目次
- 「真善美」のそれぞれの意味
- 真
- 善
- 美
- 真善美が重視する3つのこと
- 知性
- 意志
- 感性
- 弓道が真善美を大切にしている理由
- 「真」の弓は偽らない
- 「善」は平常心に宿る
- 「美」は真と善の結晶
- 真善美とプラトンの関係性
- プラトンの思想
- イデア論
- 洞窟の比喩
- 真善美とカント哲学の関係性
- カント哲学の「真」
- カント哲学の「善」
- カント哲学の「美」
- 哲学者クーザン
- 新カント学派
- 実際に真善美をモットーにした体験談
- ピアノの道を切り開いてくれた「真善美」
- 健康食品の営業は「真善美」を大切に
- 真善美をモットーとしている有名人
- ユニクロ創業者 柳井正
- 藤原紀香
- 真善美をモチーフにした楽曲
- 真善美/BRAHMAN
- あなたも真善美を大切にしてみませんか
ソクラテスからプラトンへと受け継がれた真善美について、更に深く考察したのがカントです。カントは1724年に東プロイセン(ドイツ)で生まれ、「純粋理性批判」、「実践理性批判」、「判断力批判」という3つの代表作を著しています。この批判というのは否定することではなく、物事を根底から改めて吟味し直すという意味です。カントにおける真善美の再考についてご説明し、カントの思想を受け継いだ哲学者たちについてもご紹介していきましょう。
カント哲学の「真」
「純粋理性批判」では、「真」、「私たちは何を知り、何を知ることができないのか」をテーマとしています。カントは人間の認識の限界を説き、経験を超えた問題(例えば世界の始まりや神の存在など)は認識できないが、それでも人の認識の仕方には共通もあるため、そうした問題を除けばある共通した認識に達することができると説きました。
また、カントは人の認識構造は感性、悟性、理性からなると考え、対象を「感性」によって感覚的に直感し、「悟性」によって思考、判断され、「理性」によって多様な思考、判断を統一するとしています。ものを感じ、考え、原理として整理することが認識であり、正しい認識を得ることによって、人は「真」を獲得できるのです。
また、カントは人の認識構造は感性、悟性、理性からなると考え、対象を「感性」によって感覚的に直感し、「悟性」によって思考、判断され、「理性」によって多様な思考、判断を統一するとしています。ものを感じ、考え、原理として整理することが認識であり、正しい認識を得ることによって、人は「真」を獲得できるのです。
カント哲学の「善」
「実践理性批判」では、「真」、「私たちは何をすべきか、また何をすべきでないのか」をテーマとしています。カントは自然界に自然法則があるように、人間には道徳法則があると考えていました。道徳法則は「汝、~すべし」という良心の声で、私たちの理性に訴えかけてきます。
カントにとって道徳法則は普遍的なもので、誰もが納得できるようなおこないでなくてはなりません。また、見返りを期待するものではなく、道徳的な行動自体が目的であるべきだと説いています。例えば、人に親切にする時には、「お返しがもらえるから」、「感謝してもらえるから」というのではなく、「親切にすること」自体が目的でなくてはならないのです。ですから、道徳法則の声は「~せよ」という命令形なのです。これを「定言命法」といいます。
カントにとって道徳法則は普遍的なもので、誰もが納得できるようなおこないでなくてはなりません。また、見返りを期待するものではなく、道徳的な行動自体が目的であるべきだと説いています。例えば、人に親切にする時には、「お返しがもらえるから」、「感謝してもらえるから」というのではなく、「親切にすること」自体が目的でなくてはならないのです。ですから、道徳法則の声は「~せよ」という命令形なのです。これを「定言命法」といいます。
しかし、カントは同時に、人には道徳法則と相いれない個人的な欲求があることも認めていました。そして、個人的、主観的な行動法則を「格率」と呼び、格率と道徳を一致させることができれば、自発的に道徳をおこなうことができ、自由を手に入れることができると考えました。
例えば、心から「人に親切にすると決めている」と思える人は、人が困っているとき、本当に快く助けることができます。自分がすると決めたことをしているだけなので、欲求に反することなく心は自由です。カントは本当の道徳(善)は自律的なものであり自由なものだと考えました。
例えば、心から「人に親切にすると決めている」と思える人は、人が困っているとき、本当に快く助けることができます。自分がすると決めたことをしているだけなので、欲求に反することなく心は自由です。カントは本当の道徳(善)は自律的なものであり自由なものだと考えました。
カント哲学の「美」
「判断力批判」では、「美」、「私たちは何を望むのか、また何を望まないのか」をテーマとしています。純粋理性批判で扱った「真」は人の感性で得た自然の世界を、実践理性批判で扱った「善」は人の道徳で得た自由(目的)の世界について論じていますが、この2つの世界は完全に分離したもので、橋渡しをする存在がありません。
それなのに、人間は真と善の存在する世界に生きています。このギャップを埋めるために、カントが著したのがこの「判断力批判」です。
カントは自然と自由を結びつける概念として、「自然の合目的性」を考えだしました。もしも自然のありかたが一定の目的にかなっている(合目的性がある)なら、目的が自然の中で実現される、つまり自然と目的が結びつけられるからです。
それなのに、人間は真と善の存在する世界に生きています。このギャップを埋めるために、カントが著したのがこの「判断力批判」です。
カントは自然と自由を結びつける概念として、「自然の合目的性」を考えだしました。もしも自然のありかたが一定の目的にかなっている(合目的性がある)なら、目的が自然の中で実現される、つまり自然と目的が結びつけられるからです。
この合目的性の中で自然美と芸術美が挙げられています。花や芸術を見る時、私たちは美しいと感じ快くなります。花は子孫を増やすため、芸術は人の心からあふれたものの表現であり、人に美を感じさせることが本当の目的ではないのですが、花や芸術が、人に快い感情(美)を与えることを目的にして存在しているように見えます。これを美的対象のもつ形式的合目的性と言います。
美は真(自然)と善(目的)を結びつける橋のような役割を持ち、それを生み出すのはやはり人の心だと言えるでしょう。
美は真(自然)と善(目的)を結びつける橋のような役割を持ち、それを生み出すのはやはり人の心だと言えるでしょう。
哲学者クーザン
クーザンはフランスの哲学者で、1792年にフランスの貧しい家庭に生まれました。しかし、11歳の時に同級生にいじめられていた少年を助けたことで、彼の人生は大きく変わります。少年の母の援助により、リセ・シャルルマーニュに入ったクーザンは、抜群の成績を修め、師範学校の教師となりました。
クーザンは人間に感覚、理性、意志という3つの能力があることを認め、意志的事実が告げる人間の自由を最も強く擁護しました。
聴講者のノートを元に出版された彼の講義録の一つ「真・美・善」では、彼の理念であるエクレクティスムを読み取ることができます。エクレクティスムは対立する理論を同調させ、その中から正しい部分を救い出していくという考え方です。クーザンは過去の哲学の中に未来の諸原理を発見し、新しい秩序を創り出そうとしていました。
クーザンは人間に感覚、理性、意志という3つの能力があることを認め、意志的事実が告げる人間の自由を最も強く擁護しました。
聴講者のノートを元に出版された彼の講義録の一つ「真・美・善」では、彼の理念であるエクレクティスムを読み取ることができます。エクレクティスムは対立する理論を同調させ、その中から正しい部分を救い出していくという考え方です。クーザンは過去の哲学の中に未来の諸原理を発見し、新しい秩序を創り出そうとしていました。
また、クーザンは有用性、正義、美、完全性という観念が、人間の創造力により、それぞれ産業、国家、芸術、宗教を生み出すと考えました。人の観念が想像力により成長、発展し、理想的なものができあがるという彼の考え方から、知性、意志、感性が真・善・美に到達する力となるという思想との共通点を見出すことができます。
クーザンの思想は、文明の発達により多様化が進み、更に排他的、懐疑的になりがちな世の中に沿う形に、人の普遍的な理想である真善美を発展させていったと言えるでしょう。
クーザンの思想は、文明の発達により多様化が進み、更に排他的、懐疑的になりがちな世の中に沿う形に、人の普遍的な理想である真善美を発展させていったと言えるでしょう。
新カント学派
カントの死から70年後のドイツで、「カントに帰れ」の呼び声とともに、カント的な認識論を復興させる運動が始まりました。自然科学の目覚ましい発達により、新しい哲学をうちたてるためには、実証科学の意義を認めつつ、それを超えて、科学を基礎づけるような哲学を考える必要がありました。
そしてそれはかつてカントが試みていたことであったため、カントの哲学を今一度見直すことにより新しい哲学を創り出すことができると考えられたのです。
そしてそれはかつてカントが試みていたことであったため、カントの哲学を今一度見直すことにより新しい哲学を創り出すことができると考えられたのです。
新カント学派の哲学は明治末期に日本でも研究されるようになり、日本における厳密な学問方法を重視するアカデミズム哲学の成立に大きな影響を与えました。
それによって日本はそれまで経験主義、独断主義的だった法哲学を克服し、近代市民社会での「個人」の思想を広く法律上の考え方に定着させることができました。カントの思想は時代や国境を越え、日本の近代的法哲学の発展に貢献したのです。
それによって日本はそれまで経験主義、独断主義的だった法哲学を克服し、近代市民社会での「個人」の思想を広く法律上の考え方に定着させることができました。カントの思想は時代や国境を越え、日本の近代的法哲学の発展に貢献したのです。
実際に真善美をモットーにした体験談
ピアノの道を切り開いてくれた「真善美」
3歳の時からずっとピアノを習っています。もともと才能があったようで、特に一生懸命練習をしなくても、周りの友だちより上手に弾けて、教室に通うのも楽しかったです。
しかし、中学生になった頃から、なかなか上達しなくなっている自分に気づきました。指が動かない、思うように表現できない…試験勉強や部活が忙しいから、と言い訳をしていましたが、あの伸び伸びと弾いていた頃の自分に戻りたい、でも、また失敗するかもしれない、と思うと練習が怖くなり、身動きが取れなくなりました。
そんな時、ピアノの先生が、「あなたの曲の本質をつかむ感性は素晴らしいものよ。でも、感性だけで演奏をする段階はすでに過ぎているの。もう一度基礎をしっかり学び直しなさい。それから、いつも良い演奏ができるよう、心を鍛えなさい」と仰いました。
しかし、中学生になった頃から、なかなか上達しなくなっている自分に気づきました。指が動かない、思うように表現できない…試験勉強や部活が忙しいから、と言い訳をしていましたが、あの伸び伸びと弾いていた頃の自分に戻りたい、でも、また失敗するかもしれない、と思うと練習が怖くなり、身動きが取れなくなりました。
そんな時、ピアノの先生が、「あなたの曲の本質をつかむ感性は素晴らしいものよ。でも、感性だけで演奏をする段階はすでに過ぎているの。もう一度基礎をしっかり学び直しなさい。それから、いつも良い演奏ができるよう、心を鍛えなさい」と仰いました。
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