2019年9月26日 更新

山田かまちとは?17歳で亡くなった異色の天才の魅力や死因について

17歳で亡くなってしまった山田かまちという青年をご存知でしょうか?あの氷室京介や尾崎豊ともかかわりがあり、名言や詩なども多く残しています。今回は、そんな山田かまちさんの感電死や自殺など、本当の死因や、オススメの本などもご紹介していきます。

そんな山田かまちさんの作品は、美術館に展示されているだけではなく、なんと中学校認定の国語教科書や高校認定の現代社会・美術・英語教科書にも掲載されています。

掲載されているのは、彼の絵だけではなく、同年代の中学生や高校生の胸に刺さる詩も一緒に掲載されています。17歳という若さで亡くなってしまいましたが、彼の残したものは、多くの人に知られることになりました。

実際に教科書で山田かまちさんを知ったという方も多いのではないでしょうか?

2004年に自伝映画「かまち」公開

Photo Camera Photography Old - Free photo on Pixabay (662347)

このように教科書や美術館もあり多くの人に知られることになった山田かまちという名前ですが、さらにその名が知られるようになったきっかけは、2004年にこうかいされた「自伝映画「かまち」公開」がきっかけでした。

これは、山田かまちさんのお母さん・千鶴子さんが執筆した「かまちの海」を原作にした伝記映画です。監督を望月六郎さんが勤めて、主演はダンスボーカルユニット「Lead」のメンバーの谷内伸也さんです。

感電?自殺?本当の死因は?

Guy Man People - Free photo on Pixabay (662357)

映画も公開されるほど有名となった山田かまちさんですが、もしも17歳の若さで亡くなっていなかったら、今頃もっと沢山の作品を公開して私たちに刺激を与えてくれていたのかもしれません。

山田かまちさんの作品に惹かれた方の中には、なぜ山田かまちさんが17歳という若さで亡くなってしまったのか疑問に思っている方も多いのでは無いでしょうか?

なのでここでは、山田かまちさんが亡くなってしまった死因や他の説についても詳しくご紹介していきたいと思います。山田かまちさんの死因について知りたい方は、ぜひ参考にして頂けたら嬉しいです。

死因は感電死

Guitar Electric Strings - Free photo on Pixabay (662367)

まず最初に、山田かまちさんの死因についてご紹介していきたいと思います。山田かまちさんの死因は感電死です。先ほどもご紹介したように、山田かまちさんは当時音楽の魅力に惹かれて、自身も楽器の練習をしていました。

当時はビートルズなどが全盛期の時代で、山田かまちさんもビートルズの音楽に憧れてエレキギターというギターの練習に励んでいました。

しかし、アコギと違ってエレキは電気に繋ぐ必要があります。そんなエレキに17歳のときに感電してしまって亡くなったといわれています。

エレキギターで感電するもの?

Amplifier Electric Guitar - Free photo on Pixabay (662375)

エレキギターで感電死するのか疑問に思っている方も多いかと思いますが、それについては諸説あります。エレキはアンプと呼ばれるスピーカーのような音を大きくする機械に繋いで音をだします。

正しく使えば感電してしまう可能性は低いのですが、山田かまちさんは、アンプを改造していたといわれています。

本来エレキギター本体の扱う電機はほとんど危険性がないものだと言われていますが、こうした改造により、感電したのではないかと言われています。

自殺説もある

Hopelessness Despair Not - Free photo on Pixabay (662385)

山田かまちさんには自殺したのではないかという説もあります。というのも彼が死の前日に書いたのが「絶筆」という絵です。抽象画とすら言えない赤い線やくすんだ青い色の固まりが描かれています。

これを見た人は、救いも何もない世界が見て取れたと自殺ではないかと噂されるようになりました。また、同じ高崎高校に在学していた人は、当時山田かまちの死について全校集会で校長先生が「自殺した」ということを伝えていたとも言われています。

山田かまちさんの死因については公表されていないので、真実は分かっていませんが、このようにさまざまな説があります。

氷室京介の幼馴染

Concert Crowd Audience - Free photo on Pixabay (662387)

そんな山田かまちさんと幼馴染だったのが、シンガーソングライターでロック歌手として活躍されている氷室京介さんです。BOOWYのヴォーカリストとしてアルバム「MORAL」でデビューしました。

山田かまちさんが入学した小学校が「高崎市立倉賀野小学校」だったのですが、同級生にいたのが氷室京介さんでした。他にも松井常松さん(ミュージシャン)などもいました。

氷室さんは当時から目だっていたようで、やんちゃ坊主でよく怪獣ごっこをしていたそうです。

一緒にバンドを組んだこともあった

Drum Set Drums Musical Instruments - Free photo on Pixabay (662597)

幼稚園の時から一緒だった山田かまちさんと氷室京介さんは、中学校に入ってもその中は良かったみたいで、中学生になるとビートルズなどのロックが日本にも到来しました。

そして中学3年生この頃から、氷室京介や松井常松とロックのバンドを編成して練習していたこともあると言われています。音源などは残っていませんが、きっと素晴らしいバンドだったのではないでしょうか。

後に氷室京介さんと松井常松さんはBOOWYを結成することになります。

氷室京介からかまちに送られたメッセージ

Writing Pen Man - Free photo on Pixabay (662615)

山田かまち水彩デッサン美術館には、山田かまちさんに宛てた氷室京介さんからの手紙が展示されています。その手紙にはキース・へリング アンデゥー・ウォーホルそして、ピンセント・ヴァン・ゴッホやエゴン・シーレなどの若くして亡くなったクリエーターや天才たちの名前が書かれていました。

そしてかまちさんもまた、生まれながらにして選ばれていた天才で独特な輝きを持ちあわせていたことが執筆されていました。

そしてせめてあと10年多彩な才能を奮うことができたらと、彼の死の速さに対しての悲しみの言葉が綴られていました。

MORALはかまちのことを歌った曲

Mic Microphone Sound Check - Free photo on Pixabay (662639)

山田かまちさんが亡くなったと、氷室京介さんは80年代を席巻するロックバンドBOOWYのボーカルとして「MORAL」というファーストアルバムを販売します。このアルバムの10曲目に収録された曲が、アルバムと同じ名前の「MORAL」という曲だったのですが、実はこの曲が山田かまちの事故死を元に歌詞が作られた曲だと言われています。

人間の二面性をテーマにした2分20秒という日本の楽曲の中では短めの曲ですが、「人の不幸は大好きサ」や「あいつが自殺したって時はニヤッと笑っちまったな」など、一見友人の死に対して不謹慎な言葉が歌詞に織り込まれています。

しかしこれは氷室京介さん流の親しい友人を想うロックでモラルな方法なのかもしれないといわれています。

山田かまちの水彩デッサン美術館について

Woman Art Creative - Free photo on Pixabay (662661)

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