目次
- 天使が悪魔になった久留米看護師連続保険金殺人事件
- 久留米看護師連続保険金殺人事件が起きるまで
- 1979年看護専門学校で出会う
- 1992年夫と別居した吉田純子と堤美由紀が同居を始める
- 吉田純子は嘘をつき堤美由紀からお金を巻き上げ続ける
- 吉田純子は堤美由紀に肉体関係を迫る
- 1993~94年吉田純子は同僚からの借金を踏み倒す
- 久留米看護師連続保険金殺人事件の概要
- 1998年池上和子の夫を注射器を使い殺害
- 同僚看護師を脅し1,000万円をだまし取る
- 1999年石井ヒト美の夫を注射器を使い殺害
- 保険金及び多額の退職金を手にする
- 3人の共犯者を同じマンションに住ませる
- 2000年堤美由紀の母親に対する殺人未遂
- 2001年自責の念にかられた石井が自首
- 2002年吉田他2名も逮捕される
- 逮捕まで手に入れた総額は2億円以上と言われている
- 主犯格吉田純子という人物
- 1959年7月福岡県で誕生
- 父の仕事の都合で貧乏な幼少期を送る
- 母親は父親にたいしての愚痴を純子に愚痴ることが多かった
- 母親は4歳年下の弟を可愛がり純子には厳しく接した
- 純子には幼少期から虚言癖があった
- 1975年看護学科に入学
- 1978年詐欺行為を行い停学処分を受ける
- 1979年看護専門学校に入学
- 1981年6歳年上の自衛官と結婚
- 3人の子どもに恵まれる
- 共犯堤美由紀という人物
- 看護学校卒業から8年後連絡を取り合うようになる
- 不倫を知られ吉田に付け込まれる
- 罪悪感や抱えるトラブルによって判断能力が低下する
- 吉田に従い身の回りの世話や子どもの世話まで行う
- 共犯石井ヒト美という人物
- 吉田の連絡によって徐々に仲良くなる
- 石井の夫には金銭トラブルがあると嘘をつき殺害に加担させる
- 堤の母親の殺害を命じられた
- 子どもを手放すように指示されたことにより精神的に追い詰められた
- 吉田たちに強迫されていることを警察に相談し事件が発覚
- 共犯池上和子という人物
- 石井と同時期に吉田と仲良くなる
- 同僚看護師をいじめていた件を咎められる
- 子どもを施設に預け同居に近い生活を送る
- 池上の夫が和子及び子どもを殺害しようとしていると嘘をつき殺害
- 吉田純子に3人が従った理由
- 嘘をでっちあげ不安を煽り手を差し伸べる
- 「先生」という架空の人物を作り出す
- 外部の情報を遮断しマインドコントロール
- 自身の目の届く場所で行動させ常に監視
- 召使のように扱い自尊心を奪う
- 久留米看護師連続保険金殺人事件の裁判とその後
- 多くの罪で起訴される
- 吉田純子に死刑判決が下る
- 反省した様子を見せるも「自著を出したい」
- 堤美由紀は無期懲役
- 石井ヒト美は懲役17年
- 池上和子は判決前に子宮がんで死去
- 吉田純子のみ控訴するも棄却され刑が確定する
- 死刑執行前吉田純子は報道機関に手記を寄せていた
- 2016年吉田純子の死刑執行
- 悪魔でも母親
- 保険金殺人事件が発覚するまで親子関係は悪かった
- 吉田純子の長女は母親を助けたいと思った
- 母親の保釈を求めて奮闘
- 母親は長女殺害も計画していた
- 吉田純子は悪魔だったのか
- 金銭目的で殺人を犯すのは悪魔
- お金が欲しいという欲求は誰しも持っている
- 幼少期の環境が大きく影響している
- 子どもは側に置き続けた
- 自身の夫には手を下さなかった
- 子どもが母親を愛する理由
- 吉田純子は天使だったのか悪魔だったのか
吉田純子がまだ幼かったころ、父親は自衛官を辞めてしまいます。自衛官を辞めた理由は、家庭の事情だったと言われており、決して父親が「楽をしよう」「もう働きたくない」といった理由ではありませんでした。その証拠に、父親はすぐに、次の仕事となる自動車修理工場を設立します。
しかし、この事業がなかなか上手くいきませんでした。父親が経営する自動車修理工場の収入だけでは、家族4人で暮らすには心もとなく、母親は内職や家政婦として働き、家庭をサポートすることになります。それでも、吉田純子の家庭は、貧困だったようです。
幼少期に貧困生活が続いたことから、金に執着心を持ち、犯罪行為に走ったとも考えられています。
しかし、この事業がなかなか上手くいきませんでした。父親が経営する自動車修理工場の収入だけでは、家族4人で暮らすには心もとなく、母親は内職や家政婦として働き、家庭をサポートすることになります。それでも、吉田純子の家庭は、貧困だったようです。
幼少期に貧困生活が続いたことから、金に執着心を持ち、犯罪行為に走ったとも考えられています。
母親は父親にたいしての愚痴を純子に愚痴ることが多かった
via pixabay.com
母親は父親にたいして日常的に感じる不平不満を、吉田純子にこぼし続けました。稼ぎが少ないことはもちろん、暴力行為にたいしても、母親は愚痴をこぼすようになります。吉田純子の父親は、母親にたいして当たり散らすことが度々あり、非常に暴力的だったようです。
こうした母親の振る舞いから、男性にたいして不信感を募らせていった可能性が考えられます。久留米看護師連続保険金殺人事件のターゲットとなったのは、共犯者の夫たちです。女性を殺人する計画もあったものの、最終的に手を下すことはありませんでした。
こうした母親の振る舞いから、男性にたいして不信感を募らせていった可能性が考えられます。久留米看護師連続保険金殺人事件のターゲットとなったのは、共犯者の夫たちです。女性を殺人する計画もあったものの、最終的に手を下すことはありませんでした。
母親は4歳年下の弟を可愛がり純子には厳しく接した
via pixabay.com
母親は、純子に愚痴をこぼすばかりでしたが、純子の弟にはただひたすら優しく接しました。母親が弟ばかり可愛がった理由は、弟が非常に優秀だったからです。勉強はもちろん、運動神経も優れていたため、母親だけではなく父親まで弟を大変可愛がりました。
弟と比べできが悪かった純子にたいして、両親は厳しいしつけを行います。時には、暴力的な行為もあったようです。幼い純子は、なんとか両親の愛情を受けようと、あらゆる方法を考えたでしょう。その一つが、嘘です。
弟と比べできが悪かった純子にたいして、両親は厳しいしつけを行います。時には、暴力的な行為もあったようです。幼い純子は、なんとか両親の愛情を受けようと、あらゆる方法を考えたでしょう。その一つが、嘘です。
純子には幼少期から虚言癖があった
via pixabay.com
吉田純子には、幼少期から虚言癖がありました。虚言癖という癖が形成される理由は多々ありますが、自分を大きく見せたいという理由も存在します。弟ばかり愛され、体罰を受けていた吉田純子は、自分をより大きく見せることで、両親から愛されようとしたのでしょう。
他にも、劣等感が強く自分に自信がないために、頻繁に嘘をつく場合もあります。劣等感が強くなる理由もまた、幼少期の両親との関係に要因があると言われているのです。この癖が、吉田純子の人生に、大きな影響を及ぼすこととなります。
他にも、劣等感が強く自分に自信がないために、頻繁に嘘をつく場合もあります。劣等感が強くなる理由もまた、幼少期の両親との関係に要因があると言われているのです。この癖が、吉田純子の人生に、大きな影響を及ぼすこととなります。
1975年看護学科に入学
via pixabay.com
1975年、吉田純子は私立佐賀女子高校衛生看護かに入学しました。吉田純子は私立佐賀女子高校衛生看護に入学する際、奨学金制度を利用していることから、実家は当時もまだ裕福ではなかったと考えられます。
また、私立佐賀女子高校衛生看護に入学する際の手続きや、奨学金を利用する申請などは全て、吉田純子が1人で行いました。こういったことから、両親の愛情は当時も、弟ばかりに集中していたと考えられます。吉田純子の虚言癖は、私立佐賀女子高校衛生看護で本格的に表れ始めました。
また、私立佐賀女子高校衛生看護に入学する際の手続きや、奨学金を利用する申請などは全て、吉田純子が1人で行いました。こういったことから、両親の愛情は当時も、弟ばかりに集中していたと考えられます。吉田純子の虚言癖は、私立佐賀女子高校衛生看護で本格的に表れ始めました。
1978年詐欺行為を行い停学処分を受ける
via pixabay.com
1978年、吉田純子が高校2年生になった時、学校から停学処分を受けました。その理由は、嘘による詐欺行為です。吉田純子は、友人の妊娠中絶費用だと称し、大勢のクラスメイトからお金を受け取りました。もちろん、友人の妊娠中絶は、吉田純子の作り出した嘘話です。
1回目で味を占めた吉田純子は、再び嘘をついてお金を集めようと試みますが、それはあっけなく失敗します。2度目だったことから、誰も信用しなかったのです。この出来事が学校側に発覚し、2か月間の停学処分を受けることとなりました。
1回目で味を占めた吉田純子は、再び嘘をついてお金を集めようと試みますが、それはあっけなく失敗します。2度目だったことから、誰も信用しなかったのです。この出来事が学校側に発覚し、2か月間の停学処分を受けることとなりました。
1979年看護専門学校に入学
via pixabay.com
詐欺行為によって2か月間の停学処分を受けた吉田純子は、世間体や学問等の遅れを考え、転校することとなります。転校先は、通学していた私立佐賀女子高校衛生看護と同じ系列の、武雄校舎です。転校したことによって、吉田純子は准看護師の資格しか取ることができませんでした。
自身のついた嘘によって、転校することとなり、正看護師の資格取得も叶わなかった吉田純子でしたが、反省の態度は全く見られません。その証拠に、転校先でも多くの嘘をつきます。野球部のエースと交際している、御曹司と付き合っているなどと嘘をついたり、友人同士の仲を引き裂くような嘘も吹聴していました。
吉田純子は、こういった経験から、嘘によって他者を操る特徴を身に着けていったと考えられます。
自身のついた嘘によって、転校することとなり、正看護師の資格取得も叶わなかった吉田純子でしたが、反省の態度は全く見られません。その証拠に、転校先でも多くの嘘をつきます。野球部のエースと交際している、御曹司と付き合っているなどと嘘をついたり、友人同士の仲を引き裂くような嘘も吹聴していました。
吉田純子は、こういった経験から、嘘によって他者を操る特徴を身に着けていったと考えられます。
1981年6歳年上の自衛官と結婚
via pixabay.com
吉田純子は准看護師の資格を活かし、一度就職します。しかし、再び看護専門学校に入学し、そこで正看護師の資格を取得しました。この時入学した学校は、聖マリア看護専門学校です。現在は、聖マリア学院短期大学と呼ばれています。
この時入学した学校で、後に共犯となる3人の女性たちと出会いました。当時から、吉田純子がリーダー的存在だったと言われています。22歳となった1981年、吉田純子は7歳年上の自衛官と交際を実らせ、結婚しました。結婚生活は、夫の実家で同居という形でスタートします。
この時入学した学校で、後に共犯となる3人の女性たちと出会いました。当時から、吉田純子がリーダー的存在だったと言われています。22歳となった1981年、吉田純子は7歳年上の自衛官と交際を実らせ、結婚しました。結婚生活は、夫の実家で同居という形でスタートします。
3人の子どもに恵まれる
via pixabay.com
結婚後、吉田純子と夫との間には、3人の娘が誕生します。この頃、吉田純子と夫は、夫の祖母の養子となりました。養子になった理由は、祖母が土地を所有していたからです。のちに、祖母が所有していた土地を相続した吉田純子は、その土地を担保に3,000万円の借金をし、贅沢な生活をおくりました。
この時、吉田純子の夫はマインドコントロールされていたという説も存在します。養子縁組を受け入れ、相続した土地を担保に借金をした妻を咎めなかったからです。
この時、吉田純子の夫はマインドコントロールされていたという説も存在します。養子縁組を受け入れ、相続した土地を担保に借金をした妻を咎めなかったからです。
共犯堤美由紀という人物
via pixabay.com
久留米看護師連続保険金殺人事件の共犯者の1人は、堤美由紀です。堤美由紀もまた、吉田純子と同じ看護師という職業についていました。吉田純子に出会い、大きく人生が変わった女性の1人であり、吉田純子と1番関係が深いとされた人物です。
ここからは、堤美由紀という人物の生い立ちや、吉田純子との出会い、どのような過程を経て犯罪行為に及んでいったのか、詳細にご紹介していきましょう。
ここからは、堤美由紀という人物の生い立ちや、吉田純子との出会い、どのような過程を経て犯罪行為に及んでいったのか、詳細にご紹介していきましょう。
看護学校卒業から8年後連絡を取り合うようになる
via pixabay.com
3 / 8