2022年7月3日 更新

人名が付いたハイフェッツ病ってどんな病気?天才が残した偉大過ぎる天災とは

努力しても才能を持った人に勝てないのが現実。そんな一握りの天才たちは歴史に名を刻み、功績として語り継がれていきます。しかし天才すぎるがあまり、病気まで作り出してしまったのはハイフェッツただ一人。たった1人の天才が生み出した奇病とはどんな病気なのでしょうか。

ハイフェッツ病とは

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ハイフェッツという人名がつけられた奇病”ハイフェッツ病”。非常に限られた状況下で発症する珍しい病ですが、1度発症すると深刻な状況をもたらす可能性も…。まずは、ハイフェッツ病とはどういった病気なのか、詳しくご紹介します!

神童ヤッシャ・ハイフェッツ

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ハイフェッツ病を誕生させたのは、ヤッシャ・ハイフェッツ。ロシア帝国領時代の、リトアニアで誕生しました。3歳からヴァイオリンを習い始め、2年後には音楽学院へ入学します。

つまり、類まれなヴァイオリンの才能を持っていた人物なのです。まだヴァイオリンを知らない頃の乳児期、ヴァイオリン奏者だった父親が音を外すと泣いてしまったという逸話も残されています。

楽器を演奏する才能だけではなく、聴力も非常に優れていたといえるでしょう。そんなハイフェッツは幼少期から神童と評され、瞬く間に有名になっていきました。

症状

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神童と誉れ高かったハイフェッツが生み出した病気の症状は、周囲を闇落ちさせるというもの。まるでゲームや小説に描かれる、特殊能力のような病気ですね。ハイフェッツは幼少期から圧倒的な才能を保有していました。また、音楽祭などには登場していなかったものの、ある程度世間にも認知されていた存在です。

「ヴァイオリンが上手い子どもがいる」と、学校でも話題になっていました。そんな彼は、当時ヴァイオリン奏者として有名な人物だったエフレム・ジンバリストやフリッツ・クライスラーらと出会います。ハイフェッツと彼らで演奏を行った直後、名高いヴァイオリン奏者2名は、自分の才能を見限ってしまったのです。

ハイフェッツの才能にはどうやっても追いつけないこと、そして日々努力する自らのヴァイオリン人生にも希望が持てなくなってしまいました。
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これが、ハイフェッツ病です。圧倒的才能により、周囲を絶望させたり、努力してきた道を諦めさせる奇病。現在で言うところの精神疾患を、意図せず作り出してしまうのがハイフェッツ病なのです。

ちなみにハイフェッツとセッションし、ヴァイオリンの道を諦めた有名ヴァイオリン奏者の2名が、最初のハイフェッツ病患者だと言われています。一般人やヴァイオリン奏者界では雲の上のような存在であったエフレム・ジンバリストやフリッツ・クライスラーさえ、ハイフェッツ病に犯されてしまったのです。

またヤッシャ・ハイフェッツと同じ時代を生きたヴァイオリン奏者全てが、例外なくハイフェッツ病にかかったという逸話も。

アスペルガー症候群

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ヤッシャ・ハイフェッツは、アスペルガー症候群だったのではないかと言われています。アスペルガー症候群は、人とのコミュニケーションや興味の矛先に特異性が見られます。特定の分野に強いこだわりを持ち、異常なほどの完璧主義的一面を持っているのです。

ヤッシャ・ハイフェッツにも、アスペルガー症候群と同様の状態が見られました。例えば、異常なほどの潔癖症。さらに興味を持った音楽への、完璧主義さ。

どこまでも突き詰めて音楽に打ち込み、時には音楽が原因でトラブルを起こすことさえありました。最後まで自身の実力に満足せず、音楽活動を続けたとろこもアスペルガー症候群に類似しています。

ギフテッド

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ヤッシャ・ハイフェッツはアスペルガー症候群ではなく、ギフテッドの可能性が高いとも言われています。ギフテッドとは先天的に高い知性や記憶力、精神性など一般人以上の能力を持って生まれた人々のこと。

ヤッシャ・ハイフェッツは乳幼児の頃から、音楽やヴァイオリンの才能が認められていました。そのため、高い能力を持って生まれたギフテッドの可能性があるのです。

ギフテッドを判断するためには高度な専門知識が必要なため、ASD(自閉スペクトラム症・アスペルガー症候群)やADHD(注意欠如・多動症)と誤診されることが少なくありません。そのため、ヤッシャ・ハイフェッツもASDだったのか、ギフテッドなのか正式には判明していないのです。

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ヤッシャ・ハイフェッツ年表

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ハイフェッツ病の生みの親であるヤッシャ・ハイフェッツは、どれほどの才能を持っていたのでしょうか。有名ヴァイオリン奏者2名を闇落ちさせてしまう程の才能ですから、非常に気になりますよね。

ここからは、ヤッシャ・ハイフェッツの功績を年代別にご紹介します。

1901年

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1901年2月2日、リトアニアのビルナでヤッシャ・ハイフェッツは誕生しました。父親はルーベン・ハイフェッツ、母親はアニーです。父親のルーベンはビルナ交響楽団の役職者だったため、コンサートのチケットを手に入れては頻繁にヤッシャ・ハイフェッツを連れ出していました。

1904年

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ヤッシャ・ハイフェッツが3歳になる頃、ヴァイオリンや音楽の才能が表れ始めます。いち早く才能に気付いたのは、父親のルーベンでした。ヴァイオリンを与え、厳しいレッスンを開始します。

しかしどれほど厳しくレッスンしても、容易に付いてくるヤッシャ・ハイフェッツ。父親の指導は、日々過激になり、虐待のようだったという証言もありました。

1905年

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本格的レッスンを始めてわずか1年。ヤッシャ・ハイフェッツが4歳になる頃には、カイザーの練習曲も容易に演奏できるまでに成長していました。スピッカートで1弦、2弦を移弦しなければならない箇所もある、そこそこ難易度の高い練習曲ですから、ヤッシャ・ハイフェッツの才能の凄さが理解できます。

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