2019年8月3日 更新

パスカルの言葉「人間は考える葦である」の意味は?原文や英語版も

哲学に興味のある方は、パスカルという哲学者の名前を耳にした事がある方も多いでしょう。その名言として、「人間は考える葦である」という言葉について知り、教養を深めたい方に向けて、その意味や原文、英語版、フランス語版など様々な角度からご紹介いたします。

パスカルの有名な言葉

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哲学に興味がある方でも、なかなか名言と哲学者の名前が思い出せず、著書を読んでもすぐ忘れてしまう方も多いものです。大事なのは、そういったものを暗記するよりも、その意味を理解し、本質を捉える事で、日常の思考に活かすことです。

沢山インプットしようとしても、なかなか記憶に定着しないため、ここでは、有名なパスカルの名言に絞って、深掘りすることで記憶の定着を図ります。さまざまな角度から見る事で、深掘りすることができるため、パスカルが伝えたいことは何だったのかを1つでも理解することを目的として読み進めてください。

ブレーズ・パスカルとは

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まずは、パスカルがどんな人物で、どのようなエピソードを持つ人物なのか、大枠を解説いたします。そのあとで、別の角度から迫っていきます。数百年前の人物ですが、今でも語り継がれるほどの方なので、読み進めていくうちに、なぜ有名になったのかも理解できるようになるでしょう。

フランスの哲学者

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フルネームは、ブレーズ・パスカルと言います。通称パスカルと言えばこの方を指す事がほとんどです。生まれたのは、1623年6月19日。パリで亡くなったのは、1662年8月19日です。39歳という若さで亡くなっています。フランスの哲学者であり、また科学者、数学者でもありました。

23歳頃から修道院の厳格なキリスト教に心をひかれはじめ、1654年の深い宗教的体験以後は、熱狂的な信仰生活に入ったのです。 そして、キリスト教関連の執筆に励んだのですが、結局未完のまま病没してしまいました。

遺稿「パンセ」 (1670年) が主な著書であり、「人間は考える葦である」という有名な言葉の他にも「哲学を馬鹿にすることこそ、真に哲学することである」などの有名な言葉を残しています。また、かつてフランスで発行されていた500フラン紙幣に肖像が使用されていた程の人物です。

数学や自然哲学が得意であった

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彼は、数学、自然哲学が得意だったため、科学者,数学者としては「パスカルの原理」や「パスカルの定理」が有名です。これらは、現代でも学校で習う定理として活用されています。中学校で習う、気圧の単位としてヘクトパスカル hPaが使用されていますが、これもブレーズ・パスカルの名にちなんだものです。

つまり、数百年前の定理が、現代でも学校で学習項目として活かされているのです。現代の人が考え出したものが、数百年後の人達が学んでいるのと同じですので、そう考えると、その影響力は凄いものだったと伺えます。もちろん、本人は現代の人も学んでいるとは生前に考えもしなかったでしょう。

キリスト教弁証家としても活動していた

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弁証家とは、そもそもどういう意味かと申しますと、キリスト教に対する批難に対して弁明を行った教父・学者のことを意味します。キリスト教外の世界に対してキリスト教の真理性を弁明した人のことでもあります。

キリスト教に熱心だったため、批判に対して説明したり、真理を広めたいと思うのは当然のことでもあります。ただし、彼は、先述したように、「キリスト教弁証論」について執筆に励んだのですが,未完のまま亡くなってしまったのです。

懐疑論と確率論

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パスカルが亡くなった後に発刊された「パンセ」においては、特に懐疑論と確率論を重要視した考察が目立っていました。懐疑論においては、「宗教に役立つ」としており、確実性や不確実性といった哲学的な内容について論理的な考察をしたものです。

例えば、すべてが正しいということは基本的にはなく、確実なこともあるし、そうでないこともある。人は悪とは何かについては詳しいが、善とは何かについては、曖昧な解釈になりやすいなどというような、確実と不確実なものの考察をしたのです。いかにも哲学者らしい考えです。

確率論については、「パスカルの賭け」という神に関する考察をしているのが特徴です。

5ソルの馬車

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1662年、「5ソルの馬車」と呼ばれる乗合馬車( 馬車の共有)というシステムを発明しました。パリで実際に走っていました。これまで馬車と言えば、富裕な貴族が、個人で所有するものしか存在していませんでした。

パスカルの実現した、この5ソルの馬車のシステムは、いわゆる今日のバスに相当するものなのです。みんなが運賃を払えば乗れたのです。5ソルという名称は、運賃が当時の通貨の5ソルだったことに由来しています。

パスカルの賭け

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パスカルの賭けは、非常に難解な概念です。それだけで数ページの原稿用紙が書けてしまうようなものなので、ここでは、混乱を避けるため、要旨だけ解説いたします。内容としては、まず、神と確率論に関するものですが、神の存在は哲学的に証明できる次元のものではないとパスカルは考えました。

同時代の有名な哲学者デカルトが行った証明などを含めて、パスカルは批判的でした。そして、確率論を応用した懸けの論理において、「神の存在は、証明できなくとも、神を信仰することが神を信仰しないことより優位である」ということを示したのです。

つまり、神の存在がどうこうと議論するより、信仰するほうがメリットがあると考えたのです。歴史的には、パスカルの賭けは、確率論の新たな領域を描き出したという点で画期的であるとされています。また、無限という概念を使った初期の例であるともいわれているのです。

神の存在は限りなく不可知

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不可知論とは、基本的に、物事の本質は、人には認識することが不可能である、とする立場のことを意味しています。不可知論というのは、事物の本質は認識することができない、というスタンスです。人が経験しえないことを議論しても仕方ないということです。

現代の哲学ですと、哲学用語で言う「現象を越えること」、つまり、我々の感覚で認識できる現象を超越するような内容は、認知することができない、として、無理に扱うことを拒否する立場であるといえます。宗教的不可知論のひとつのタイプとしては、神は「いる」とも「いない」とも言えないとするものもあります。

パスカルの賭けは多くの人に批判された

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