地元の進学校である茨城県立水海道第一高等学校に進学します。農業を営む親からすると自慢の息子だったことでしょう。

高校時代も優秀な成績を収め、卒業後は浪人するものの周囲の期待に応えるように筑波大学医学部に進学しました。

成績優秀な学生時代を過ごす

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農家の息子ながら医学部に進学した野本は、親の期待もあったためか優秀な成績で学生時代を過ごします。もともと地頭は良かったのでしょうが、医学部で成績優秀でいるためにはそれなりの努力が必要だったことでしょう。

医学部を留年することなくストレートで卒業した野本は、つくばメディカルセンターで研修医として勤務を開始します。ここでもかなりの努力をして、研修に取り組んでいたに違いありません。こうして野本は「医師」という社会的地位を手に入れました。

妻に中絶をさせていた

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つくばメディカルセンターで研修医をしている期間に妻・映子さんと出会った野本は、すぐに男女の関係となり、新しい命を授かりました。しかし当時野本には他に付き合っている女性がいたため、映子さんには中絶してもらうという選択をします。

普通であればそれで関係が清算されるところですが、映子さんとの交際は継続して後に二度目の妊娠をきっかけに結婚するのです。中絶したときに付き合っていた女性とその後関係が続いていたかどうかはわかりませんが、このエピソードで野本が女性に対して不誠実であるということははっきりしました。

投資による借金を背負っていた

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医師として高額な収入を得ていた野本は、ある時期から不動産投資を始めます。金融機関から借り入れをし、神戸などの主要都市3か所にマンションを購入したのです。

しかし不動産投資というのは必ずしもうまくいくものではありません。借り手が付かず家賃収入が得られない、売却益が得られないなど、失敗することも多いのです。

野本も不動産投資では利益が得られず、借り入れたお金はそのまま借金となりました。毎月利息を返済するのが精いっぱいの時期もあったようです。

優秀で評判の良い医師だった

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総合病院の内科医、それも医局長という地位をもっていた野本は、患者の評判は上々でした。医師の仕事の8割は患者の話を聞くこととも言われますが、野本は患者の訴えをよく聞き、親切に対応していたようです。

また同僚や上司からの評価も高く、医局の中でも一目置かれる存在でした。卒後4年の29歳は医師としてはまだ駆け出しで、研修が終わり2年しか経過していない中、高い評価を得るためには大変な努力と人柄が必要です。野本はその信頼と評価を見事に勝ち取っていました。

勤務先の病院に8人の愛人がいた

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医師の中には、女好きと言われる人が多くいます。医師という職業を好む女性も、世の中には数多く存在しています。その利害関係が一致して、愛人関係が結ばれることはままあることです。

野本も例にもれず婚外恋愛を楽しんでいたようですが、一部の情報によると勤務先の総合病院だけで8人の愛人を持っていたということです。妻以外の愛人がいるだけでも神経を使いそうなものですが、8人も愛人を持っていては身が持たなそうなものですが、野本は自ら望んでその状況に身を置いていました。

浮気を隠していなかった

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