目次
- 甲子園の土とは
- 甲子園とは
- 甲子園の土とは
- 甲子園の土について
- そもそもどこの土?
- 毎年ブレンドの配合が違う
- 季節によっても配合が違う
- 甲子園の土のすばらしさ
- こだわりの質のいい土
- 甲子園の土を作っているのは阪神園芸
- グランド整備も阪神園芸
- 冬は25センチ掘り起こし
- 甲子園の土をなぜ持って帰るのか
- ここまでたどり着いたという証
- 負けた悔しさを忘れないため
- 優勝校の選手は?
- 甲子園の土は持ち帰らないケースも
- 監督に禁止された
- また甲子園に戻る自信があるから
- 個人的に持ち帰らない選手も
- 甲子園の土を持ち帰る文化の経緯
- 1937年の第23回大会にて
- 1946年の第28回大会にて
- 1949年の第31回大会にて
- 持って帰った甲子園の土のその後
- 母校のグランドにまく
- 自宅に保管
- 知り合いや後輩にあげる
- どこに行ったか分からない
- 甲子園の土はどのくらい持ち帰るのか
- 両手いっぱいかき集める
- 時間がないのでのんびりはできない
- 甲子園の土は販売されている
- 同じ配合の土が15リットル2310円
- 現在は業務用に大口のみ
- メルカリやヤフオクでも買える
- 甲子園の土は持ち帰り禁止なのか
- 甲子園大会の時だけ黙認されている
- 誰でも持ち帰っていいわけではない
- 甲子園の土には球児の思いが詰まっている!
惜しくも負けたチームの選手はほとんどが甲子園の土を持ち帰っていますが、中には甲子園の土を持ち帰らないチームもあります。
監督に禁止された
甲子園の土を持ち帰らないというより持ち帰ることができないケースもあります。監督やコーチが事前に持ち帰ることを禁止しているチームもあります。全学年を対象にしている場合もありますが、1年生・2年生は甲子園の土を持ち帰ることを禁止としている場合もあります。
また、試合に負けた後に甲子園の土を持ち帰ろうとしたところ「お前たちは来年戻って来る気がないのか」と監督に言われたため、持ち帰らなかったケースもあります。次の年、また甲子園へ戻って来ることができれば美談ですが、戻って来られなかった場合はちょっと悲しいですね。
また、試合に負けた後に甲子園の土を持ち帰ろうとしたところ「お前たちは来年戻って来る気がないのか」と監督に言われたため、持ち帰らなかったケースもあります。次の年、また甲子園へ戻って来ることができれば美談ですが、戻って来られなかった場合はちょっと悲しいですね。
また甲子園に戻る自信があるから
また来年甲子園へ戻ってくるという決意を込めて甲子園の土を持ち帰らないチームもあります。特に、強豪校と言われるチームに多く見られます。
2018年夏に行われた第100回全国高校野球選手権大会では、全国屈指の強豪校である和歌山県代表の智辯和歌山高校が滋賀県代表の近江高校と対戦しました。この対戦で智辯和歌山高校は初戦敗退してしまいました。
しかし、智辯和歌山高校の選手たちは、甲子園の土を持ち帰りませんでした。この光景にツイッターなどでは「智辯和歌山ともなれば甲子園の土を持ち帰らないんだな」「来年戻って来る強い気持ちの表れ」と称賛されています。強豪校としての誇りやプライドを感じさせられますね。
2018年夏に行われた第100回全国高校野球選手権大会では、全国屈指の強豪校である和歌山県代表の智辯和歌山高校が滋賀県代表の近江高校と対戦しました。この対戦で智辯和歌山高校は初戦敗退してしまいました。
しかし、智辯和歌山高校の選手たちは、甲子園の土を持ち帰りませんでした。この光景にツイッターなどでは「智辯和歌山ともなれば甲子園の土を持ち帰らないんだな」「来年戻って来る強い気持ちの表れ」と称賛されています。強豪校としての誇りやプライドを感じさせられますね。
個人的に持ち帰らない選手も
先ほどの智辯和歌山高校のようにチームとして負けても甲子園の土を持ち帰らない場合もありますが、個人的に持ち帰らない選手もいます。
2015年に1年生ながら甲子園に出場した早稲田実業の清宮幸太郎選手(現日本ハムファイターズ)は準決勝で敗退した際に「また戻ってくるから」と甲子園の土は持って帰りませんでした。
清宮幸太郎選手の場合は、当時1年生でしたしまた甲子園へ戻ってくる気持ちで持ち帰りませんでしたが、3年生でも甲子園の土を持ち帰らなかった選手がいます。清宮幸太郎選手と同じ日本ハムファイターズに所属している平沼翔太選手です。
平沼翔太選手は、敦賀気比高校時代甲子園の土を持ち帰りませんでした。その後プロ野球選手になり、甲子園出場を最終目標にしていない選手は甲子園の土を持ち帰らないこともあるようですね。
2015年に1年生ながら甲子園に出場した早稲田実業の清宮幸太郎選手(現日本ハムファイターズ)は準決勝で敗退した際に「また戻ってくるから」と甲子園の土は持って帰りませんでした。
清宮幸太郎選手の場合は、当時1年生でしたしまた甲子園へ戻ってくる気持ちで持ち帰りませんでしたが、3年生でも甲子園の土を持ち帰らなかった選手がいます。清宮幸太郎選手と同じ日本ハムファイターズに所属している平沼翔太選手です。
平沼翔太選手は、敦賀気比高校時代甲子園の土を持ち帰りませんでした。その後プロ野球選手になり、甲子園出場を最終目標にしていない選手は甲子園の土を持ち帰らないこともあるようですね。
甲子園の土を持ち帰る文化の経緯
基本的に、甲子園の土は持ち出し禁止です。いわば高校球児が甲子園の土を持ち帰る事は暗黙の了解です。では、いつから甲子園の土を持ち帰る風習があるのでしょうか。
1937年の第23回大会にて
初めて甲子園の土を持ち帰ったのは1937年の第23回大会で、準優勝に終わった熊本県代表の熊本工業高校の投手であった川上哲治選手です。川上哲治選手は、 決勝戦が終わる甲子園の土をユニフォームのポケットに入れ持ち帰りました。持ち帰った甲子園の土は熊本工業高校の練習場にまいたといいます。
川上哲治さんと言えば、読売ジャイアンツのエースとして活躍し引退後は読売ジャイアンツの監督に就任しました。監督時代には長嶋茂雄さんや王貞治さんなどスーパースターを率いており、読売ジャイアンツはV9を達成しています。
しかし、川上哲治さんはこの行動はほかの人が行っているのを見て自分も真似したと語っています。地区予選などで負けたチームの選手がグラウンドの土を持って帰る姿に何かを感じたのかもしれませんね。
川上哲治さんと言えば、読売ジャイアンツのエースとして活躍し引退後は読売ジャイアンツの監督に就任しました。監督時代には長嶋茂雄さんや王貞治さんなどスーパースターを率いており、読売ジャイアンツはV9を達成しています。
しかし、川上哲治さんはこの行動はほかの人が行っているのを見て自分も真似したと語っています。地区予選などで負けたチームの選手がグラウンドの土を持って帰る姿に何かを感じたのかもしれませんね。
1946年の第28回大会にて
新聞で負けたチームの選手が土を持ち帰ることが報道されたのは、川上哲治選手が甲子園の土を持ち帰ってから9年後の 1946年の第28回大会でのことです。
当時、準決勝で敗退した東京高等師範附属中(現筑波大学附属中・高等学校)の佐々木迪夫監督が、3年生以外の選手達に各ポジションの土を手ぬぐいに包んで持ち帰らせました。これには、来年この場所に返しに来るという思いが込められています。
しかし、当時甲子園は米軍が接収しており全国高校野球選手権大会は阪急西宮球場で行われていました。全員生きてこの場所に返しに来るという思いもあったのかもしれませんね。
当時、準決勝で敗退した東京高等師範附属中(現筑波大学附属中・高等学校)の佐々木迪夫監督が、3年生以外の選手達に各ポジションの土を手ぬぐいに包んで持ち帰らせました。これには、来年この場所に返しに来るという思いが込められています。
しかし、当時甲子園は米軍が接収しており全国高校野球選手権大会は阪急西宮球場で行われていました。全員生きてこの場所に返しに来るという思いもあったのかもしれませんね。
1949年の第31回大会にて
1949年の第31回大会では、準々決勝で敗退した福岡県代表の小倉北高校の投手であった福島一雄選手がマウンドの土を持ち帰っています。
福島一雄選手はマウンドの土を無意識にポケットに入れたといいます。全国高校野球選手権大会が終了後に大会役員から届いた手紙にマウンドの土をポケットに入れたことを指摘され気づきました。
緊張感や喪失感、達成感など様々な気持ちがあり無意識にマウンドの土をポケットに入れたのでしょう。その土は植木鉢に混ぜ込んだという話が残っています。
福島一雄選手はマウンドの土を無意識にポケットに入れたといいます。全国高校野球選手権大会が終了後に大会役員から届いた手紙にマウンドの土をポケットに入れたことを指摘され気づきました。
緊張感や喪失感、達成感など様々な気持ちがあり無意識にマウンドの土をポケットに入れたのでしょう。その土は植木鉢に混ぜ込んだという話が残っています。
持って帰った甲子園の土のその後
甲子園から持ち帰った土は、その後どのように保管されているのでしょうか。自分で保管する選手、プレゼントする選手など様々です。
母校のグランドにまく
自分が3年間汗を流してきた母校のグラウンドに甲子園から持ち帰った土をまく選手もいます。走り込み、ノック、スライディング、グランド整備など3年間汗を流した母校のグラウンドには特別な思いがあります。
3年間汗を流してきたグラウンドに対しての感謝の気持ちや、このグラウンドでともに練習に励んできた仲間や監督への感謝の気持ち、また後輩たちにも甲子園へ出場し優勝という夢を託してグラウンドに甲子園かラ持ち帰った土をまくのでしょう。
3年間汗を流してきたグラウンドに対しての感謝の気持ちや、このグラウンドでともに練習に励んできた仲間や監督への感謝の気持ち、また後輩たちにも甲子園へ出場し優勝という夢を託してグラウンドに甲子園かラ持ち帰った土をまくのでしょう。
自宅に保管
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