平安時代の美人の条件とは?現代の平安美人や再現する方法も

おしろいを塗った真っ白な顔に長い黒髪、十二単…もしも平安美人が再現できたら、どのように見えるでしょうか。美の基準は国や時代で大きく違いますが、平安美人の条件やその理由の中には現代にも通じる美の姿があります。永久不変の美の本質を、平安美人に教えてもらいましょう。

平安時代だったらモテていたのにと思ったことがある人必見!

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二重の大きな瞳に高い鼻、適度に厚みのあるセクシーな唇、ぱっと花が咲いたような美人の影で、地味目の女子たちは鏡を見ながらため息をつきます。「あー、なんで私はこんな地味なおかめ顔なんだろう。こんな顔だったら、平安時代に生まれていたらモテモテだったのに…」

十二単を優雅に着こなし、おしろいを塗った白い顔、背丈を超えて流れる黒い髪、扇の影で恥ずかし気に伏せる小さな瞳…画に描かれる平安時代の美女たちは今とは全く違った姿をしており、異世界のお姫様のように感じられるかもしれません。

しかし、その中には驚くほど現代と通じる美しさが隠されています。平安文学を元に、平安美人たちの本来の姿がどのようなものであったのか、1000年の昔から伝えられる変わらない女性の魅力とはどのようなものなのかご紹介しましょう。

平安美人の条件

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平安時代の美人の条件として最も大切なのが、「きめの細かい白い肌」と、「まっすぐで長い黒髪」でした。もちろん現在でも美しい肌や髪は美人の条件ですが、小麦色の肌や茶髪でもOK、むしろナチュラルで良いとまで考えられています。なぜ平安時代の貴族たちは「白」と「黒」にこだわったのでしょうか。

肌が色白であること

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きめ細やかな白い肌は、平安時代の貴族において美人の必須条件でした。宮廷の女性たちは白粉を塗り、白い肌を更に白く輝かせていました。白粉が高価だった時代において、白粉が使えるというのは裕福であること、高い地位についていることの象徴でもあったのです。

白い肌が美しいとされたのは、当時の光環境にも理由があります。平安貴族が暮らしていた寝殿造は、昼でも薄暗いものでした。また、男性が女性の元に通うのはいつも夜、暗くなってからです。白い肌はほの暗い室内でも美しく輝き、賛美の対象となったのです。

髪が黒髪で綺麗なこと

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長く美しい黒髪も平安美人の必須条件です。闇夜に映える白い顔をなお一層引き立てる黒髪は、平安時代の女性にとって命とも言えるものだったでしょう。

髪は長ければ長いほど良く、身長より長い髪は当たり前でした。村上天皇の女御、藤原芳子などは、「大鏡」にて、「お車にお乗りになれば、ご本人は(車に)乗ってらっしゃるのだが、髪の毛のすそはまだ母屋の柱にある」と記録されているほどで、その髪はなんと7~11メートルに達していたとも言われています。

長いだけではなく真っ直ぐで豊かであることも大切で、癖毛や髪の少ない女性は、かもじ(ウィッグ)をつけていたそうです。古代から、「髪は女の命」だったのです。

間違った平安美人の条件

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平安美人は白くてのっぺりしたおかめ顔で、目は小さくて鼻はぺちゃんこ、福々しく太っている…というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。それらのイメージは、教科書などに載っている平安時代の絵から来ていることが多いでしょう。

しかし、それは少女漫画を見て、「顔の半分くらいを目が占めるくらい大きな目が可愛いんだ」と思うようなもの。当時の絵は中国の唐絵の影響を受け、写実的と言うよりもデザイン的だったのです。本当の平安美人がどのような姿をしていたのか、当時の小説や随筆から読み取ってみましょう。

顔が能面

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平安時代では、おしとやかで感情を顔に出さない、まるで能面のような女性がもてはやされていると考えている方も多いのではないでしょうか。

確かに、平安時代の女性たちは感情をあらわにすることは少なかったようです。平安時代の貴族たちは、成人すると眉を剃ってしまい、眉墨で眉を描きます。感情の変化が表れやすい眉がないため、あまり表情がないように見えます。

また、顔には白粉を厚く塗り込め、歯にお歯黒を塗っていたため、あまり口を大きく開けたり歯を見せたりすることはなかったようです。
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しかし、だからと言って能面のように完全に無表情の女性が好まれていたわけではありません。平安時代の女流作家紫式部は、宮中にいる女性たちの外見を詳しく日記に記しています。その中で、ある女性の美しさを称え、「うち笑みたる、愛嬌も多かり(ちょっと微笑んだところなど、愛嬌にも富んでいる)」と付け加えています。

また、源氏物語に登場する女性、軒端荻は「派手な愛嬌のある顔を性格からあふれる誇りに輝かせて笑うほうの女は、普通の見方をもってすれば確かに美人である」と描かれ、当時でも明るく笑う女性は魅力的だったようです。ですが、源氏は彼女を美人だと思う一方、「あはつけし(軽佻である)」とも感じています。

平安時代においては大輪の花のような分かりやすい満面の笑みより、雪を割って咲く可憐な花のような微笑みが、ともすれば冷たくさえ感じられる気品の中に愛らしさを添えるものとして尊ばれていたのかもしれません。

太っている

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健康的に太っているのは、東洋西洋を問わず長い間美人の条件となっていました。食糧難が続いていた昔は、太っていることが豊かさの象徴であり、美人の条件だったのです。「源氏物語」に登場する女性の中でも、空蝉や花散里は痩せ過ぎで不美人であったと描写されています。

しかし、太っていれば太っているほど良いわけではありません。源氏物語では、太り過ぎた女房を「田舎くさくなった」とけなすシーンがあります。度を超した肥り過ぎは野暮ったい、田舎くさいというマイナスのイメージがあったようです。

目が小さい

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平安時代の肖像画を見ると、皆線一本の糸目です。これを「引目」といい、平安美人の条件のひとつとして挙げられています。しかし、引目は「小さな目」ではなく、「一重で切れ長の細長い目」を指します。

先ほどご紹介した紫式部日記の中でも、ある女性の目を「目じりいたうひきて(目じりがとても長く)」と褒める描写があります。小さい目は短い目でもありますので、目の小さ過ぎる女性は美人とは評価されなかったことでしょう。

しかし、今なら好まれる大きな目は、平安時代では不気味なものに見られていたようです。ふくろうが不吉な鳥とされていましたので、ふくろうのようなぎょろっとした丸い目に恐れを抱いていたのかも知れません。

鼻がぺたんこ

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