2019年11月2日 更新

クレバスとは?クレバス内部の状態とクレバスの落下事故について

クレバスとは、氷河や雪渓などで形成された深い割れ目のことで、登山客がクレバスに落下したというニュースを一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。今回はクレバスとヒドゥン・クレバスについて、クレバスの底や深さ、過去にあった事故についてご紹介します。

目次

「ヒドゥン・クレバス」というものをご存知でしょうか。クレバスは地表面が見えているので、そこにクレバスがあることが分かります。見えることで渡る際に細心の注意をはらいながら渡ることができます。

ですが、ヒドゥン・クレバスはクレバスの表面が雪に覆い隠されています。雪に覆い隠されていることで、クレバスの発見が難しくなってしまいます。しかも見つけることができず、クレバスに落ちてしまうという事件が実際に起こっています。

クレバスができる理由

Glacier Snowfield Persons - Free photo on Pixabay (701793)

では、クレバスはどうしてできるのでしょうか。クレバスは雪が積み重なり圧雪になって、それが氷になります。その氷にヒビが生じてできたのがクレバスです。圧雪した氷が周りの気温などの影響でどんどん溶けていき、それが原因でひびが入り亀裂ができるのです。

クレバスの亀裂は場所によって変化します。山は広大な場所です。その場所によって気温の変化等で亀裂にも変化があります。その場所でクレバスの亀裂にも変化があるので、登山する際は注意が必要です。

クレバスの事故例

Greenland Crevasse Snow - Free photo on Pixabay (711565)

クレバスはとても危険な存在で、世界中でクレバスが原因で事故にあった人がたくさんいます。中には奇跡的に生存できた人や、命を落としてしまった人も少なくありません。

そこで、世界中で起こったクレバスによる事故をいくつかご紹介します。

ワイワシュ山脈:ジョー・シンプソン

Glacier Crevasse North Wall - Free photo on Pixabay (711577)

1985年、ジョーシンプソンとサイモン・イェーツは南米シウラ・グランデ峰の西壁に挑戦しました。この西壁の標高差は約1400メートルもあり、登山者を苦しめていました。二人は順調に登山を続け、この西壁を登りきることに成功します。ですが、帰り道にジョーシンプソンが足を滑落し、足を骨折してしまいます。

ですがサイモンは、ジョーシンプソンを見捨てることをせず、雪の壁をザイル1ピッチずつ、ゆっくりと先に降ろしていき、後から自分はクライミングダウンという方法で降りていきました。その後も数々の試練が待ち構えていますが、二人は奇跡的に生還することができます。

この二人の話は映画化されており「運命を分けたザイル」というタイトルで映画化されています。映画の出来もストーリーも評価が良いので、是非一度ご覧になってみてください。

ヒマラヤ山脈:ジョン・オール

Glacier Ice Crevasse - Free photo on Pixabay (713117)

ジョン・オールはヒマラヤ山脈のヒルムン山でクレバスに落下しました。その深さは約20メートルにもおよび、右腕は脱臼骨折、顔は血だらけという重傷を負ったにも関わらず、生還することができました。ジョン・オールはクレバスの雪壁を左腕だけで、アイスピックを使って登ったのです。

しかも、ジョン・オールは転落してからクレバスを登りきるまでの様子をビデオで自撮りしており、3本で、動画投稿サイト「youtube」に投稿されました。ジョン・オールは六時間をかけてクレバスを登りきり、脱出することができました。

エベレスト:ナムギャ・ツェリン

Mountaineering Bergschrund Winter - Free photo on Pixabay (716878)

2012年4月21日、エベレストに登っていたシェルパ族のナムギャ・ツェリンさん(推定年齢30歳)がエベレストのクレバスから落ちて亡くなりました。2012年のエベレスト登山で最初の犠牲者となってしまいました。ナムギャ・ツェリンさんが落ちてしまったクレバスの高さは約46メートルもの高さで、15階の建物に相当する高さです。

ナムギャ・ツェリンさんがクレバスに落ちてしまった原因として、安全対策を怠ってしまったことが原因だといわれています。腰周りにハーネスを付けておらず、アイゼンがはしごに引っ掛かってしまいクレバスに落下してしまったと言われています。

70歳のドイツ人登山家

Person Mountain Top Achieve - Free photo on Pixabay (719899)

登山中に、ドイツ人登山家の男性(70歳)がクレバスに転落しました。転落してから1週間後に救助され、体は冷え切っていた状態でかすり傷という軽症で済みました。標高3000メートル付近で深さ20メートルものクレバスに転落してしまいました。男性にはアイゼンが装着されていませんでした。

男性の助けを求める声を聞いたほかの登山客が、救助隊に助けを求めて男性は無事に助かることができました。クレバスの中で1週間も生存できたことは奇跡に近いことで、数々の幸運が重なってできた奇跡だといえます。

日本人のクレバス落下事故【白水ミツ子隊員】

Rock Climbing Climber Via Ferrata - Free vector graphic on Pixabay (719905)

京都山岳会登山隊に所属していた白水ミツ子隊員が、天山山脈のボゴタ峰で下山中にヒドゥン・クレバスに転落しました。彼女はクレバスの中に落ちてしばらくの間生存しており、救助隊が救出しようと彼女のいるところまで行こうとしましたが、後数十メートル下の彼女がいるところまで届かず、救助を断念するという苦渋の決断をしなければなりませんでした。

今回は、日本人女性の白水ミツ子隊員について紹介します。

1981年:天山山脈のボゴタ峰

Ice Climbing Climb Extreme - Free photo on Pixabay (720573)

白水ミツ子隊員は、京都山岳会登山隊に所属しており、1981年に中国にあるウイグル自治区の天山山脈にあるボゴタ峰に登りました。ボゴタ峰はとても険しい山で標高は5445メートルの山で、ボゴタ山の最高峰の山です。周りはとても険しく、氷河で覆われており簡単には登ることはできない山でした。

そんな難関の山に、白水ミツ子隊員と京都山岳会登山隊はベースキャンプを拠点にし第一キャンプ、第二キャンプと少しずつ荷物を上へと上げていきながらボゴタ峰の上へと目指していきました。

ヒドゥン・クレバスへ落下

Glacier Snowfield Persons - Free photo on Pixabay (725567)

事故が起きたのは1981年6月10日の午前11時20分のことでした。白水ミツ子隊員が、ヒドゥン・クレバスに転落しました。直ぐに第一キャンプにその連絡が行き、第二キャンプから救助隊が出動しました。救助隊が到着したのは、事故から約2時間後の午後13時10分のことでした。

救助隊が到着したとき、白水ミツ子隊員はクレバスの底で生存していました。救助隊はすぐに白水ミツ子隊員を救助するべく、各隊員が交代でクレバスへと降下し、救助すべく活動を始めました。

救助は困難な状況

Helicopter Mountains Snow Accident - Free photo on Pixabay (725603)

2 / 5

関連する記事 こんな記事も人気です♪