2019年7月12日 更新

甲子園の土はどこから来た土?持ち帰り禁止の理由と販売の実情

春と夏に高校野球の全国大会が行われている阪神甲子園球場。そこで、選手たちが持ち帰っている甲子園の土は一体どこから持ってきているのでしょうか。そもそも持ち帰り禁止の土を何故高校球児は持って帰れるのか、販売はしているのかなどまとめました。ぜひご覧ください。

Akakura Naomi🍒 on Instagram: “夏の大会前、最後の練習試合🏐 前回の公式戦で完敗した高校とのリベンジ戦 5-1で見事勝利😊 昨日の激励会の帰り道、監督が明日は白黒ハッキリさせますって言ってた。 まさに有言実行👏✨ 本番も強豪校と当たってるけど、毎日青春費やして来た彼らが1日でも長くプレーしてられますように‼︎…” (421111)

惜しくも負けたチームの選手はほとんどが甲子園の土を持ち帰っていますが、中には甲子園の土を持ち帰らないチームもあります。

監督に禁止された

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甲子園の土を持ち帰らないというより持ち帰ることができないケースもあります。監督やコーチが事前に持ち帰ることを禁止しているチームもあります。全学年を対象にしている場合もありますが、1年生・2年生は甲子園の土を持ち帰ることを禁止としている場合もあります。

また、試合に負けた後に甲子園の土を持ち帰ろうとしたところ「お前たちは来年戻って来る気がないのか」と監督に言われたため、持ち帰らなかったケースもあります。次の年、また甲子園へ戻って来ることができれば美談ですが、戻って来られなかった場合はちょっと悲しいですね。

また甲子園に戻る自信があるから

とも on Instagram: “#高校野球#野球練習試合#夏の大会前#野球審判#高校野球審判” (421117)

また来年甲子園へ戻ってくるという決意を込めて甲子園の土を持ち帰らないチームもあります。特に、強豪校と言われるチームに多く見られます。

2018年夏に行われた第100回全国高校野球選手権大会では、全国屈指の強豪校である和歌山県代表の智辯和歌山高校が滋賀県代表の近江高校と対戦しました。この対戦で智辯和歌山高校は初戦敗退してしまいました。

しかし、智辯和歌山高校の選手たちは、甲子園の土を持ち帰りませんでした。この光景にツイッターなどでは「智辯和歌山ともなれば甲子園の土を持ち帰らないんだな」「来年戻って来る強い気持ちの表れ」と称賛されています。強豪校としての誇りやプライドを感じさせられますね。

個人的に持ち帰らない選手も

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先ほどの智辯和歌山高校のようにチームとして負けても甲子園の土を持ち帰らない場合もありますが、個人的に持ち帰らない選手もいます。

2015年に1年生ながら甲子園に出場した早稲田実業の清宮幸太郎選手(現日本ハムファイターズ)は準決勝で敗退した際に「また戻ってくるから」と甲子園の土は持って帰りませんでした。

清宮幸太郎選手の場合は、当時1年生でしたしまた甲子園へ戻ってくる気持ちで持ち帰りませんでしたが、3年生でも甲子園の土を持ち帰らなかった選手がいます。清宮幸太郎選手と同じ日本ハムファイターズに所属している平沼翔太選手です。

平沼翔太選手は、敦賀気比高校時代甲子園の土を持ち帰りませんでした。その後プロ野球選手になり、甲子園出場を最終目標にしていない選手は甲子園の土を持ち帰らないこともあるようですね。

甲子園の土を持ち帰る文化の経緯

わかしょー on Instagram: “家で高校野球の動画みてたら高校野球またやりたくなってきた#高校野球 #アーカイブ” (421121)

基本的に、甲子園の土は持ち出し禁止です。いわば高校球児が甲子園の土を持ち帰る事は暗黙の了解です。では、いつから甲子園の土を持ち帰る風習があるのでしょうか。

1937年の第23回大会にて

み く on Instagram: “胸に手あててんの、みくのお守り首に下げてるからてやばい🤯🤯🤯🤯🤯・・#野球部 #野球部彼氏 #高校野球 #夏大 #がんばれ” (421143)

初めて甲子園の土を持ち帰ったのは1937年の第23回大会で、準優勝に終わった熊本県代表の熊本工業高校の投手であった川上哲治選手です。川上哲治選手は、 決勝戦が終わる甲子園の土をユニフォームのポケットに入れ持ち帰りました。持ち帰った甲子園の土は熊本工業高校の練習場にまいたといいます。

川上哲治さんと言えば、読売ジャイアンツのエースとして活躍し引退後は読売ジャイアンツの監督に就任しました。監督時代には長嶋茂雄さんや王貞治さんなどスーパースターを率いており、読売ジャイアンツはV9を達成しています。

しかし、川上哲治さんはこの行動はほかの人が行っているのを見て自分も真似したと語っています。地区予選などで負けたチームの選手がグラウンドの土を持って帰る姿に何かを感じたのかもしれませんね。

1946年の第28回大会にて

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新聞で負けたチームの選手が土を持ち帰ることが報道されたのは、川上哲治選手が甲子園の土を持ち帰ってから9年後の 1946年の第28回大会でのことです。

当時、準決勝で敗退した東京高等師範附属中(現筑波大学附属中・高等学校)の佐々木迪夫監督が、3年生以外の選手達に各ポジションの土を手ぬぐいに包んで持ち帰らせました。これには、来年この場所に返しに来るという思いが込められています。

しかし、当時甲子園は米軍が接収しており全国高校野球選手権大会は阪急西宮球場で行われていました。全員生きてこの場所に返しに来るという思いもあったのかもしれませんね。

1949年の第31回大会にて

あいたく on Instagram: “2019.5.20平尾くんこの重心の残し方やはり只者ではないなによりむちゃくちゃカッコいい#高校野球おじさん #高校野球 #春季関東大会 #春日部共栄 #市営大宮球場” (421152)

1949年の第31回大会では、準々決勝で敗退した福岡県代表の小倉北高校の投手であった福島一雄選手がマウンドの土を持ち帰っています。

福島一雄選手はマウンドの土を無意識にポケットに入れたといいます。全国高校野球選手権大会が終了後に大会役員から届いた手紙にマウンドの土をポケットに入れたことを指摘され気づきました。

緊張感や喪失感、達成感など様々な気持ちがあり無意識にマウンドの土をポケットに入れたのでしょう。その土は植木鉢に混ぜ込んだという話が残っています。

持って帰った甲子園の土のその後

yukiko on Instagram: “⚾︎ 2019.3.31#高校野球#センバツ高校野球#センバツ#センバツ2019#明石商業#明商#智辯和歌山#元野球部マネージャー#野球観戦#canonkissX8i#ファインダー越しの私の世界” (421161)

甲子園から持ち帰った土は、その後どのように保管されているのでしょうか。自分で保管する選手、プレゼントする選手など様々です。

母校のグランドにまく

yukiko on Instagram: “⚾︎ 2019.3.31甲子園で初ナイターでした🌟#高校野球#甲子園#センバツ高校野球#センバツ#センバツ2019#元野球部マネージャー#野球観戦#canonkissX8i#ファインダー越しの私の世界” (421177)

自分が3年間汗を流してきた母校のグラウンドに甲子園から持ち帰った土をまく選手もいます。走り込み、ノック、スライディング、グランド整備など3年間汗を流した母校のグラウンドには特別な思いがあります。

3年間汗を流してきたグラウンドに対しての感謝の気持ちや、このグラウンドでともに練習に励んできた仲間や監督への感謝の気持ち、また後輩たちにも甲子園へ出場し優勝という夢を託してグラウンドに甲子園かラ持ち帰った土をまくのでしょう。

自宅に保管

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