2019年10月11日 更新

勝田清孝の生い立ちとその最期!連続殺人犯になる前の様子とは

1972~1983年の10年もの間、昼は真面目な消防士として働き、夜は金品狙いで水商売の女性を襲い、暴行を加え絞殺する凶悪残虐な犯行を、冷静着実に繰り返した『勝田清孝』は、戦後犯罪史上に残る33の罪に問われ死刑になりました。息子や家族や生い立ちに迫ります。

ここまで卑劣な犯罪を10年もバージョンアップさせておいて「反省する」という言葉を持ち出されても「ふざけている」としか思われないはずです。反省してもしきれる範囲をとうに超えています。

33人もの命を勝手に絶っておいて、何をどう反省すれば反省したことになるのでしょう?寝ずに食べずに苦しみのたうち回り続ける生活を送るわけでもなく、心を落ち着かせてもらい、励ましや慰めの行動で「本当は良い人間」などと言われて過ごす死刑囚に反省の色を見出すことは難しすぎます。

刑務所での様子

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (694753)

死刑執行までの1年間は、名古屋拘置所に収監されていた51歳の死刑囚『勝田清孝』は、重度の腰痛に悩まされ、ほとんど寝たきりになっていたそうですが、ただの甘えでしょう。もう破れかぶれというか「何もしたくない」というのが本音でしょう。

この甘えた自分勝手な人間に勝手に殺害された被害者に比べると、なにか文句を言えるほうがおかしい。

残された遺族の人生もズタボロにされ、1972年から起こされた事件が1983年に逮捕されて、1994年にようやく死刑判決が下され、2000年まで死刑執行を待たされたのです。

養子縁組は何故したのか

Baby Girl Sleep - Free photo on Pixabay (694754)

死刑判決後、勝田清孝は徹底的に自分の殻に閉じこもり始め、自分がどれだけ恐ろしい犯罪を犯したということを忘れたようにスネ始め、やぶれかぶれになっていました。

よっぽど暇なのか、そんな勝田に8年間で600通、200回以上の面会に足を運び、勝田に「たった一人の心友」とまで呼ばせるまで心を穏やかにさせた「カトリック名古屋教区正義と平和委員会」所属で名古屋在住の主婦でありクリスチャンの『来栖宥子』という1人の女性がいます。

自分の実母(藤原姓)と養子縁組させることで『藤原清孝』にさせ、勝田の義理の姉となることで、気が小さく人の目を気にしすぎる33人の殺人犯の心を死刑執行まで癒やしたのです。自己満足のためだけの正義は、さぞ遺族をさらに傷つけたでしょう。

最後の日

Hanging Rope Hangman - Free vector graphic on Pixabay (694755)

2000年11月30日、法務省の死刑執行命令により、収監先の名古屋拘置所で、33人を殺害した52歳の死刑囚『藤原清孝(勝田清孝)』の死刑が執行されました。20世紀最後の死刑執行でした。

勝田は死刑執行当日「極度に怖がるでしょうから」と配慮され、1人の死刑囚の死刑執行後に死刑執行されることになり、僧侶らから説得されて刑場の隣の部屋で、実の両親と義理の姉に遺書を残しました。殺害された33人と真逆で、思い残すことなどなかったでしょう。

遺書を書き終えた後、煙草を一服し、僧侶に付き添われて刑場に向かい、執行直前に刑務官に対し「僧侶の顔を見たいから目隠しを取ってほしい」と要望し、般若心経を読んで被害者1人1人の名前をつぶやき「ごめんなさい」とつぶやいたそうです。

実に我が侭な連続殺人の特徴

People Knife Stabbing - Free photo on Pixabay (694756)

まるで「あなたは無能です」と暗示にかけるような「度が過ぎた子供扱い」をされ続けたり、しつけという「ただの監視」により否定され続けて、自分という人間を確立させないまま年齢だけ大人にしてしまうと、もれなく勝田清孝のような人間が出来上がります。

子どもが大人にさせられないまま、黙って従うことを飲むという選択をさせられるのです。大人の自己満足を満足させるための道具になってしまったわけです。

きちんと愛されて成長を促されて大人に育ってきた子どもは、勝田清孝のような「だって、だって」というような大人にはなりません。しっかり自分を見つめて確立していける『大人』になっていくのですから。

殺害を悪いと思っていない

Crime Criminal Murder - Free image on Pixabay (694757)

勝田清孝が犯した殺害は、快楽殺人のように見えますが、実は違っていて「こんなはずじゃなかったのに」のりカバーのリカバーされていった結果です。

「ちょっとかばんを覗いたはずが」「ちょっとお金が足りなかったから」「殺すつもりではなかったのに暴れるから」「引き金を引くつもりなどなかったのに驚かせるから」などという具合です。

もちろん目的を達成できたことで、気持ちがスッキリする部分はありましたが、快楽殺人とはまた別物だったのです。

後先は考えていない

Background Blood Stain - Free image on Pixabay (694758)

勝田清孝が起こした事件は、綿密に寝られた計画でもなく、当の本人が「なぜここまで捕まらないのか?」と不思議に思うほど後先考えない犯行だったために、逆に警察に理解されず、勝田の犯行とされているものの多くは初め「別件だ」と思われているほどでした。

わかりやすく言うと「玄人に素人の考えが読めなかった事件」とも言えます。例えば、駆け落ちするほど好きな妻とキャッキャしながらテレビに出ている6日前に、誰がクラブホステスをカネ目当てで殺害した犯人だと疑うのでしょう?

自分の事しか考えていない

Hand Blood Smeared - Free image on Pixabay (694759)

勝田清孝も、他の凶悪殺人犯と同じように「死刑反対派」の支援団体からスカウトされて本を出版しています。

本を出すことで、心の底からデトックスできる上に「100%悪い人はいない」とばかりに「本当は良い人間」というところまでおだてられ褒めそやされ、さぞかし心置きなくスッキリ命を断てたでしょう。

33人の、無関係でいきなり殺害された人達は、人生をズタボロにされた遺族は、最初から最後まで「身勝手」な殺人者を受け入れるという選択しか残されません。

殺人が溢れている現代に慣れてはいけない!

Horror Assassination Attempt - Free photo on Pixabay (694760)

物事には『耐性』がついてくることがあります。10年前には「信じられない」「怖ろしい」と思われていたことが「別になんとも思わない」「もっと怖ろしいことを見た・聞いた・経験した」となり、テレビやネットで「閲覧注意」どころの話ではないほどの衝撃画像・映像・ゲームが簡単に見れます。

でも、よく考えてください!これはよい兆候などではないはずです。何目的でトラウマになるレベルの恐怖を味わいたいと思うのでしょうか?殺人が溢れている現代に慣れることで良いことなど一つもないでしょう。

コミックやアニメに殺人の描写が増えている

Psycho Shower Stabbing - Free vector graphic on Pixabay (694761)

実写よりコミックやアニメの方が、殺人の描写のグロテスクさやリアルさは薄くなるのでしょうが、慣れてしまえば「もっと、もっと」「リアルが見たい」という流れになってゆくのでしょうか?

「恐怖」という感覚を麻痺させることで得られるメリットなどあるのでしょうか?「コミックやアニメだから大丈夫」と何でもリアルに描いてしまうことの最終目的地はどこなのでしょう?

コミックでもアニメでも実写でも、殺人は殺人です。殺人鬼をさらに殺人へ導いたり満足させる以外に、リアルにするメリットなどありません。

殺人とゲームを合体させる事で麻痺している

Splatter Blood Drops - Free vector graphic on Pixabay (694762)

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