目次
- 何のために生きているのか
- 人生の目的の見つけ方
- 趣味や好きなものから見つける
- 家族や恋人の存在から見つける
- 仕事から見つける
- たくさんの本を読み視野を広げてみる
- 毎日の小さな幸せから見つける
- 占ってもらう
- ひたすら自己分析をして自己と向き合う
- 仏教から考える人生の目的
- 有り難さを知る
- 人間だからこそできることを知る
- 生まれてきたときすでに崇高な目的を持っている
- どう生きるかではなく生きるために生きる
- 人生は手段か楽しみか
- 欲は人間の苦しみである
- 1日1日を大切に生きる
- 生きる目的は重荷を下ろすこと
- スピリチュアルのマイナンバーから見る人生の目的
- エンジェルナンバーとは
- エンジェルナンバー1
- エンジェルナンバー2
- エンジェルナンバー3
- エンジェルナンバー4
- エンジェルナンバー5
- エンジェルナンバー6
- エンジェルナンバー7
- エンジェルナンバー8
- エンジェルナンバー9
- エンジェルナンバー10
- マスターナンバー
- 占いを信じない人の人生の目的の見つけ方
- 色々なことにチャレンジしてみる
- 自分探しの旅をしてみる
- 職人になって生きる意味について模索する
- 人生の目的を知ることはできるのか
仏教から考える人生の目的
via pixabay.com
では、次に、仏教の教えに沿って、人生の目的について考えてみましょう。仏教は宗教ではありますが、摩訶不思議な霊現象やあの世のことを説いている教えではありません。釈尊は、あくまでもこの世の苦しみをどうとらえて、どう生きれば、より心が苦しみや悲しみから解放されるのか、といったことを諭して回りました。
仏教は、どちらかというと、祈れば救われるといったものではなく、この世にしっかりと立脚点を置いた哲学的かつ実践的な処世術だと言われています。以下では、その仏教から、わたしたちの人生を考察していきます。
仏教は、どちらかというと、祈れば救われるといったものではなく、この世にしっかりと立脚点を置いた哲学的かつ実践的な処世術だと言われています。以下では、その仏教から、わたしたちの人生を考察していきます。
有り難さを知る
via pixabay.com
仏教には、釈尊が説いた「人身(じんしん)受け難し、今すでに受く」という有名な言葉があります。これは、「人間としてこの世に生まれることはとても難しいことなのに、今こうしてその人間として生きていることは、本当にありがたく、すばらしいことなのだよ」という意味の言葉です。
これは、生きていると苦しいことや悲しいことがたくさんあって、どうして生まれてきたのだろう、と愚痴をこぼしたくなるのが人生ですが、その人間として生まれること自体が非常に難しいことを知ると、ありがたいという感謝の思いで日々をていねいに生きていくことができるものだ、という教えです。
そう考えると、わたしたち人間の人生の目的とは、命を得てこうして生きている一瞬一瞬がありがたいものだということを理解することにあるのかもしれません。
これは、生きていると苦しいことや悲しいことがたくさんあって、どうして生まれてきたのだろう、と愚痴をこぼしたくなるのが人生ですが、その人間として生まれること自体が非常に難しいことを知ると、ありがたいという感謝の思いで日々をていねいに生きていくことができるものだ、という教えです。
そう考えると、わたしたち人間の人生の目的とは、命を得てこうして生きている一瞬一瞬がありがたいものだということを理解することにあるのかもしれません。
人間だからこそできることを知る
via pixabay.com
何のために生きているのかわからなくなった時は、まず、自分が人間であることに思いを馳せてみましょう。そして、人間だからこそできること、つまり、人間でないとできないことを考えてみましょう。
上述の「人身受け難し、今すでに受く」ですが、釈尊はその後につづけて「仏法聞き難し、今すでに聞く。この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってか、この身を度せん」と言っています。
これは、「生まれ難い人間に生まれても、仏法に巡り会うことができる人はさらに限られて少ないというのに、それを今聞くことができるとはなんという幸福だろう。この仏法を学ぶにことによって今世救われなければ、いつ救われるというのだろう」という意味の言葉です。
上述の「人身受け難し、今すでに受く」ですが、釈尊はその後につづけて「仏法聞き難し、今すでに聞く。この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってか、この身を度せん」と言っています。
これは、「生まれ難い人間に生まれても、仏法に巡り会うことができる人はさらに限られて少ないというのに、それを今聞くことができるとはなんという幸福だろう。この仏法を学ぶにことによって今世救われなければ、いつ救われるというのだろう」という意味の言葉です。
via pixabay.com
動物たちとは違って、人間は悲しみや苦しみを抱えて生きています。これは人間だからこそもてる悩みです。同時に、人間だからこそそれらの悩みを智慧をもって解決していくことができるのです。そしてその智慧を授けるのが「仏法」だと、釈尊は言っているのです。
仏法とは、釈尊が悟ったこの世の理(ことわり)で、すべての人が幸せになれる教えです。そういったものを学ぶのも自分が何のために生きているのかを見つける糸口となるかもしれません。
仏法とは、釈尊が悟ったこの世の理(ことわり)で、すべての人が幸せになれる教えです。そういったものを学ぶのも自分が何のために生きているのかを見つける糸口となるかもしれません。
生まれてきたときすでに崇高な目的を持っている
via pixabay.com
仏教の「転生輪廻」の教えでは、この世は修行の場で、人間は死ぬと本来の魂になってあの世に還り、何十年何百年かけて再び新たな修行をするためにこの世に生まれてくると言われています。
その際、魂を進化させるために必要な目的を決め、その目的を果たすためにこの世でどのような人生を送るかといったライフプランをきちんと立てて生まれてくるそうです。例えば、どの親の元に生まれるか、誰と出会って何を学ぶか、など、いろいろな約束事もして生まれてくるそうです。
しかし、いざこの世に生まれると、そういったあの世での記憶はすべて消去されるためにそんな目的など忘れてしまうのです。そしていろいろな苦しみや悲しみに見舞われて、何のために生きているのか、と悩むことになるのですが、本来はみんな、自分の魂を進化させるという崇高な目的を持って生まれてきているすばらしい存在なのです。
その際、魂を進化させるために必要な目的を決め、その目的を果たすためにこの世でどのような人生を送るかといったライフプランをきちんと立てて生まれてくるそうです。例えば、どの親の元に生まれるか、誰と出会って何を学ぶか、など、いろいろな約束事もして生まれてくるそうです。
しかし、いざこの世に生まれると、そういったあの世での記憶はすべて消去されるためにそんな目的など忘れてしまうのです。そしていろいろな苦しみや悲しみに見舞われて、何のために生きているのか、と悩むことになるのですが、本来はみんな、自分の魂を進化させるという崇高な目的を持って生まれてきているすばらしい存在なのです。
どう生きるかではなく生きるために生きる
via pixabay.com
時々、「どう生きるかではなく、生きるために生きることに価値がある」とか「人生の目的は生きること」といった言葉を耳にすることがありますが、あなたはこれを聞いてどう思われますか?何かおかしいと思いませんか?
「生きるために生きる」というのは、例えば、「あなたは何のために運動をしているの?」と聞かれて「運動をするため」と答えたのと同じです。また「食べるために食べる」や「走るために走る」といったことと同じです。「何のため」には目的や夢を答えなければなりません。
「生きる」ということはその先に待っている「死」へと近づいていくことです。したがって「生きるために生きる」というのは、死ぬために生きるといっていることと同じになります。何のために生きているのかと聞かれて、人生における目的が答えられるように、身近なことからでもいいので、焦らずにじっくりと取り組んでみましょう。
「生きるために生きる」というのは、例えば、「あなたは何のために運動をしているの?」と聞かれて「運動をするため」と答えたのと同じです。また「食べるために食べる」や「走るために走る」といったことと同じです。「何のため」には目的や夢を答えなければなりません。
「生きる」ということはその先に待っている「死」へと近づいていくことです。したがって「生きるために生きる」というのは、死ぬために生きるといっていることと同じになります。何のために生きているのかと聞かれて、人生における目的が答えられるように、身近なことからでもいいので、焦らずにじっくりと取り組んでみましょう。
人生は手段か楽しみか
via pixabay.com
目的を持って人生を生きていたつもりが、いつの間にか、「お金を稼ぐこと」、「出世して偉くなること」、「豪邸を建てること」といったものを目指している人は多いのではないでしょうか。よく考えてみてください。こういったことは、目的と言えるのでしょうか。
例えば、お金を稼ぐことを目的にしている人がいるとします。その人に「どうしてお金を稼ぎたいのですか」と尋ねたら、「豪邸を建てて家族を喜ばせたいから」といったような答えが返ってくるはずです。つまりその先に別の目標があるということです。したがって「お金を稼ぐこと」は目的ではなく、ある目標に到達するための手段だということです。
また「人生は楽しみながら生きればいい」という人もいますが、楽しく生きたり楽しく過ごしたりすることは目的ではなく、手段です。このように目的と目標・手段は混同されがちです。
例えば、お金を稼ぐことを目的にしている人がいるとします。その人に「どうしてお金を稼ぎたいのですか」と尋ねたら、「豪邸を建てて家族を喜ばせたいから」といったような答えが返ってくるはずです。つまりその先に別の目標があるということです。したがって「お金を稼ぐこと」は目的ではなく、ある目標に到達するための手段だということです。
また「人生は楽しみながら生きればいい」という人もいますが、楽しく生きたり楽しく過ごしたりすることは目的ではなく、手段です。このように目的と目標・手段は混同されがちです。
via pixabay.com
仏教の観点では、人生の目的とは、「ああ、人間に生まれてきてよかった」と思うことにあると考えられています。人間に生まれたことに感謝し、幸せを感じ、満足をすることです。決して目に見えたり、人に見せたりできるものではありません。
目標とは、その目的を果たすために設ける通過点です。そしてその目標に到達するためにあるのが手段なのです。目標に到達した時に感じる満足感は一時的なものであって、すぐにまた別の目標を立てることになります。このように目標も手段も1つの目標に到達するたびに新しい目標と手段を設けなければなりません。
わたしたちは、「人間に生まれてきてよかった」と思えるために、節目節目でいろいろな目標を立てて頑張っているのです。小さなことでも、日々、誠実に向かい合って取り組んでいくこと。これもまた人生の目的へと通じる道ではないでしょうか。
目標とは、その目的を果たすために設ける通過点です。そしてその目標に到達するためにあるのが手段なのです。目標に到達した時に感じる満足感は一時的なものであって、すぐにまた別の目標を立てることになります。このように目標も手段も1つの目標に到達するたびに新しい目標と手段を設けなければなりません。
わたしたちは、「人間に生まれてきてよかった」と思えるために、節目節目でいろいろな目標を立てて頑張っているのです。小さなことでも、日々、誠実に向かい合って取り組んでいくこと。これもまた人生の目的へと通じる道ではないでしょうか。
欲は人間の苦しみである
via pixabay.com
わたしたちは、誰でも欲望を持って生きています。そしてその欲望を満たすためにいつも何かしらの行動を起こしているといっても過言ではありません。仏教では、この人間の持つ代表的な欲として「食欲」、「財欲」、「色欲」、「名誉欲」、「睡眠欲」を上げてこれらを五欲と呼んでいます。
これらの欲は、睡眠欲を除き、ほとんどのものが足ることを知りません。つまり、これでもういいだろう、ということがないのです。限りがないのです。これが「欲」の恐ろしいところです。もっと欲しい、もっと欲しい、と思い、それが叶わないと、今度はその欲しい思いが苦しみになったり悲しみになったりします。
このように、人間の欲望は、満足を知らない限りどんどん苦しみを生んでいきます。この世に人間として生まれてきたありがたさを知っていれば、そういった欲に振り回されることなく、日々感謝の思いで生きていることができるのですが…。
これらの欲は、睡眠欲を除き、ほとんどのものが足ることを知りません。つまり、これでもういいだろう、ということがないのです。限りがないのです。これが「欲」の恐ろしいところです。もっと欲しい、もっと欲しい、と思い、それが叶わないと、今度はその欲しい思いが苦しみになったり悲しみになったりします。
このように、人間の欲望は、満足を知らない限りどんどん苦しみを生んでいきます。この世に人間として生まれてきたありがたさを知っていれば、そういった欲に振り回されることなく、日々感謝の思いで生きていることができるのですが…。
1日1日を大切に生きる
via pixabay.com
釈尊は、よく弟子たちに、「過去世や来世のことなどを考えるよりも、今生きている一瞬一瞬を感謝しながら大切に生きよ」と言っていたと言われています。
確かに、この世に人間として生まれてくることがどんなに難しいことで、何億分の1くらいの確率でまれなことかがわかると、1日1日、一瞬一瞬を大切にしなければならないと思います。また生きていることに感謝したくなります。
そういった思いで日々を大切に丁寧に生きることこそが、幸せにつながる近道なのかもしれません。
確かに、この世に人間として生まれてくることがどんなに難しいことで、何億分の1くらいの確率でまれなことかがわかると、1日1日、一瞬一瞬を大切にしなければならないと思います。また生きていることに感謝したくなります。
そういった思いで日々を大切に丁寧に生きることこそが、幸せにつながる近道なのかもしれません。
生きる目的は重荷を下ろすこと
via pixabay.com
2 / 4