2019年9月26日 更新

山田かまちとは?17歳で亡くなった異色の天才の魅力や死因について

17歳で亡くなってしまった山田かまちという青年をご存知でしょうか?あの氷室京介や尾崎豊ともかかわりがあり、名言や詩なども多く残しています。今回は、そんな山田かまちさんの感電死や自殺など、本当の死因や、オススメの本などもご紹介していきます。

山田かまちとは?

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「山田かまち」という名前をご存知でしょうか?音楽や絵画などの芸術が好きで詳しい方は、その名前を知っているという方も多いのではないでしょうか?

また、歌手の氷室京介さんのファンの方は山田かまちさんについて知っている方も多いと思います。しかし、その名前を知っている方であっても、「山田かまち」さんは謎多き人物だと言われています。

今回は、多彩な才能を持ちあわせていながら、若くして亡くなってしまった山田かまちさんのポロフィールやその才能のすごさ、また亡くなった後にも語り継がれた山田かまちさんの作品や名言などもご紹介していきます。

17歳で亡くなった異色の天才

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山田かまちさんは、1960年(昭和35年)7月21日に群馬県高崎市で生まれました。山田かまちさんは多彩な才能の持ち主と言われていて、その名前を知っている方も多いかと思いますが山田かまちさんについての情報は少ないです。

また、天才ともいわれているにも関わらず若い人はもちろん、山田かまちさんと同年代の方であっても知らない方が多いのです。

その理由は、17歳の時に亡くなってしまったため、世界中に名を残す前に死んでしまったのでその名前は多くの人には知られていません。17歳といえばまだ高校生でした。

かまちの名前の由来

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山田かまちさんという名前は珍しいので芸名かと思われる方も多いかと思いますが、本名です。名前の由来は終戦直後に親が読んだ歴史小説、和島誠一著「日本歴史物語」の主人公の名前からきているといわれています。

その小説では主人公の名前は「̪鹿麻知(かまち)」という漢字がつかわれていました。しかし、かまち自身が自由に漢字をあてはめられるようにという理由から平仮名で「かまち」という名前になったそうです。

小説の中で鹿麻知は石器時代を舞台に活躍するのですが、両親は「終戦直後であったので、この少年のように新しい時代を強く生きるように」という名前からこの本の主人公の名前を山田かまちさんにつけたといわれています。

幼少期から才能を発揮

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山田かまちさんが17歳で亡くなったのにも関わらず、多くの人に知られている理由は幼少期の頃から芽生えていた異色の才能があったからだと言われています。

皆さんは、自分が幼少期の頃何をして過ごしていたのか思い出せるでしょうか?また、幼少期に書いたイラストなど残っている方は少ないのではないでしょうか?

残っていたとしても子供らしい絵だなと微笑ましくなるようなイラストだと思います。もちろんそのような絵も素晴らしいですが、山田かまちさんの幼少期の作品は才能あふれるものだったのです。

9歳で1時間に動物の絵を52枚

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そんな山田かまちさんの絵の才能が溢れたのが小学校3年生の時でした。冬休みの宿題で動物の絵を描くことになったのですが、山田かまちさんは1時間余りで52枚もの動物の絵を描き上げたのです。

1枚1枚が違う動物で、その絵はどれも大人も惹かれるまるで動物が生きているかのように描かれている躍動感あふれるものばかりでした。

これをみた、担任の東京芸術大学出身の竹内俊雄さん(後に新島学園高校の美術科非常勤講師)は、山田かまちさんの作品に惹かれて、大切に保管していたといわれています。

中学生から音楽に没頭

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幼少期から才能あふれていた山田かまちさんですが、中学生になったときに音楽の魅力に惹かれて、中学生からは音楽に没頭するようになりました。

中学3年生の頃から憧れていたのはビートルズなどのロックでした。その影響もあり山田かまちさんはエレキギターを選んで練習していました。

しかし、その大好きなエレキギターの練習中に山田かまちさんは亡くなってしまったといわれています。山田かまちさんは当時まだ17歳の若さでした。

没後

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17歳で亡くなってしまった山田かまちさんですが、山田かまちさんの名前が多くの人に知られるきっかけとなったのは、山田かまちさんが亡くなった後のことでした。

しかし、亡くなってしまった後、どのようにして山田かまちさんが有名になったのか気になっている方も多いのではないでしょうか?

なのでここでは、山田かまちさんの没後なにが起こったのかについて詳しくご紹介していきます。山田かまちさんの没後について知りたい方は、ぜひ参考にして頂けたら嬉しいです。

画集を出版

Painting Pencils Pens - Free photo on Pixabay (662041)

死後、4回忌(81年)と13回忌(89年)の時に知人に向けた小さな展覧会が開かれました。そこで発表されたイラストが両親の手によって保管されていた幼少期から書き続けていたイラストでした。

しかし、そのころはまだ無名の少年でしたが、13回忌の彼の展覧会に訪れたのが広瀬毅朗画廊でした。幼少期から才能を発揮していた山田かまちさんの絵に衝撃を受けたといいます。

その出逢いがきっかけで、山田かまちという無名の少年の名前が一気に広がっていくことになるのです。

山田かまち美術館

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小さな山田あまち展覧会で山田かまちの魅力にひかれた広瀬毅朗画廊によって、1992年に高崎市片岡町に「山田かまち水彩デッサン美術館」が設立されました。

そして、そこで山田かまちの名前が知られ小さなブームになっていました。そして2014年には山田かまち水彩デッサン美術館が高崎市の市営業施設となり「高崎市山田かまち美術館」と改名されました。

そんな山田かまち美術館には、先ほどご紹介した小学校3年生の時に書いた動物の絵も貴重な作品として残されています。

教科書などにも掲載される

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