2019年8月21日 更新

上田美由紀死刑囚の魅力は何だった?生い立ちや今の様子とは

鳥取不審死事件の犯人である、上田美由紀死刑囚のことを覚えているでしょうか。決して美人ではない上田美由紀に、男性は何故惹かれてしまったのか。そんな彼女の魅力や生い立ち、上田美由紀の子供についてまでを詳しく解説していきます。今の様子についても見ていきましょう。

目次

上田美由紀の生い立ち

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死刑が確定した上田美由紀死刑囚は、真実を一切語ることもなく、挙げ句には虚偽の証言をし罪を擦り付けようとしていたこともわかりました。死刑が確定したとはいえ、真実は全く明らかとなっていないことから被害者遺族の無念さは計り知れないものとなっています。

そんな上田美由紀死刑囚は、どのような環境で育ち、どのような子供時代を送ってきたのか。生い立ちを見ていくと、家庭環境が悪く幼い頃からウソをつくのが得意で魔性の女になる素質をも感じさせます。

幼少期の環境とは、人間の人格に大きな影響があるとも言われています。上田美由紀死刑囚の性格や事件を引き起こしてしまった原因は、幼少期の家庭環境が影響しているのかもしれません。

上田美由紀死刑囚の、家庭環境や生い立ちについてを詳しく解説していきます。

上田美由紀の本名

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上田美由紀死刑囚は、韓国国籍であり本名は「李美由」です。実家も韓国にあるとのこと。実名報道がなされなかったのは、在日特権があったからだとのことです。

しかし、起訴されれば本名での報道は可能となるが実名ではなく、通名の上田美由紀での報道となっていました。これについては、どうして通名のままの報道となったのかについては疑問視もされています。

韓国では、今も昔も日本批判が続いており
在日韓国人が韓国に戻ると差別されることが多いため、上田美由紀死刑囚も日本で暮らしていたのではないかと考えられます。

上田美由紀の家族について

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上田美由紀死刑囚の家族構成は、父親が早くに亡くなったことから母親と母親方の叔父、5歳年上の兄との4人暮らしだったようです。母親は上田美由紀死刑囚にそっくりで厚化粧をしていたのも同じだといいます。

母親はよく暴言や暴力をふるい、激情型の親であり上田美由紀死刑囚は幼い頃虐待を受けていたことがわかっています。そのせいで、性格が歪んでしまった可能性もあるでしょう。

そのため家族は、近所の人からな評判も悪く上田美由紀死刑囚も成長していくにつれ素行の悪さが目立つようになっていったと近所の人は証言しています。

悪ガキでホラ吹き

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母親からの日常的な暴言や暴力が影響したのか、上田美由紀死刑囚は近所でも学校でも有名な札付きの悪ガキになっていきます。近所では、勝手に家に入り込み物を盗んだり物を破壊するなどを繰り返し、近所の人は自分の子供に上田美由紀には近づくなと言っていたようです。

また、学校でも同級生から距離を置かれる存在となります。同級生は皆、素行の悪い上田美由紀が怖く逆らえなかっただけなのだが、上田美由紀はそれをいいことにパシりをさせるなどコキを使いクラスを占めているつもりだったといいます。

ホラ吹きとしても有名で、誰もがわかるウソを平気につき、皆が信用していると思い込んでいたようです。そのホラ吹きは直ることはなく、大人になるにつれてエスカレートしていったのです。

高校中退後仕事は続かず

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地元の高校に進学するも、高校生活は長く続かず中退し工場の事務員とした働き始めます。しかし、事務員の仕事も長続きせずすぐに辞めてしまいます。

その後も、職に就いては辞めるを繰り返しており、何をやっても続かないタイプであると言えるでしょう。素行の悪さやウソを平気でついてしまうことが、事務員などの仕事では通用しなかったのではないでしょうか。

自分の思うようにできた中学生時代を引きずり、仕事で下っぱとして働くことが上田美由紀死刑囚の性格からすると気に入らなかったのかもしれません。

自衛隊関係者との結婚と離婚

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仕事が長続きせず、職を転々としている頃に出会った男性と1度目となる結婚をしています。相手の男性は自衛隊関係者で、上田美由紀死刑囚はまだ10代後半での早い結婚となっています。

その男性との間には、2人子供を授かっています。ですが、結婚生活は長くは続かず離婚しています。この頃、地元を離れ大阪で暮らしていましたが離婚後に実家に戻っています。

それ以来、上田美由紀死刑囚は地元のスナックでホステスとして働くようになりました。これが、上田美由紀がホステスとしての道へと足を踏み入れるきっかけとなりす。

地元会社員との結婚と離婚

Divorce Separation Marriage - Free photo on Pixabay (567328)

その後、地元の会社員と2度目の結婚をしています。この相手の男性との間にも、子供が2人生まれていて、次こそは幸せな家庭を築いていくのかと思いきや、やはり長続きはせず離婚に至っています。

これで、バツ2となり4人の子供を1人で育てていくことになった、上田美由紀死刑囚ですが実際は子供が5人いることがわかっています。

2度の結婚で授かった子供は、どちらも2人です。もう1人の子供の父親は誰なのか、詳細は不明となっています。結婚と離婚を繰り返し、子供5人を抱えシングルマザーとしてスナックでホステスとして働きながらの子育てをしていたようです。

上田美由紀のスナックホステス時代

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上田美由紀死刑囚の生い立ちについてを、詳しく解説してきました。幼少期に受けた母親からの虐待が性格を歪ませ、また母親のようにウソなどで周りを支配下に置かないと気が済まなくなってしまったのでしょう。

そんな上田美由紀死刑囚が、ホステスへの道へと進んだのは1度目の離婚後です。それからは、ずっとホステスとして勤めていたので性に合っていたのかもしれません。

ホステス時代は、どのような様子だったのかについてを見ていきましょう。

月給7万ほどで生活

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20代の頃から、スナックでホステスとして働いていた上田美由紀死刑囚。しかし、5人の子供を抱えていたこともあって、子供が熱を出したなどの体調不良で仕事を休むことも多かったようです。

そのため、月給はかなり安く7万円程度しか稼げていなかったといいます。月給7万円では到底生計は成り立たないはずです。しかし、5人の子供を1人で育てるシングルマザーであった上田美由紀死刑囚が、どのようにして生活をしていたのかは不明です。

生活保護や母子手当てを受けていた様子もなかったようです。噂では、ホステスの他に清掃員の仕事や風俗で働いていたとも言われています。しかし、上田美由紀死刑囚は自分は看護師であると名乗っていることが多かったようです。

姉御肌で男性客に人気

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上田美由紀死刑囚が2年ほど勤めていたカラオケスナックでは、歌の点数が高いとホステスの裸を見ることができるという風俗まがいな店だったことがわかっています。

そこでの上田美由紀死刑囚は、お酒を豪快に飲んで盛り上げたり、客同士で喧嘩が始まると「オラァ!」と声をあげて一喝しその場を止めたりと姉御肌な一面があり、男性客からは人気が高かったようです。

また、スナックのママも上田美由紀死刑囚のことを勝っていて喧嘩が起きたら美由紀が何とかしてくれて助かるとも話しています。

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