目次
- 男性専用車両はなぜ導入されないのか
- 性別専用車両の成り立ち
- 男性と女性の車両を分けるべきという声が上がる
- 1912年「夫人専用電車」が登場する
- 1947年再導入
- 1973年「老幼専用車」が登場
- 1988年地下鉄御堂筋事件をきっかけに女性専用車両が再検討に
- 2000年痴漢行為が社会問題化
- 2004年女性専用車両希望の署名運動が功を奏す
- 痴漢冤罪や性差別から男性専用車両の声が上がる
- 女性専用車両の問題点
- 女性専用車両に同乗出来る子供の年齢
- 障害者や高齢者の同伴の場合
- 痴漢被害が減っていない現状
- 女性は専用車両以外にも乗れる
- 専用車両に対する男性の意見
- 男女平等をうたう社会に反する男性差別
- 完全別離ではない為痴漢冤罪を防ぐことが出来ない
- 乗車率の幅でデメリットが存在する
- 男性が被害者となる性犯罪への対策がない
- 女性専用車両は女性でも反対意見がある
- 女性を隔離しても一部男性の歪んだ性衝動は改まらない
- 任意乗車などで余計なトラブルが発生する
- 女性全てに敵意を向けられる恐怖
- なぜ男性専用車両が導入されないのか
- ニーズが無いという誤認
- 痴漢冤罪はまれだという決めつけ
- 女性を尊重するという社会背景
- 導入コスト
- 性別を尊重するという本当の意味
- 排除・隔離ではなく協力していくもの
- 対立ではなく共存する
- お互いの長所と短所を理解する
- 一方への過剰な配慮はもう一方を蔑ろにする行為になりかねない
男性専用車両はなぜ導入されないのか
via pixabay.com
今の世の中何かと男女平等が叫ばれていますが、実は男性優遇の陰に潜む女性優遇があるとされています。いまだ男女差別の線引きが難しいとは思いますが、そんな中今回は電車に視点を置いて見ました。
女性専用車両は今当たり前のように存在していますが不思議な事に男性専用車両は存在しません。痴漢問題や痴漢冤罪などもあるので単純に考えるならば男女分けることが男女共に犯罪防止になるように思えます。
しかしそのようにならないのはなぜか、またそうすることでどのようなデメリットが発生するのかを細かく見ていきたいと思います。
女性専用車両は今当たり前のように存在していますが不思議な事に男性専用車両は存在しません。痴漢問題や痴漢冤罪などもあるので単純に考えるならば男女分けることが男女共に犯罪防止になるように思えます。
しかしそのようにならないのはなぜか、またそうすることでどのようなデメリットが発生するのかを細かく見ていきたいと思います。
男女差別が根強い原因とは?日本における男女差別の現状や歴史と実例 - POUCHS(ポーチス)
女性の活躍なども期待される現代ですが、それでもまだまだ日本では男女差別が根強いのが現状です。職場や結婚性格においての男女差別にはどのようなものがあるかいくつか例を紹介します。日本の男尊女卑の歴史についても解説していきます!
性別専用車両の成り立ち
via pixabay.com
ではまず初めに女性専用車両のもととなる性別専用車両が出来たのかを学びたいと思います。皆さんは気が付けば女性専用車両があったように感じませんか?
一体いつの間に出来たのか思い出すことも困難です。しかしそう昔ではなかったように思います。そう思っている人はもしかすると驚くかもしれませんが、実はもっと昔からこのような問題はあったそうです。
ではこの日本と言う国は一体いつから性別専用車両についての問題を抱えていたのでしょうか。このような問題の歴史を順を追ってみていきたいと思います。
一体いつの間に出来たのか思い出すことも困難です。しかしそう昔ではなかったように思います。そう思っている人はもしかすると驚くかもしれませんが、実はもっと昔からこのような問題はあったそうです。
ではこの日本と言う国は一体いつから性別専用車両についての問題を抱えていたのでしょうか。このような問題の歴史を順を追ってみていきたいと思います。
男性と女性の車両を分けるべきという声が上がる
via pixabay.com
むかし日本と言う国は紛れもなく男性社会でありました。男性はお国のために働いているという事もあり、今のように男女平等などはあり得ませんでした。
また日本人ははしたないと思われることを特に嫌っていました。男女が同じ空間で密着してしまう電車においてもそのような考えがあり、1900年代に入って間もなく男性と女性を違う車両に乗せるべきだという声が上がったそうです。
確かに日本人は男性はこうあるべき、女性はこうあるべきと言う考えが強かったのでこのような意見が出ることも納得できます。そしてこのような意見が出て来た事によって日本の性別専用車両の開発が始まるきっかけになったようです。
また日本人ははしたないと思われることを特に嫌っていました。男女が同じ空間で密着してしまう電車においてもそのような考えがあり、1900年代に入って間もなく男性と女性を違う車両に乗せるべきだという声が上がったそうです。
確かに日本人は男性はこうあるべき、女性はこうあるべきと言う考えが強かったのでこのような意見が出ることも納得できます。そしてこのような意見が出て来た事によって日本の性別専用車両の開発が始まるきっかけになったようです。
1912年「夫人専用電車」が登場する
via pixabay.com
まず初めに登場した性別専用車両はなんと1912年の事でした。声を上げ始めてからいかに急いで開発したのかという事が垣間見えます。
1912年の1月の末日に「夫人専用電車」の運行が始まりました。場所は当時の東京府の中央線にあり、朝と夕方の人がとても多く乗る時間限定だったそうです。
多くの国民が男性と女性が同じ車両を使うべきではないと声をあげたことによって生まれたこの電車はなぜか短期間で廃止されてしまったそうです。
せっかく国民の望みが叶ったのに一体どうして廃止になったのか・・・。やはりどれだけの人が使うかという事は未知数になりどちらかが偏ってしまった結果だったのかもしれません。
1912年の1月の末日に「夫人専用電車」の運行が始まりました。場所は当時の東京府の中央線にあり、朝と夕方の人がとても多く乗る時間限定だったそうです。
多くの国民が男性と女性が同じ車両を使うべきではないと声をあげたことによって生まれたこの電車はなぜか短期間で廃止されてしまったそうです。
せっかく国民の望みが叶ったのに一体どうして廃止になったのか・・・。やはりどれだけの人が使うかという事は未知数になりどちらかが偏ってしまった結果だったのかもしれません。
1947年再導入
via pixabay.com
始めに運行された1912年から戦争を終えて1947年の5月再び中央線に性別専用車両が「夫人子供専用車」と名を変えて戻ってきました。
この車両は当時の乗車率が300%とという驚異の数字に表れるほど過密な状態であった為その人の波から女性や子供を守ろうと導入されたものでした。
また同じように京浜東北線でも同様の車両が導入されましたが、これは短期間で廃止になってしまったそうです。
何故同じように廃止の道をたどってしまったのか、この問題こそがもしかすると現代に当てはまる問題なのかもしれません。中央線の車両は名前を変えて生き残りましたが現代までは続かなかったようです。
この車両は当時の乗車率が300%とという驚異の数字に表れるほど過密な状態であった為その人の波から女性や子供を守ろうと導入されたものでした。
また同じように京浜東北線でも同様の車両が導入されましたが、これは短期間で廃止になってしまったそうです。
何故同じように廃止の道をたどってしまったのか、この問題こそがもしかすると現代に当てはまる問題なのかもしれません。中央線の車両は名前を変えて生き残りましたが現代までは続かなかったようです。
1973年「老幼専用車」が登場
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続いて登場したのは少し路線を変えた「老幼専用車」でした。この電車は1973年当時の敬老の日に合わせて導入されたようです。
いわゆるシルバーシートの始まりです。このシルバーシートがいまの優先席に姿を変えて継続されています。
少しわかったのはニーズにはこれと言った決まりがなく、人や時代によって変わるのでその波を一時期的につかむだけでは意味がなく、続けることが困難になるという事です。
なので開発する人達にもこの部分が大きな課題となったはずです。またその課題は現代でもクリアされていないのかもしれません。
いわゆるシルバーシートの始まりです。このシルバーシートがいまの優先席に姿を変えて継続されています。
少しわかったのはニーズにはこれと言った決まりがなく、人や時代によって変わるのでその波を一時期的につかむだけでは意味がなく、続けることが困難になるという事です。
なので開発する人達にもこの部分が大きな課題となったはずです。またその課題は現代でもクリアされていないのかもしれません。
1988年地下鉄御堂筋事件をきっかけに女性専用車両が再検討に
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1988年に起きた地下鉄御堂筋事件は2人の男性から痴漢をされていた被害者を助けた女性がよりもっと残酷な手段で報復されてしまうという女性からすると身近に起きうる事件でした。
被害者を助けた女性は前に自分も同じ人から痴漢をされた経験があり、自分を重ねて助けに入ったのかもしれません。
そして被害者を逃がした後に待っていたのは痴漢2組からの恐ろしい報復で、首を掴まれ工事現場まで連れ去られたのち殴られノコギリなどで脅され強姦されるという事件でした。
この恐ろしい事件がキッカケで女性は立ち上がり、様々な取り組みをするようになりました。その中の一つには女性専用車両導入を再び考えさせられる一つの要因となりました。
被害者を助けた女性は前に自分も同じ人から痴漢をされた経験があり、自分を重ねて助けに入ったのかもしれません。
そして被害者を逃がした後に待っていたのは痴漢2組からの恐ろしい報復で、首を掴まれ工事現場まで連れ去られたのち殴られノコギリなどで脅され強姦されるという事件でした。
この恐ろしい事件がキッカケで女性は立ち上がり、様々な取り組みをするようになりました。その中の一つには女性専用車両導入を再び考えさせられる一つの要因となりました。
2000年痴漢行為が社会問題化
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2000年に入るとどんどん痴漢が増えました。そのほとんどが電車の車内で行われるというものでその数の多さから社会問題化されるようになりました。
地下鉄御堂筋事件もあったのに、社会をあげて問題視されるのが遅い位のイメージがありますが、ようやく声をあげた効果が出始めたようです。
しかし、痴漢問題は被害者の女性が泣き寝入りしてしまうケースもよくあります。
またあの事件のように自分も報復されてしまったらと言う不安も0にはなりません。そのような背景もあり加害者には刑罰のみならず、社会的制裁も見られるようになりました。
地下鉄御堂筋事件もあったのに、社会をあげて問題視されるのが遅い位のイメージがありますが、ようやく声をあげた効果が出始めたようです。
しかし、痴漢問題は被害者の女性が泣き寝入りしてしまうケースもよくあります。
またあの事件のように自分も報復されてしまったらと言う不安も0にはなりません。そのような背景もあり加害者には刑罰のみならず、社会的制裁も見られるようになりました。
2004年女性専用車両希望の署名運動が功を奏す
via pixabay.com
2004年には様々な痴漢の被害から長年署名活動をして来た女性の熱意が伝わり関西地方が特に進んで女性専用車両の導入を始めました。
しかしながら、関西とは乗車率や条件が違うという理由から中々決断できないといった企業もあったのも事実です。
それでも女性の立場を尊重しなければ、または女性を守らなければいけないという行政の考えから2005年には警視庁が導入の要請を行いました。
その結果女性や行政、鉄道会社の協力が功を成し、より大きな規模になって再び女性専用車両が導入されるようになりました。
しかしながら、関西とは乗車率や条件が違うという理由から中々決断できないといった企業もあったのも事実です。
それでも女性の立場を尊重しなければ、または女性を守らなければいけないという行政の考えから2005年には警視庁が導入の要請を行いました。
その結果女性や行政、鉄道会社の協力が功を成し、より大きな規模になって再び女性専用車両が導入されるようになりました。
痴漢冤罪や性差別から男性専用車両の声が上がる
via pixabay.com
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