2019年7月15日 更新

ペプロウの看護理論と事例!看護は人間関係のプロセス?

ナイチンゲール以降の近代看護における看護学に多大な貢献をしたヒルデガード・ペプロウ。彼女は精神看護の母と呼ばれ対人関係理論で知られているアメリカの看護学者です。この記事ではそのヒルデガード・ペプロウについてご紹介していきます。

1970~1972年看護師協会会長を務める

Lecture Hall Auditorium Seats - Free photo on Pixabay (421795)

貧困や移民故の迫害、また彼女が行った取り組みに対する批判。様々な局面において困難に遭遇しながらも1970年に看護師協会の会長を務めるまでに至りました。1972年まで務めるも、晩年は多くの苦悩によって彼女自身、鬱病を患ってしまいます。

批判や取り組みへの妨害、鬱病など。そんな沢山の困難の中ようやく自身にも平穏が訪れたのは、1999年でした。カリフォルニア州の自宅にてヒルデガード・ペプロウは89歳の生涯を終えました。

ヴァージニア・ヘンダーソン

Document Paper Office - Free photo on Pixabay (421800)

ヴァージニア・ヘンダーソンはヒルデガード・ペプロウと同時期にアメリカで看護師(看護研究者)として看護界を牽引した人物です。『看護の基本となるもの』を出版し、今でも多くの看護師のバイブルとして取り上げられています。

ヴァージニア・ヘンダーソンの生い立ちはミズーリ州で父は弁護士、祖父母は教師という環境で育ちました。真面目な性格で向上心にあふれていた為、第一次世界大戦での戦争体験から看護の道を志します。

20歳に米国陸軍看護学校に入学し生涯の師となる校長のアニー・グットリッチと出会います。やがて仕事を通して「医師の補助」という看護の位置付けに疑念を抱くよになっていきました。

ヴァージニア・ヘンダーソンの取り組み

Book Embossing Leather - Free photo on Pixabay (421805)

ヴァージニア・ヘンダーソンは訪問看護師として働いた後に看護学校の教員となりました。教員になってからもスキルを維持する為に週末は看護師として患者と向き合いケアを行なっていたそうです。

後に、ヒルデガード・ペプロウと同じくコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジへ進学、学士号と博士号を取得します。卒業後も大学に教員として残るものの教育方針が当時の学長に認めてもらえず退職。

在学中に彼女のライティング能力を買われ故べルタ・ハーマーが著した『看護の原理と実際』の出版に携わったことから再改訂版の出版を考えます。そして5年の歳月をかけて著書『看護の基本となるもの』が誕生しました。

晩年まで看護界を牽引する

World Europe Map - Free photo on Pixabay (421808)

以降、彼女はエール大学へと移り看護学部名誉研究員となります。また、この頃より多くの国の看護師協会に名誉会員として迎え入れられるようになり、講演などで世界中を飛び回っておりました。

そして1996年に98歳で生涯を終えますが、その後も彼女が取り組みは今でも多くの看護師の基本となっています。患者の個別性への配慮を重要視し、声なき声に耳を傾け相手を理解しようとする思いやりの心を伝えています。

自身が何をすれば良いのか、という問いに看護という役割を見つけ邁進した彼女の取り組みの結果は今の看護界を見れば歴然でしょう。

看護界を牽引した2人の女性

Woman Hair Woven - Free photo on Pixabay (421822)

ヴァージニア・ヘンダーソン自身も学生時代に学費が足りずに休学をしたり、教員となった後に学長に教育方針が認めれられないなど大変な苦労の中、現在に至るまで看護界に数多くのものを残していきました。

ヒルデガード・ペプロウとヴァージニア・ヘンダーソンは環境こそ対照的であったものの、どちらも其々に多くの困難な状況に遭い、それでも真摯な姿勢で常に患者、看護の仕事そのものに向き合い続けて看護界を牽引してきました。

ペプロウが説いた看護理論

Mindmap Brainstorm Idea - Free photo on Pixabay (421830)

ペプロウの看護理論はH.S.サリヴァンの人間関係的精神医学の影響を強く受けており、彼女の説いた看護理論においてもそれらが顕著に現れています。ここではそのペプロウの看護理論において、ヒルデガード・ペプロウが掲げた理念と解釈を説明していきます。

ヒルデガード・ペプロウは看護を人間関係のプロセスと考え、その中で看護者と患者はお互いに学び成長していくものであると定義しています。そして、この理論は看護に携わっている以外の人もこの機会に是非知っておくと良い知識でしょう。

看護を人間関係のプロセスだと考えた

Treatment Finger Keep - Free photo on Pixabay (421843)

長らく精神科看護に携わっていたヒルデガード・ペプロウは特にH.S.サリヴァンの人間関係論的精神医学に強く影響を受けてきました。それによって“1回きりの援助を看護とはせず、継続して行うことによって看護として形をなすもの”といった看護を人間関係のプロセスであると考えたのです。

これについては、人間関係論的精神医学における“医師は患者との関わりを持ちながら治療を行っていく”という考えを引用したものと考えられます。

看護と患者は互いに学び成長していくもの

Hands Macro Nature - Free photo on Pixabay (421852)

更にヒルデガード・ペプロウ は患者と看護者という立場で無く、成長をしていく人間同士であるということを“看護者と患者は互いに学び成長していくもの”と定義しております。

また、看護者と患者が関係を深めていく過程において、その看護者の人格が高いほど患者の治癒力にも作用すると考えました。そして患者の人格や意欲など、総合的なモチベーションを高める必要があるとも説いています。

これらがヒルデガード・ペプロウの説いた看護に対する基本理念となります。

ペプロウの看護理論の解釈

Thought Idea Innovation - Free photo on Pixabay (421864)

先程ご説明したヒルデガード・ペプロウの理念は「看護者という存在が医師の補助者では無く、患者にとっていかなる存在か」という問題に対して回答しようとしたといわれています。

人間関係のプロセスの中で看護者は患者が精神分析の転移を起こすのを確認することができます。それによって、患者の抱える精神の病の原因が成長期のどの時期にあるのかを認知する事が出来、またそれを患者に明らかにして意識させることで治癒を促します。

精神分析の転移、看護者の立場

Shoes Legs Boys - Free photo on Pixabay (421867)

精神分析の転移(心理学における転移)とは、ある条件が揃うと心理的な退行をし、幼少期に重要な人物(両親や兄弟など)に向けた感情や欲求が治療者に対して再現されることを指します。この事は、精神分析の創始者とも呼ばれるフロイトが見出した心的現象の一つです。

これらから、ペプロウの看護理論では看護者は患者の転移ごとにどの時期に病の原因があるかを見極め、二次的な役割(必要とされる人物)を患者に応じて演じて問題を解決していくというものとされています。

2 / 4

関連する記事 こんな記事も人気です♪