目次
- 本当に恐ろしいクレバスの実態
- クレバスとは?
- クレバスの危険
- クレバスの形状や深さ
- クレバス内部の形状
- クレバスの深さ
- クレバスの底はどうなってる?
- 暗くて細い通路
- 迷路のようになっている場合も
- 雪に隠れたクレバス「ヒドゥン・クレバス」
- クレバスができる理由
- クレバスの事故例
- ワイワシュ山脈:ジョー・シンプソン
- ヒマラヤ山脈:ジョン・オール
- エベレスト:ナムギャ・ツェリン
- 70歳のドイツ人登山家
- 日本人のクレバス落下事故【白水ミツ子隊員】
- 1981年:天山山脈のボゴタ峰
- ヒドゥン・クレバスへ落下
- 救助は困難な状況
- 14年後に遺体発見
- 日本人のクレバス落下事故【宮城県勤労者山岳連盟登山隊】
- 2012年:マッキンリー
- 登山隊5人が雪崩に巻き込まれる
- 最後尾の1人がクレバスに落下するも生還
- クレバス内でロープの切れ端見つかる
- 日本人のクレバス落下事故【17歳の男性】
- 2018年:スイスのモンテローザ
- 装備不足のためハイキングを中断
- 宿泊施設周辺でクレバスへ落下
- 事故の原因
- イモトアヤコもクレバスに落ちていた
- スイスのツェルマットで登山トレーニング
- 深さ数百メートルのクレバスに落下
- ロープで命拾い
- クレバスの安全対策
- 事前に情報を集める
- できる限り避ける
- ロープや梯子で渡る
- ピッケルで確認
- 日本にもクレバスはある!注意が必要な山
- 剱岳
- 白馬岳
- プロでも危険なクレバス
「ヒドゥン・クレバス」というものをご存知でしょうか。クレバスは地表面が見えているので、そこにクレバスがあることが分かります。見えることで渡る際に細心の注意をはらいながら渡ることができます。
ですが、ヒドゥン・クレバスはクレバスの表面が雪に覆い隠されています。雪に覆い隠されていることで、クレバスの発見が難しくなってしまいます。しかも見つけることができず、クレバスに落ちてしまうという事件が実際に起こっています。
ですが、ヒドゥン・クレバスはクレバスの表面が雪に覆い隠されています。雪に覆い隠されていることで、クレバスの発見が難しくなってしまいます。しかも見つけることができず、クレバスに落ちてしまうという事件が実際に起こっています。
クレバスができる理由
via pixabay.com
では、クレバスはどうしてできるのでしょうか。クレバスは雪が積み重なり圧雪になって、それが氷になります。その氷にヒビが生じてできたのがクレバスです。圧雪した氷が周りの気温などの影響でどんどん溶けていき、それが原因でひびが入り亀裂ができるのです。
クレバスの亀裂は場所によって変化します。山は広大な場所です。その場所によって気温の変化等で亀裂にも変化があります。その場所でクレバスの亀裂にも変化があるので、登山する際は注意が必要です。
クレバスの亀裂は場所によって変化します。山は広大な場所です。その場所によって気温の変化等で亀裂にも変化があります。その場所でクレバスの亀裂にも変化があるので、登山する際は注意が必要です。
クレバスの事故例
via pixabay.com
クレバスはとても危険な存在で、世界中でクレバスが原因で事故にあった人がたくさんいます。中には奇跡的に生存できた人や、命を落としてしまった人も少なくありません。
そこで、世界中で起こったクレバスによる事故をいくつかご紹介します。
そこで、世界中で起こったクレバスによる事故をいくつかご紹介します。
ワイワシュ山脈:ジョー・シンプソン
via pixabay.com
1985年、ジョーシンプソンとサイモン・イェーツは南米シウラ・グランデ峰の西壁に挑戦しました。この西壁の標高差は約1400メートルもあり、登山者を苦しめていました。二人は順調に登山を続け、この西壁を登りきることに成功します。ですが、帰り道にジョーシンプソンが足を滑落し、足を骨折してしまいます。
ですがサイモンは、ジョーシンプソンを見捨てることをせず、雪の壁をザイル1ピッチずつ、ゆっくりと先に降ろしていき、後から自分はクライミングダウンという方法で降りていきました。その後も数々の試練が待ち構えていますが、二人は奇跡的に生還することができます。
この二人の話は映画化されており「運命を分けたザイル」というタイトルで映画化されています。映画の出来もストーリーも評価が良いので、是非一度ご覧になってみてください。
ですがサイモンは、ジョーシンプソンを見捨てることをせず、雪の壁をザイル1ピッチずつ、ゆっくりと先に降ろしていき、後から自分はクライミングダウンという方法で降りていきました。その後も数々の試練が待ち構えていますが、二人は奇跡的に生還することができます。
この二人の話は映画化されており「運命を分けたザイル」というタイトルで映画化されています。映画の出来もストーリーも評価が良いので、是非一度ご覧になってみてください。
ヒマラヤ山脈:ジョン・オール
via pixabay.com
ジョン・オールはヒマラヤ山脈のヒルムン山でクレバスに落下しました。その深さは約20メートルにもおよび、右腕は脱臼骨折、顔は血だらけという重傷を負ったにも関わらず、生還することができました。ジョン・オールはクレバスの雪壁を左腕だけで、アイスピックを使って登ったのです。
しかも、ジョン・オールは転落してからクレバスを登りきるまでの様子をビデオで自撮りしており、3本で、動画投稿サイト「youtube」に投稿されました。ジョン・オールは六時間をかけてクレバスを登りきり、脱出することができました。
しかも、ジョン・オールは転落してからクレバスを登りきるまでの様子をビデオで自撮りしており、3本で、動画投稿サイト「youtube」に投稿されました。ジョン・オールは六時間をかけてクレバスを登りきり、脱出することができました。
エベレスト:ナムギャ・ツェリン
via pixabay.com
2012年4月21日、エベレストに登っていたシェルパ族のナムギャ・ツェリンさん(推定年齢30歳)がエベレストのクレバスから落ちて亡くなりました。2012年のエベレスト登山で最初の犠牲者となってしまいました。ナムギャ・ツェリンさんが落ちてしまったクレバスの高さは約46メートルもの高さで、15階の建物に相当する高さです。
ナムギャ・ツェリンさんがクレバスに落ちてしまった原因として、安全対策を怠ってしまったことが原因だといわれています。腰周りにハーネスを付けておらず、アイゼンがはしごに引っ掛かってしまいクレバスに落下してしまったと言われています。
ナムギャ・ツェリンさんがクレバスに落ちてしまった原因として、安全対策を怠ってしまったことが原因だといわれています。腰周りにハーネスを付けておらず、アイゼンがはしごに引っ掛かってしまいクレバスに落下してしまったと言われています。
70歳のドイツ人登山家
via pixabay.com
登山中に、ドイツ人登山家の男性(70歳)がクレバスに転落しました。転落してから1週間後に救助され、体は冷え切っていた状態でかすり傷という軽症で済みました。標高3000メートル付近で深さ20メートルものクレバスに転落してしまいました。男性にはアイゼンが装着されていませんでした。
男性の助けを求める声を聞いたほかの登山客が、救助隊に助けを求めて男性は無事に助かることができました。クレバスの中で1週間も生存できたことは奇跡に近いことで、数々の幸運が重なってできた奇跡だといえます。
男性の助けを求める声を聞いたほかの登山客が、救助隊に助けを求めて男性は無事に助かることができました。クレバスの中で1週間も生存できたことは奇跡に近いことで、数々の幸運が重なってできた奇跡だといえます。
日本人のクレバス落下事故【白水ミツ子隊員】
via pixabay.com
京都山岳会登山隊に所属していた白水ミツ子隊員が、天山山脈のボゴタ峰で下山中にヒドゥン・クレバスに転落しました。彼女はクレバスの中に落ちてしばらくの間生存しており、救助隊が救出しようと彼女のいるところまで行こうとしましたが、後数十メートル下の彼女がいるところまで届かず、救助を断念するという苦渋の決断をしなければなりませんでした。
今回は、日本人女性の白水ミツ子隊員について紹介します。
今回は、日本人女性の白水ミツ子隊員について紹介します。
1981年:天山山脈のボゴタ峰
via pixabay.com
白水ミツ子隊員は、京都山岳会登山隊に所属しており、1981年に中国にあるウイグル自治区の天山山脈にあるボゴタ峰に登りました。ボゴタ峰はとても険しい山で標高は5445メートルの山で、ボゴタ山の最高峰の山です。周りはとても険しく、氷河で覆われており簡単には登ることはできない山でした。
そんな難関の山に、白水ミツ子隊員と京都山岳会登山隊はベースキャンプを拠点にし第一キャンプ、第二キャンプと少しずつ荷物を上へと上げていきながらボゴタ峰の上へと目指していきました。
そんな難関の山に、白水ミツ子隊員と京都山岳会登山隊はベースキャンプを拠点にし第一キャンプ、第二キャンプと少しずつ荷物を上へと上げていきながらボゴタ峰の上へと目指していきました。
ヒドゥン・クレバスへ落下
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事故が起きたのは1981年6月10日の午前11時20分のことでした。白水ミツ子隊員が、ヒドゥン・クレバスに転落しました。直ぐに第一キャンプにその連絡が行き、第二キャンプから救助隊が出動しました。救助隊が到着したのは、事故から約2時間後の午後13時10分のことでした。
救助隊が到着したとき、白水ミツ子隊員はクレバスの底で生存していました。救助隊はすぐに白水ミツ子隊員を救助するべく、各隊員が交代でクレバスへと降下し、救助すべく活動を始めました。
救助隊が到着したとき、白水ミツ子隊員はクレバスの底で生存していました。救助隊はすぐに白水ミツ子隊員を救助するべく、各隊員が交代でクレバスへと降下し、救助すべく活動を始めました。
救助は困難な状況
via pixabay.com
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