目次
- お里が知れるの意味や語源は?
- 「お里が知れる」の使い方例文
- 高級品を身にまとって見るからにいいところのお嬢さんなのに、人に対してそんな口をきくようじゃお里が知れるわね
- 彼はいいところのお坊ちゃまらしいんだけど、箸の使い方を見たらお里が知れてがっかりだよ
- きれいなドレスを着ていても、そんな座り方をしていちゃお里が知れるね
- お里が知れるの類語
- 親の顔が見たい
- ぼろが出る
- 本性を露にする
- 化けの皮がはがれる
- 尻尾を出す
- 「お里が知れる」という言葉を知らない人が多い
- 「お里が知れる」は差別用語?
- 差別用語だという意見
- 差別用語ではないという意見
- お里が知れると言われる可能性のある行動
- 挨拶ができない
- 他人の家に上がる際に靴を揃えない
- 公共の場所でのマナー
- テーブルマナー
- 食べ方・食べ残し
- お里が知れると言われたらどう思う?
- 差別的だと感じる
- 恥ずかしい
- 見下されている
- 失礼だ
- 特に気にならない
- お里が知れるは放送禁止用語?
- 意外と知らない!使う時には注意が必要な言葉
- 外人
- キチガイ
- スチューワーデス
- 八百屋や魚屋
- ハーフ
- 障害者
- 部落
- 日本語って難しい!お里が知れるは使い方や使う相手に細心の注意を
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よそのお宅へ上がるときに脱いだ靴を揃えるというのも大切なマナーのひとつです。玄関で脱いだ靴は、先に上がってから、斜め向きで座って靴の先を玄関の入り口に向けて揃える、といったような細かい作法はさておき、脱いだ靴はきちんとつま先を玄関に向けて揃える、ということくらいは子どもの頃からしつけておきたいものです。
しかし、しつけというものは親が口でいうだけで身につくものではありません。子どもは親の言動を見て育ちます。親がいつもきれいに靴を揃えている姿を見て育った子どもは、自分もいつの間にか脱いだ靴をきちんと揃えるようになるものです。
そういった意味でも、他人の家に上がる際に靴を揃えないと、ああ、きっとそういうしつけをされていないんだな、そういう家庭で育っていないんだな、と思われて、「お里が知れる」と言われたりするのです。
しかし、しつけというものは親が口でいうだけで身につくものではありません。子どもは親の言動を見て育ちます。親がいつもきれいに靴を揃えている姿を見て育った子どもは、自分もいつの間にか脱いだ靴をきちんと揃えるようになるものです。
そういった意味でも、他人の家に上がる際に靴を揃えないと、ああ、きっとそういうしつけをされていないんだな、そういう家庭で育っていないんだな、と思われて、「お里が知れる」と言われたりするのです。
公共の場所でのマナー
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公共の場で守るべきマナーというものがあります。たとえば、電車やバスなど公共の乗り物に乗るときやどこかに入場するときは列に並んで順番を待つとか、電車やバスの中でお年寄りや体の悪い人に席を譲ってあげるとか、道を歩くときに横に広がって歩かないとか、公共の場のマナーと聞いて思い浮かぶことが多々あるのではないでしょうか。
映画館やコンサートホールで上映中や演奏中に話したり音を立てたりしないというのも大切なマナーです。「ゴミのポイ捨て」などはマナー違反の最たるものでしょう。
このようなマナーも、小さい頃から、出かけるたびに親に注意されたり親のすることを見たりして身につけていくものです。したがって、公共の場で、マナー違反をしたときにいわれるのが、「まあ、あの人はどういう育ち方をしたのかしら。お里が知れるわね」ということばなのです。
映画館やコンサートホールで上映中や演奏中に話したり音を立てたりしないというのも大切なマナーです。「ゴミのポイ捨て」などはマナー違反の最たるものでしょう。
このようなマナーも、小さい頃から、出かけるたびに親に注意されたり親のすることを見たりして身につけていくものです。したがって、公共の場で、マナー違反をしたときにいわれるのが、「まあ、あの人はどういう育ち方をしたのかしら。お里が知れるわね」ということばなのです。
テーブルマナー
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テーブルマナーとは何のためにあるのでしょう。それは、その場に居合わせた人たちが心地よく美味しく食事をするためにあります。フルコースのカラトリー(ナイフ、フォーク、スプーン)の正式な使い方を学ぶことも大切ですが、それよりも、食事の席での気配りがテーブルマナーの根底にあると考えていいでしょう。
たとえば、くちゃくちゃと大きな音を食べている人が近くのテーブルにいると、愉快な気分にはなれずに美味しく食事をすることができなくなります。カラトリーと食器がぶつかって立てる、あのガチャガチャといった音も不愉快なものです。
こういった食事中のマナーは、何も外食時に身につけるものではありません。いっしょに食事をしている人への気配りとして、日々、家庭での食事の席で学んでいくものです。したがって、テーブルマナーの悪い人は、「まあ、あの人の家ではどんな教育をしているのかしら。お里が知れるわね」といわれたりするのです。
たとえば、くちゃくちゃと大きな音を食べている人が近くのテーブルにいると、愉快な気分にはなれずに美味しく食事をすることができなくなります。カラトリーと食器がぶつかって立てる、あのガチャガチャといった音も不愉快なものです。
こういった食事中のマナーは、何も外食時に身につけるものではありません。いっしょに食事をしている人への気配りとして、日々、家庭での食事の席で学んでいくものです。したがって、テーブルマナーの悪い人は、「まあ、あの人の家ではどんな教育をしているのかしら。お里が知れるわね」といわれたりするのです。
食べ方・食べ残し
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子どもの食べ方と食べ残しの問題には、育児の経験がある人ならばほとんどの人が悩まされたことがあるのではないでしょうか。食事中に食べ物で遊びだす、嫌いな食べ物を放り出す、最後まで座っていられない、そしてほとんど残してしまう、といった問題は幼児期の子どもにはよく見られることです。
そのときに母親は、あきらめずに、わが子がしっかり食べて元気に育つためにはどうすればいいか、忍耐強くいろいろな工夫をして乗り越えていきます。食べ残しについても、世界で食べたくても食べられない子どもがいることなどを話して聞かせて、「もったいない」精神を教え込んでいきます。
そのときに母親は、あきらめずに、わが子がしっかり食べて元気に育つためにはどうすればいいか、忍耐強くいろいろな工夫をして乗り越えていきます。食べ残しについても、世界で食べたくても食べられない子どもがいることなどを話して聞かせて、「もったいない」精神を教え込んでいきます。
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そのおかげで、ほとんどの子どもは、大きくなるにつれて、幼い頃に母親を苦しめていたことなどなかったかのように、普通に食事ができるようになっていきます。しかし中には、大人になっても好き嫌いが激しくて、食べ物を選り分けたり、嫌いな物を食べ残したりする人もいます。
食べ方や食べ残しも、家庭での親の努力としつけや教育によって矯正される問題です。したがって、食べ方に問題がある人や食べ残しをする人は、あの人の親はどんなしつけをしてきたのかしら、といった思いにとらわれた人に「お里が知れるわね」とつぶやかれる可能性があるということなのです。
食べ方や食べ残しも、家庭での親の努力としつけや教育によって矯正される問題です。したがって、食べ方に問題がある人や食べ残しをする人は、あの人の親はどんなしつけをしてきたのかしら、といった思いにとらわれた人に「お里が知れるわね」とつぶやかれる可能性があるということなのです。
お里が知れると言われたらどう思う?
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ここでは、実際に「お里が知れるわね」と言われたときにどう感じたのか、5つの体験談を元に、言われた側の人間の心理について考察していきます。
差別的だと感じる
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体験談その1(Aさんの場合):先日夫の実家に帰ったときに、何気なく座布団を踏んでしまったところ、お義母さんに、「そんなことをしてお里が知れるわね。あなたのご実家ではみなさん平気で座布団を踏むの?」と言われました。わたしの実家はふつうのサラリーマン家庭で、夫の実家はお医者さん。そんなこともあって、なんだか差別されているような気になってしまいました。
このAさんは、お義母さんに言われたことばの根底に、「あなたの家は大したことないからそういった教育しかしてこなかったのね」といった蔑むような気持を感じてひどく傷ついてしまったのでしょう。見下すという思いや行為に、差別的なものを感じてしまったのかもしれません。
このAさんは、お義母さんに言われたことばの根底に、「あなたの家は大したことないからそういった教育しかしてこなかったのね」といった蔑むような気持を感じてひどく傷ついてしまったのでしょう。見下すという思いや行為に、差別的なものを感じてしまったのかもしれません。
恥ずかしい
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体験談その2(Bさんの場合):新婚当時のころの話です。汚れた雑巾をキッチンの流しで洗っていたら、従姉に、「そんな汚いものを食べ物を洗うところで洗っていたら、お里が知れる、って言われちゃうわよ」と叱られて、ものすごく恥ずかしかったことがあります。確かに下(廊下や外周り)を拭くものを洗うところと口に入れるものを洗うところは別にしなければいけないんだと猛省しました。
Bさんは、従姉さんに言われたことばを忠告と受け取って、自分の行いを顧みました。そのときの従姉さんがいじわるな気持ちではなく、純粋に常識をBさんに教えてあげたいという思いで「お里が知れる」ということばを口にしたからこそ、Bさんは素直にその忠告を受け入れて今後に生かすことができたのだと言えます。
Bさんは、従姉さんに言われたことばを忠告と受け取って、自分の行いを顧みました。そのときの従姉さんがいじわるな気持ちではなく、純粋に常識をBさんに教えてあげたいという思いで「お里が知れる」ということばを口にしたからこそ、Bさんは素直にその忠告を受け入れて今後に生かすことができたのだと言えます。
見下されている
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体験談その3(Cさんの場合):この間、飲み会で同席した女性に赤ワインを注いだところ、勢い余ってグラスになみなみと注いでしまいました。そのとき、その彼女に、「えーっ、何これ。ワインをこんなに注ぐなんてお里が知れるわねえ」と言われたんですが、何だかワインのこと知らないんじゃない、っていたような感じで見下されたみたいで、未だに思い出すと不愉快になります。
「お里が知れるわねえ」と言われたCさんは、その女性に、自分がワインのことをまるで知らない人のように思われたことが不愉快だったようです。そのときの「えーっ、何これ」という一言におそらくそういった思いを感じて、見下されたと思ってしまったのかもしれません。
「お里が知れるわねえ」と言われたCさんは、その女性に、自分がワインのことをまるで知らない人のように思われたことが不愉快だったようです。そのときの「えーっ、何これ」という一言におそらくそういった思いを感じて、見下されたと思ってしまったのかもしれません。
失礼だ
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体験談その4(Dさんの場合):数日前に、バーゲンにいって、隣の人と同じものをつかんで取り合いになりました。前から欲しかったものだったからわたしも必死になってつかみとったんですが、そのときその隣の人に「あらまあ、こんなに必死になって奪いとるなんて、お里が知れるわ」といやみたらしくいわれました。自分のことは棚にあげて、すごく失礼な人だと思いました。
「お里が知れるわ」と言われたDさんは、同じことをしていてそんなことを言える立場にない人から言われたことに対して、失礼だと憤りを感じています。ものは、言っていいことかどうか、そこで言うべきことかどうかを考えて口にしないと、こうして反発を買うことになるので注意が必要です。
「お里が知れるわ」と言われたDさんは、同じことをしていてそんなことを言える立場にない人から言われたことに対して、失礼だと憤りを感じています。ものは、言っていいことかどうか、そこで言うべきことかどうかを考えて口にしないと、こうして反発を買うことになるので注意が必要です。
特に気にならない
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