2019年4月11日 更新

「是非に及ばず」の意味と使い方は?「是非もなし」との違いも

今回は、織田信長の名言として有名になった「是非に及ばす」を取り上げて、その意味や使い方を紹介し、本当は信長がそのときにどういう思いで「是非に及ばず」と言ったのかを考察します。また「是非もなし」をはじめいくつかの類義語との違いについても考えていきます。

「是非に及ばず」の意味と使い方

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「是非に及ばず」という言葉を耳にしてすぐに思い浮かべるのは、織田信長ですね。本能寺の変で、明智光秀率いる軍勢に囲まれたときに、小姓の蘭丸に向かって言った言葉です。その言葉について、いろいろなところで論争が繰り広げられているのをあなたはご存知ですか?

どういった論争かというと、織田信長がどういった意味でこの言葉を口にしたのか、その解釈をめぐっての論争のようです。

今回は、その「是非に及ばず」について、いろいろな視点から考察をして、信長がいいたかった意味を探ってみることにします。

是非に及ばずの意味

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元々この「是非に及ばず」にはどんな意味があるのでしょう。広辞苑第6版と大辞林第3版では、「しかたがない、やむを得ない」と記載されています。

これに対して、デジタル大辞泉では「当否や善悪をあれこれ論じるまでもなく、そうするしかない。どうしようもない。しかたがない。やむを得ない。」、精選版日本国語大辞典では「よしあし、やり方などをあれこれ論議する必要はないとか、もはやそういう段階でない状態をいう。どうしようもない。しかたがない。やむを得ない。」となっています。
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これらから「是非に及ばず」には「しかたない、やむを得ない」という意味と「よしあしを論じてなどおらずに、やる(する)しかない」という2つの意味が含まれているのがわかります。そして、この2つの意味は、微妙に異なっています。

前者は、「仕方ないね」といったあきらめの気持ちを込めながらそれを受け入れるといった意味で使われています。これに対して後者は、「それをやっていいかどうか議論したり迷ったりしている場合ではない。すぐにやるしかない」といった、どちらかというと積極的に行動を起こそうという意志が感じられます。

いずれにしても、どちらの意味で使われているのかは、前後の文脈で判断する必要があります。

是非に及ばずの使い方

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ここでは、辞書に掲載されいる「是非に及ばす」の文例を上げて説明します。

■広辞苑第6版「これは一代一度のことぢゃ。是非に及ばす」(狂言、「吹取」より):意味としては、「これは天皇在位中、ただ一度きりしか行われぬことだから、良し悪しを論じてなどいられない」または「これは天皇在位中、ただ一度きりしか行われぬことだから、いたしかたあるまい」のどちらかになります。このセリフの背景や前後のやりとりでどちらが正解かがわかります。

■大辞林第3版「是非に及ばぬ。さほどに思し召さば帰らう」(咄本「昨日は今日」):これは「やむを得ぬ。そうまで思うならば帰るといたそうか」といった意味になります。
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■精選版日本国語大辞典「是非に及ばずして忽に以て世を早(はやふする)」(私聚百因縁集(1257)九):「どうしようもなかったのだろう、あっという間に早死にをしてしまって」といった意味になります。

「是非に及ばず」から思い浮かべる歴史上の人物は?

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「是非に及ばず」という言葉から、すぐに思いうかべる歴史上の人物は、この言葉を言ったと言われている織田信長と、もう1人、織田信長にこの言葉を言わせた明智光秀ではないでしょうか。以下では、この織田信長と明智光秀について、その人物像を紹介します。

織田信長

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織田信長は、1534年(天保3年)、尾張の国の戦国大名、織田信秀の嫡男として生まれました。母親が弟を溺愛し、信長のことをあまり愛していなかったということもあって、幼少時から問題行動が多く、彼がみんなから「うつけもの」(一説には「大うつけ」)と呼ばれていたことは有名です。

信長は、身分の差にこだわらず、農民の子や町の若者とよく遊んでいたそうで、これもうつけものと言われる原因だったようです。

信長は、1551年、父信秀の急死で、18歳にして織田家の家督を継ぐことになります。しかし、その後も信長のうつけは治らず、幼少期からの教育係だった平手正秀が切腹をして死をもっていさめます。信長はこのとき非常に衝撃を受けたようで、彼の霊を弔おうと正秀寺を建立します。
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信長は、周囲の戦国大名たちと争いながら領土を広げ、やがて本拠地を安土城に移していきます。その間に、桶狭間の戦い、姉川の戦い、長篠の戦いなどを経て、足利将軍などをうまく取り込んで勢力を拡大し、やがて天下人になっていきます。

信長の残虐性はいろいろなところで取り上げられています。が、一方では、山の中で何度か出会った、体に障害のある物乞いを不憫に思った信長は、上洛の途中にその物乞いに木綿二十反を与え、さらには周りにいる村人たちに、その物乞いが生きていけるように小屋を建てて食べものも与えるように頼んだという話が「信長公記」に収められています。

比叡山焼き討ちに関しても、短絡的に感情的になって行ったことではなく、それまでに信長は何度も愚かな行為をやめるように、比叡山に意見をしていたという記録が残っています。上述の平手正秀の件や物乞いへの接し方などを見ると、信長の別の人間性を知ることができるのではないでしょうか。
Bazaar Booth Bracelets - Free photo on Pixabay (158271)

また信長は、新しいものが好きで、異国への関心も高かったようです。そして斬新な発想でも有名です。家臣には厳しかった一方で、民には思いやりをもって接していたようで、城下町では楽市楽座を実施します。これによって経済は活性化し、民の生活は潤います。また南蛮貿易も盛んに行って舶来品などが流通されるようになります。

一方、主君として家臣にはどうだったか、というと、賞罰必勝を旨として、そのカリスマ的性格ゆえに家臣たちからは畏れられていたようです。宣教師ルイス・フロイスが残した手紙には、「きわめて稀に見る優秀な人物であり、非凡の著名なカピタン(司令官)として、大いなる賢明さをもって天下を統治した者であったことは否定し得ない 」(Wikipedia「織田信長」より)と書かれているようです。

信長は尾張出身の譜代大名を重用します。明智光秀はいわば尾張の外から入って出世した大名ですが、この光秀が謀反を起こした原因は、信長が譜代大名を重用していたことへの反発からくるものだといわれています。
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こうして時は1582年(天正10年)6月2日(旧暦)の早朝を迎えます。それに先立って、安土城に家康を迎えることになった信長はその接待役を明智光秀に命じます。そこで不手際があったとかで、信長が光秀を足蹴にした、という記録が、宣教師ルイスによって残されています。

それをきっかけに光秀の信長に対する恨みや憎しみが謀反という形で顕われたのが本能寺の変です。わずかな手勢を連れて本能寺に逗留していた信長を、光秀率いる大群が襲います。信長はここで、小姓の森蘭丸に「これは謀反か。だれの企みだ?」と尋ねます。それに対し蘭丸は「明智光秀です」と答えます。
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ここで信長は「是非に及ばず」という言葉を口にするのです。これに対しては、冒頭でも述べたように、「いたしかたない、あきらめよう」といった意味で言ったのではないか、という解釈が多く見られます。

しかし「信長公記」には「是非に及ばずと、上意候。透(すき)をあらせず、御殿へ乗り入り、両御堂の御番衆も御殿へ一手になられ候」と記載されています。これはどういうことかというと、「是非に及ばずと(蘭丸に)命令すると、すぐに御殿の中へ入って戦闘態勢を整えた」という意味です。

すなわち「この是非に及ばず」は、「どうしようか迷っている場合ではない。すぐに迎え打つ準備にかかれ」といった意味で言った言葉だと考えるのが妥当ではないでしょうか。

明智光秀

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