2019年8月27日 更新

岩手県雫石にある慰霊の森とは?全日空機雫石衝突事故の概要

全日空機雫石衝突事故で旅客機が墜落した現場は現在慰霊の森として整備されていますが、心霊現象が後を絶たず危険な場所として知られています。改めて生き方を問われる事故の現場となった慰霊の森で起きた怖い話や事故の生存者についてご紹介します。

目次

同じ人物は数年後に再び肝試しで慰霊の森へ行こうとします。車には4人が乗り何事もなく慰霊の森の入り口までは行くことができました。しかしタイヤが雪にはまり動けなくなってしまいました。

季節は冬でしたが雪はほとんど積もっておらずタイヤが雪にはまるのは不可解でした。車を4人で押して動かそうとしたもののビクともしなかったのでJAFを呼んで慰霊の森へ行くのは諦めようと話し終えた瞬間、車が勝手に動き雪からタイヤが抜けました。

帰り途中コンビニに寄った際、フロントガラスの真ん中に一つだけ手形がついていたそうです。

日本で起きた航空事故

Airline Architecture Buildings - Free photo on Pixabay (581236)

日本では全日空機雫石衝突事故の他にも航空事故が起きています。操縦ミスや機体の不適切な修理など事故の原因はさまざまです。

24名の死者を出した日本航空350便墜落事故、520名の死者を出した日本航空123便墜落事故、264名の死者を出した中華航空140便墜落事故について見ていきましょう。

日本航空123便墜落事故は世界最悪の死者を出したもので事故を題材にしたテレビ番組や小説、映画などが多数存在しています。

日本航空350便墜落事故

Cockpit Pilot People - Free photo on Pixabay (581237)

日本航空350便墜落事故は1982年2月9日、福岡空港を出発した350便が羽田空港で着陸に失敗して東京湾に墜落した事故です。24名が亡くなり149名が重軽傷を負いました。

事故の原因は機長が機体の推力を急激に減少させながら機首下げを行ったことでした。機長は事故の6年前から幻覚を見るようになり精神分裂病やうつ病と診断されていたのです。

事故は「死ね」という幻聴が聞こえて機長がとっさにエンジンを逆噴射したことで起きたものです。航空機関士や副操縦士が機長の異常に気付き止めようとしましたが間に合いませんでした。機長は妄想性精神分裂病と診断され不起訴処分となっています。
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航空法では事故の発生時に機長が率先して乗客の救助を行うよう義務付けられていますが、機長は乗客に紛れて機体から脱出していました。

そのため当初は機長が死亡したという誤報が流れています。その後真っ先にボートで救出される機長の姿が報道されて激しく非難を浴びました。

機長は不起訴処分となった後に東京都立松沢病院に措置入院となり、事故から1年後に日本航空を解雇されました。現在日本航空では350便と123便が欠番となっています。

日本航空123便墜落事故

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日本航空123便墜落事故は1985年8月12日に羽田空港から伊丹空港へ向かっていた123便が群馬県多野郡上野村の高天原山へ墜落した事故です。単独機で世界最悪の死者数を出す航空事故となりました。

乗員乗客524名のうち520名が亡くなっています。生存者は26歳の女性、34歳の女性と8歳の女児の親子、12歳の女子中学生のみでした。

事故の原因はボーイング社の不適切な修理とされていて、圧力隔壁が飛行中に破損して操縦不能に陥りました。この事故では歌手の坂本九さんが亡くなっています。
Cockpit Plane Airplane - Free photo on Pixabay (581242)

旅客機の墜落現場である御巣鷹の屋根には慰霊碑が建てられ、毎年8月12日に慰霊登山が行われています。しかし事故から30年以上が経ち遺族の高齢化が進んでいるため、墜落現場付近の工事用道路が村道として開放されて現場までの距離がかなり短縮されるなどさまざまな配慮がなされています。

ボーイング社の不適切な修理による事故は複数起きていて、トルコ航空・ユナイテッド航空・アメリカン航空などでも死者を出しました。

事故を受けて芸能人やスポーツ選手は極力新幹線を利用するようになり飛行機を利用する場合は全日空を使うようになったそうです。

中華航空140便墜落事故

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中華航空140便墜落事故は1994年4月26日に現在の台湾桃園国際空港を出発した航空機が現在の小牧空港へ着陸進入中に墜落した事故です。

乗員乗客271名中264名が亡くなりました。乗客の多くは旅行帰りの日本人で、日本では日本航空123便墜落事故に次ぐ惨事となりました。

事故の原因は副操縦士が誤ってゴーレバーを作動させたことと解除したつもりの着陸復航モードが解除できていなかったことにあります。また、自動操縦に関するトラブルが報告されていたにもかかわらず改修が行われていませんでした。
Aircraft Flying Propeller - Free photo on Pixabay (581247)

犠牲者87名の遺族と生存者1名からなる原告団は1995年、中華航空とエアバスに総額196億2020万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしました。

犠牲者の死の恐怖や遺体の損傷などの遺族の精神的苦痛が甚大であるとして、犠牲者1名あたり1億円の慰謝料を求めたものです。

2003年12月26日に名古屋地方裁判所は中華航空は損害の全額を賠償する責任があるとして原告団232名へ総額50億3297万4414円を支払うよう命じました。事故後中華航空はエアバス社の手順に従い改修を受けるよう民用航空局から指示を受けました。また、チャイナエアラインと呼称を変更しています。

面白半分で慰霊の森へ行くのは不謹慎

Forest Woods Misty - Free photo on Pixabay (581249)

飛行機はとても便利で一番早く目的地へ到着できる交通手段です。しかし一歩間違えると大事故を引き起こすものであることを忘れてはいけません。日本航空123便墜落事故では520名の方が亡くなり、全日空機雫石衝突事故でも162名の方が亡くなりました。

現在、全日空機雫石衝突事故で旅客機が墜落した現場は慰霊の森として整備されていますが心霊スポットとして名を知られるようになってしまいました。多くの方が犠牲となった場所に面白半分で訪れるのは非常に不謹慎です。

遺族や亡くなった方の気持ちに配慮して行動しましょう。老朽化が進んでいた慰霊の森は現在大規模な改修が行われているので、改めて祈りをささげに行くのも良いかもしれません。

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