2019年8月12日 更新

ノーパンしゃぶしゃぶとは?汚職事件の概要と武藤敏郎との関係性も

現在では姿を消したノーパンしゃぶしゃぶはどのような内容のお店だったのでしょうか。ノーパンしゃぶしゃぶやその名前が広まったきっかけになった大蔵省接待汚職事件や、当時の大蔵省官房長だった武藤敏郎氏について解説していきましょう。

日本銀行に転じる

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武藤氏は、2003年に財務省を退職し、その後日本銀行に転じました。その時には日本銀行の副総裁に就任することになりました。当時の総裁は福井俊彦氏であり、たいていの場合は副総裁を務めた後、総裁になることが多かったのもあり、ポスト福井と呼ばれました。
2008年に福井総裁が任期満了で退任になると、政府は、総裁候補として武藤氏を提示し、副総裁には伊藤隆敏氏と白川方明氏を提示しました。しかし、この年はねじれ国会で、当時の民主党(現在の国民民主党)が当初から財務省の関係者が日本銀行の総裁に就任することに難色を示していたのです。
Capitol Building Washington - Free photo on Pixabay (362179)

そのことも一部あり、予算案の強行採決への反発や、武藤氏が総裁に就任することに際して国民の同意が得られるかなどが分からなかったのです。

武藤氏に関しては、先ほどのノーパンしゃぶしゃぶ事件こと大蔵省接待汚職事件の影響があったのか、財務省出身、あるいは関係者の人を総裁に選ぶのは、何か癒着などがあるという疑いもあったといっても過言はないでしょう。

「最高の候補者」

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武藤氏は、日本銀行の総裁の候補として名前が挙がった後、衆参両院の議院運営委員会では所信表明演説を行いました。その時には日銀の独立性や金融政策などについて、自分の持論を述べています。

その内容から、「武藤氏は経済に対しては、強気でも弱気でもない、現実をみていて安定している。」と評価され、当時経団連会長でカメラメーカーのキャノンの現会長の御手洗(みたらい)冨士夫氏も、「武藤氏は最高の候補者である」と言ったほどです。

総裁就任は見送りに

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しかし、先ほどあげたように、この年は民主党(現在の国民民主党)が参議院では、与党だった自由民主党より議員が多いねじれ国会の状態になっていました。福井俊彦総裁が任期満了で退任後、マスコミは武藤氏が次期総裁になるだろうと予想していました。
しかし、民主党は、財務省出身の武藤氏が総裁に就任することにあまりいい顔はしなかった上に、参議院での採決では、民主党と共産党と社会民主党と国民新党(現在は解散)などの反対多数で武藤氏は総裁になることができませんした。

そして、民主党が推している白川方明氏が総裁に就任することになり、武藤氏は総裁になることなく副総裁を退任しました。

東京大学先端科学技術研究センター客員教授

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日本銀行の副総裁を退任後、2008年6月に、母校である東京大学の先端科学技術研究センターの客員教授に就任しました。就任の際、武藤氏は「この仕事を通して財政や金融政策の現場での経験を学問的に、そして、体系的にまとめ直す機会になればいいと思います。」と抱負を語りました。

また、「公的部門と言ったような所で働きたいと希望している若者が減っています。この仕事を通して、私のそれまでの経験を伝えることで何か貢献できればいいと思っています。」と述べて、後進の育成に力を入れると明らかにしました。

大和総研の理事長

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しかし、東京大学の客員教授に就任してから1か月後の7月に、大和証券グループの当時の会長の清田瞭氏から、同じグループ会社の大和総研の理事長になってほしいとオファーが来て、大和総研の理事長に就任しました。

武藤氏自身は証券会社の経験はなかったものの、仕事の内容がリサーチ中心というようなものであり、大蔵省・財務省時代の経験が生かせると述べました。
そして、大和総研の運営方針として、「シンクタンクとしてリサーチ機能をさらに充実していくことが第一ですが、さらにシンクタンクとしての発信力も、これからの時代は極めて大事なので、世の中に対してどういうことを発信していくか考えながら仕事をしたいと考えています。」と抱負を語り、リサーチ部門の充実と情報発信の積極化を打ち出しています。

開成中学校・高等学校の学園長兼理事長

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まずは先に開成中学校・高等学校の説明をいたしましょう。開成中学校・高等学校は、東京都荒川区にある私立の中高一貫校の男子校です。1871年に設立された共立学校が前身です。初代校長は、元総理大臣と元大蔵大臣の高橋是清です。

現在は、東京大学の合格率が全国でもトップクラスで有名ですが、日本テレビ系列で夏ごろに放送されている全国高校生クイズや、毎年夏に愛媛県松山市で行われている俳句甲子園の常連校でもあり、その名は全国でも知られています。
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武藤氏は2009年に開成中学校・高等学校の理事長と学園長に就任しました。武藤氏が開成高等学校の卒業生なのもありますし、日銀の総裁になることは反対されましたが、開成高校出身の議員からは賛成が多かったとかなどありますが、どのような経緯で理事長と学園長に就任したのかは明らかになっていません。
開成中学校・高等学校の理事長と学園長の就任にあたって武藤氏は、学問を修めるとともに社会に対し貢献できる人が理想であり、使命感を持った人材の育成を目指したいと述べた上で、生徒には「中身のある、いい意味でのエリート意識」が必要だと言いました。

事務総長に

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それから武藤氏は、開成中学校・高等学校の理事長に加えて、住友金属工業株式会社の監査役と三井物産株式会社の取締役と新日鐵住金株式会社の監査役を経て、2014年の1月に、 東京オリンピック・パラリンピック競技大会の組織委員会の事務総長に就任しました。

元総理大臣で組織委員会の会長である森喜朗氏からオファーを受けて就任したとのことです。事務総長を務めているかたわら、2018年には大和総研の名誉理事に就任し、2足の草鞋をはいて現在も活躍しています。

東京オリンピックのエンブレム問題

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