目次
- brahman事件の真相とその後
- brahman事件とは
- brahmanのメンバー
- TOSHI-LOW
- KOHKI
- MAKOTO
- RONZI
- NABE
- DAISUKE
- brahman事件で訴えられた会社について
- ヴァージン・ミュージック・ジャパン
- 有限会社イレブンサーティエイト
- brahman事件のそれぞれの意見
- ヴァージン・ミュージック・ジャパンの意見
- 有限会社イレブンサーティエイトの意見
- brahmanの意見
- brahman事件での論点である権利について
- 著作権とは
- 著作権違反が起こると
- 録音権とは
- 譲渡権とは
- brahman事件の判決とその後
- 事件で知名度がUP
- 被災地でLIVE活動を行った
- brahmanの現在の活動
- brahmanは事件後も現在でも素晴らしいロックバンドマン!
brahman事件の真相とその後
via pixabay.com
brahman事件とは著作権違反というものを世間に印象付ける事件です。これまで著作権についてアーティストとCD販売を行う会社との間で争うことはなく、契約書についてもはっきりと明記されことはありませんでした。
この事件をきっかけに音楽業界では著作権を守らなければならないとする動きが加速しました。これはアーティストの権利を守る功績とも言えるでしょう。
著作権とは何か。brahmanが著作権違反だと考えた起因は何か。brahman事件について詳しく見て行きましょう。
この事件をきっかけに音楽業界では著作権を守らなければならないとする動きが加速しました。これはアーティストの権利を守る功績とも言えるでしょう。
著作権とは何か。brahmanが著作権違反だと考えた起因は何か。brahman事件について詳しく見て行きましょう。
著作権を関わる他の事件について気になる方はこちらをご覧ください。

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brahman事件とは
via pixabay.com
brahmanはメンバーが自ら作詞作曲を行っており、作成した曲を音楽会社ヴァージン・ミュージック・ジャパンに譲渡し、CDなどの音楽媒体で売ってもらうという契約をしていました。曲制作をbrahmanが、曲の販売をヴァージン・ミュージック・ジャパンが担当するというものです。
ヴァージン・ミュージック・ジャパンは有限会社イレブンサーティーエイトと販売行為の共同契約を行っており、brahmanの曲は有限会社イレブンサーティーエイトでも取り扱うことが可能となります。
事件となったのは、有限会社イレブンサーティーエイトが直接brahmanに演奏を依頼し、CDを制作、販売したため、brahmanは自分たちの承諾なく、演奏を録音し、CD販売を行ったとして著作権違反を訴えたのです。
ヴァージン・ミュージック・ジャパンは有限会社イレブンサーティーエイトと販売行為の共同契約を行っており、brahmanの曲は有限会社イレブンサーティーエイトでも取り扱うことが可能となります。
事件となったのは、有限会社イレブンサーティーエイトが直接brahmanに演奏を依頼し、CDを制作、販売したため、brahmanは自分たちの承諾なく、演奏を録音し、CD販売を行ったとして著作権違反を訴えたのです。
brahmanのメンバー
via pixabay.com
音楽界に大きな影響を及ぼしたbrahman事件。これまでの著作権の扱われ方についてアーティストや音楽レーベルなど多くの業界に問題定義する形となりました。
brahmanが自身で作詞作曲を行っていることが今回の事件をより考えさせるものに。作詞作曲もこなし、著作権問題にも精通しているbrahmanとはどんなバンドなのでしょうか。メンバー1人1人をご紹介します。
brahmanが自身で作詞作曲を行っていることが今回の事件をより考えさせるものに。作詞作曲もこなし、著作権問題にも精通しているbrahmanとはどんなバンドなのでしょうか。メンバー1人1人をご紹介します。
TOSHI-LOW
1974年11月9日生まれの45歳。本名は宮田俊郎。茨城県水戸市出身です。brahmanではボーカルを担当しています。「鬼」と呼ばれるほどの鍛え上げられた肉体を持ち、キックボクサーとしても活動していました。
2003年4月に女優のりょうさんと結婚。2人の間には2005年7月に長男、2012年4月に次男が誕生しています。TOSHI‐LOWさんは息子さんたちのお弁当を作りを担当しており、「鬼弁」レシピ本を発売するほどです。夫婦関係も良好で理想の夫婦としても有名です。
アパレルブランドの経営携わるなどの経験を経て、現在はNPO法人「幡ヶ谷再生大学 復興再生部」の代表として活躍。近年起きている自然災害の被害者支援活動を行っています。
2003年4月に女優のりょうさんと結婚。2人の間には2005年7月に長男、2012年4月に次男が誕生しています。TOSHI‐LOWさんは息子さんたちのお弁当を作りを担当しており、「鬼弁」レシピ本を発売するほどです。夫婦関係も良好で理想の夫婦としても有名です。
アパレルブランドの経営携わるなどの経験を経て、現在はNPO法人「幡ヶ谷再生大学 復興再生部」の代表として活躍。近年起きている自然災害の被害者支援活動を行っています。
KOHKI
SCAFULL KING presents TUCK OUT「TRIPLE TUCK OUT」でのBRAHMANのLIVEに飛び入り参加してきた。とにかく近年俺が思う日本一カッコいいバンドとの共演はもう最狂、最幸。TOSHI-LOWくん、KOHKIくん、MAKOTOくん、RONZIくん、超ありがとう! また一緒に演ろう!SGZ
— SUGIZO (@SUGIZOofficial) October 7, 2018
Photo by Tsukasa MIYOSHI (Showcase). pic.twitter.com/vB3Wchn2ME
1975年7月13日生まれの44歳。ギターを担当。1997年に前のギター担当DAISUKEに代わり加入しました。本名は堤幸起。和歌山県新宮市出身です。ギターの腕前は抜群で、数多くのギターリストと共演しています。
brahmanはこれまでMCを行いませんでしたが、東日本大震災以降、MCを行う機会が増えました。その際にはKOHKIの関西弁や天然な行動が笑いを誘っています。演奏スタイルはトレードマークの長髪を振り回し激しいものです。
多才でストリートブランド「GIGGLY ROY」ディレクションにも携わっています。DJとしても何年も活動。
brahmanはこれまでMCを行いませんでしたが、東日本大震災以降、MCを行う機会が増えました。その際にはKOHKIの関西弁や天然な行動が笑いを誘っています。演奏スタイルはトレードマークの長髪を振り回し激しいものです。
多才でストリートブランド「GIGGLY ROY」ディレクションにも携わっています。DJとしても何年も活動。
MAKOTO
1974年4月10日生まれの45歳。本名は小澤誠。長野県松本市出身です。ドラムのRONZIと同級生で上京後4年間は同居していました。brahmanに加入した理由もRONZIがきっかけです。
ライブでの演奏がとても激しい。ボーカルのTOSHI‐LOWと共にライブ中のケガが多いです。しかし、ベース演奏は安定しており、自身では「ギャップ萌え」と呼んでいます。ベースの腕前は有名で多くのベーシストに影響を与えています。
元々、かなりの酒豪でお酒の伝説的出来事を多数起こしていたが慢性膵炎を患ってからは、お酒を飲まないようにしています。お酒のおつまみを自分で作るほど料理好きでもあります。
ライブでの演奏がとても激しい。ボーカルのTOSHI‐LOWと共にライブ中のケガが多いです。しかし、ベース演奏は安定しており、自身では「ギャップ萌え」と呼んでいます。ベースの腕前は有名で多くのベーシストに影響を与えています。
元々、かなりの酒豪でお酒の伝説的出来事を多数起こしていたが慢性膵炎を患ってからは、お酒を飲まないようにしています。お酒のおつまみを自分で作るほど料理好きでもあります。
RONZI
【BRAHMAN】昨日36本に渡った「Tour 2018 梵匿」本編ファイナルでした!皆様ありがとうございました!東北の追加公演でまたお会いしましょう!ささやかな打ち上げとして「RONZIのブラフ麺食べてみた」動画をアップ!
— TOY'S FACTORY (@toysfactory) June 15, 2018
※「『八面玲瓏』 日本武道館」詳細は下記よりご確認下さいhttps://t.co/z5cVSzKgUX pic.twitter.com/3upBSl4YJb
1974年7月4日生まれの45歳。長野県松本市出身でベースMAKOTOとは同級生です。本名は小林論司。ドラムと同じくらいラーメン好きであることは有名です。現在、バンド活動と並行してラーメンのプロデュースも行っています。
brahman結成の立役者。所属していたバンドが解散となった時にTOSHI‐LOWと意気投合し、brahmanを作ります。ギターも弾くことができ、ベースの元となるフレーズを作ることも多いです。
年に数回、女装をしてアコースティックギター持ち、ソロ活動することがあります。女装姿があまりにもクオリティーが低いため、笑いの的となっています。
brahman結成の立役者。所属していたバンドが解散となった時にTOSHI‐LOWと意気投合し、brahmanを作ります。ギターも弾くことができ、ベースの元となるフレーズを作ることも多いです。
年に数回、女装をしてアコースティックギター持ち、ソロ活動することがあります。女装姿があまりにもクオリティーが低いため、笑いの的となっています。
NABE
via pixabay.com
brahman初期メンバーでベースを担当していました。brahmanという名前をつけた人です。脱退後すぐに自殺し亡くなっています。NABEの死については詳細が公表されておりません。
2015年、brahman結成20周年のドキュメンタリー映画「ブラフマン」でNABEの死についても触れられています。NABEの弟であるトオルさんも撮影に協力。完成した映画を見たトオルさんは「映画という場所を借りて、兄が昇華しました。これは最高の供養です」と語りました。
2015年、brahman結成20周年のドキュメンタリー映画「ブラフマン」でNABEの死についても触れられています。NABEの弟であるトオルさんも撮影に協力。完成した映画を見たトオルさんは「映画という場所を借りて、兄が昇華しました。これは最高の供養です」と語りました。
DAISUKE
via pixabay.com
brahmanの初期メンバーです。brahman結成前のバンドでTOSHI‐LOWと同じバンドに在籍し、解散後にTOSHI‐LOWのいるbrahmanに入りました。
1996年にbrahmanを脱退。現在はパン屋を営んでいます。brahman結成20周年にドキュメンタリー映画「ブラフマン」が公開されました。箭内道彦監督がDAISUKEにインタビューした内容も放映されていました。そこでは現在のbrahmanへの想いを吐き出しています。
1996年にbrahmanを脱退。現在はパン屋を営んでいます。brahman結成20周年にドキュメンタリー映画「ブラフマン」が公開されました。箭内道彦監督がDAISUKEにインタビューした内容も放映されていました。そこでは現在のbrahmanへの想いを吐き出しています。
brahman事件で訴えられた会社について
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