2019年7月20日 更新

通州事件とは?発生の原因や海外の反応・事件内容の嘘と真実も

通州事件の嗜虐的な犯行の原因と、その裏に隠された陰謀に迫ります。猟奇的な犯行の被害者は日本人でした。南京事件の証拠と言われている写真には、通州事件のものも多く使われているのです。日本を辱めようとする嘘を見破り、生存者の証言から通州事件の真実に触れていきます。

目次

日本にも多くの華僑が住んでいました。報道によって凄惨な事件を知ることとなりましたが、華僑を恐れさせたのは日本人の感情です。

想像を絶する惨劇を繰り広げたため、在日中国人も無事では済まないと危機感を持ちました。報復を恐れた在日中国人は、祖国中国へと帰国したのです。

一方で在日中国人の中には、同胞が引き起こした惨劇に対して深い詫びの気持ちを抱き、平塚署と市役所に35円を献金した者もいました。同胞の行為を許せないと感じた中国人もいたのです。

1937年12月冀東政府による謝罪と慰謝金が支払われ収束

Girls Praying Buddha - Free image on Pixabay (486892)

通州事件後に冀東政府は壊滅をしましたが、殷汝耕の代わりに池宗墨が政務長官に就任することで再建を果たしました。1937年12月22日、池宗墨と北京大使館の森島守人参事官が会談をしています。

その中で冀東政府は通州事件に対する謝罪をし、慰謝金と損害賠償120万円を交付したことで事件は収束しました。通州には国民党の冀察政務委員会もありましたが、事件後に委員長の宋哲元が逃亡したことにより、8月20日に解散しています。

事件関係者は処罰または逃亡

Jail Cells Penitentiary - Free photo on Pixabay (486901)

1937年12月24日に、日本政府と冀東政府政による公文交換が行われています。冀東政府から森島参事官に宛てた書簡の中で、通州事件の関係者を処罰したことと、逃亡者のことが説明されていました。

逃亡者の中には、反乱軍を率いて通州を襲った保安隊の張慶餘も含まれています。後に中将にまで登りつめた張慶余は、引退した後に晩年を天津で過ごしますが、69歳で死去しています。張慶余を処罰をすることは叶いませんでした。

2015年南京大虐殺資料が正式に登録される

Mao Beijing Square - Free photo on Pixabay (486903)

2015年に入ると、中国政府が主張していた旧日本軍による南京事件大虐殺に関する資料が、ユネスコの世界記憶遺産に正式に登録されたことを発表しました。

中国政府が南京大虐殺を記録した証拠写真だとしている物の中には、通州事件で犠牲となった日本人や、台湾の民族同士の闘いで斬首された者の写真も含まれています。

通州事件のあと日本軍医が死体を調べている画像は、731部隊の人体実験を記録した写真だと説明されているのです。通州事件の証拠写真が、日本を貶めるためのプロパガンダに使用されています。

南京事件の登録を受け日本側は通州事件資料の申請を発表する

Buddhist Hell Thailand Religion - Free photo on Pixabay (486904)

2015年に中国政府が南京大虐殺の資料をユネスコの世界記憶遺産に登録したことを受けて、日本政府は通州事件の資料をユネスコに申請したことを発表しました。

しかし、南京大虐殺は登録されましたが、通州事件は政治的だという理由で審査前に却下されています。そこで、ユネスコの二重基準や不公正、不透明性が批判されました。

また、民間団体とチベットは「人権侵害事件・チベットと通州の事例」を共同申請しました。しかし、この申請もユネスコに却下されているのです。

通州事件の嘘・真実

Forest Mist Nature - Free photo on Pixabay (497602)

通州の保安隊や国民政府軍、そして中国人の学生により残虐な行為が繰り広げられました。痛ましい通州事件が起きたのは事実ですが、詳細に関しては事実と嘘が広まっています。

しかし、中国人の一般市民の中には人間の心を失わなかった人たちもいるのです。通州事件で語られる嘘と真実に触れます。

眼玉をくりぬかれた等の残忍な殺害は見られなかった

Skull Woman Girl - Free photo on Pixabay (486906)

中国や日本の左翼の中には、通州事件があったことは認めるが、眼玉をくり抜いたり腸を引きずり出したり等、そのような残虐な行為はなかったと言う人がいます。

しかし、通州事件の凄惨な現場を記録した写真が残されているのです。これらの証拠写真が、南京大虐殺や意旧日本軍第731部隊による人体実験のの写真だと宣伝されています。

通州事件の犠牲者の遺体は日本軍医も検証にかかわっており、被害状況も記録されているのです。多くの証言も記録されており、通州事件における虐殺行為は真実です。

中国人看護婦に庇われ生存した日本人もいる

Baby Hand Infant - Free photo on Pixabay (495293)

鬼畜な犯行は保安隊や国民政府軍、そして中国人の学生によるものでした。虐殺行為を見た中国人たちの中には、嫌悪感を抱いた人もいることは真実です。すべての中国人が鬼畜になったわけではありません。

保安隊に殺されようとしていた子どもを「この子は私の娘です。連れ去らないでください。返してください」と言って、保安隊から奪い返した中国人看護婦の可鳳岐がいます。

そして、保安隊がいなくなった後、可鳳岐は日本軍に子どもを引き渡しているのです。可鳳岐が周囲から日本人のスパイだと罵られたことは分かっていますが、その後の消息は分かりません。

日本だけが一方的に被害にあったわけではない

Cross Sunset Sunrise - Free photo on Pixabay (495430)

「日本だけが一方的に被害にあったわけではない」と言う人がいます。確かに日本軍の飛行隊による誤爆で、保安隊に死傷者が出ています。

だから通州で少女が陰部をえぐり取られたことも、妊婦が腹を割かれて赤ちゃんを潰されたことも、眼玉をくり抜かれたことも仕方がないのでしょうか。これでお互い様だとでも言うのでしょうか。

戦争中のことなので日本にも中国にも、そして戦争に参加したすべての国に痛ましい事件があります。通州で行われた惨劇も真実なのです。「日本だけが一方的に被害にあったわけではない」など、通用するはずもありません。

通州事件に関する海外の反応

Sky Blue Cloud - Free photo on Pixabay (497607)

海外の反応として、通州事件当時も中国を取材していたアメリカ人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズをご紹介します。ウィリアムズは、日本だけではなく蒋介石の高官にも取材をしていました。

通州事件から約1年半後の1938年11月にウィリアムズは、「Behind the News in China」を刊行しました。その中で通州事件の惨劇を語っています。

また、日本人に対する感情の悪化の原因として、モスクワやヨーロッパの国による精巧なプロパガンダを指摘しました。ヨーロッパの国と中国との間にある大きな利害関係にとって、日本の存在が邪魔だったのです。

報復行為を繰り返す時代であった

Honey Bee Insect Macro - Free photo on Pixabay (497611)

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