2019年10月22日 更新

尼港事件とは?教科書では語られていない大量虐殺事件の真実

かつて尼港と呼ばれたロシアの町で、女性も子供も関係なく、多くの日本人が虐殺された事件がありました。しかし、教科書ではこの尼港事件のことはほとんど語られていません。この記事では事件の詳細や、報復として起きた事件、生き残りの人々の証言などを紹介します。

目次

日本の教科書においては、そもそも事の発端となったシベリア出兵に関することからして、「日本がシベリアでの勢力拡大を狙い、連合国間の協定に違反する大兵を派遣し、撤退したのも最後だった」と記述されており、日本の悪行の一つのように書かれています。

そこでは、日本軍がこの地の治安維持を行っていたことや、アメリカなどがその任を放棄して撤退したこと、非道の限りを尽くした赤軍パルチザンによる横暴などは触れられていません。

死者への冒涜であるという考えも

Skulls Horror Death - Free image on Pixabay (716808)

この事件が起きた当時は、「国辱である」として多くの日本人が憤り、その怒りは加害者の赤軍パルチザンのみならず、後手後手に回るような指示しか出さなかった日本軍司令部や、この事件を「不可抗力である」とした政府にも向きました。

ところが戦後になると、一転してこの事件を表に出さないような動きに変わっていき、それが戦後教育の教科書にも、「詳細を記述しない」という形で現れました。

多くの日本人が無残に殺害されたにも関わらず、同じ日本人である我々がこれを後世に伝えようとしないというのは、犠牲になった死者への冒涜ではないか、とも言われています。

事件の名を知っていても詳細は知らない人が多い

Question Mark Survey - Free photo on Pixabay (716817)

現在の日本の教科書は、戦後GHQの指導の下で作成されたものがベースになっているとされています。一部の歴史家の間では、敗戦国である日本を一方的に「悪」とするために、日本人が被害者となった尼港事件に触れられていないのではないか?とする説もあります。

このような説の真偽の程は定かではありませんが、現在の教科書において尼港事件の記述は多くなく、そのため多くの人が尼港事件の名前は知っていても、その詳細を知らないということは事実です。

忘れてはいけない事件

Winter Redhead Female - Free photo on Pixabay (716322)

戦争という状況下にあっては、誰が正義で、誰が悪なのかという判断はとてもできるものではありません。しかし、実際にこのような虐殺行為が行われたのであれば、それは間違いなく許されざる行為であると言えるでしょう。

そして、本来この尼港事件は、我々日本人こそが忘れてはならない事件であるにも関わらず、どういうわけか、今日の学校教育においても、この事件の真実は語られていません。

このような悲惨な歴史を繰り返さないためにも、しっかりと事件の詳細を後世に伝えていくべきなのではないでしょうか。

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