2019年8月13日 更新

真我の意味とは?理解することの意味と間違った解釈についても

真我、自我、無我と言った言葉がありますが、この記事では、真我について詳しく解説していきます。真我の意味とは?そして、真我を理解する事でどのような意味があり、人生によい影響を及ぼしていくのか?また、真我の間違った解釈についても解説していきます。

目次

あの世というのは、時間や空間を超越した、高次元な世界です。あの世には、「工程」というものがありません。「何かをしたい!」と思ったら、この世であれば、その為の準備が必要です。例えば、バナナ食べたい!と思ったらバナナを手に入れる必要があり、バナナの皮をむく必要があり、食べる事ができてやっとバナナを食べたいという欲求を満たすことができます。

しかし、あの世というのは、時間や空間を超越していますので、したい!と思ったらもうその瞬間に、何かをした後の気持ちになっているのです。あの世には、時間、空間が超越しており、工程というものもないのです。

あの世には試練や感動が存在しない

Astronomy Bright Constellation - Free photo on Pixabay (555666)

あの世には、試練や感動が存在しません。「あの世には工程がない」という事を解説しましたが、工程がないので、何かをするという事がないのです。ですから当然ですが、試練も感動もありません。ただそこに、エネルギーが存在しているのです。

「何かを乗り越えなければならない!」という意識もないですし、「何かを達成して感動した!」という意識もないのです。それは、そこにただエネルギーがあるからで、工程もなければ、何かの目的もそこにはないからです。

あの世は一元性

Ocean Starry Sky Milky Way - Free photo on Pixabay (555670)

あの世は、一元性だといわれています。この世は、三次元の物質世界だといわれています。もともとは、「魂」があり、この世で肉体という入れ物に魂が宿る事によって、魂とのつながりを忘れてしまい、様々な「自我」が出てくるといわれています。

自我が出てくることによって、「何かやりたい!」などの欲求が出てきます。しかし、一元性の世界というのは、「ただそこに魂がある」というだけです。ただそこにいる存在であって、何かをしたい!何かを食べたい!などの欲求はありません。あの世は、一元性であって、ただそこに魂が存在しているだけという事になります。

この世には、何かをする為に魂が肉体に宿り、試練を乗り越えたり感動をしたりします。しかし、元々は「ただ存在しているだけでそこに価値がある」という事なのです。

自らの魂の切れ端をあの世からこの世に宿らせている

Milky Way Universe Person - Free photo on Pixabay (555678)

この世では、「自らの魂の切れ端を、あの世からこの世に宿らせている」といわれています。魂は、もともとは存在しているだけのエネルギーであり、自我は存在しません。しかし、この世で何かを成し遂げるため、また学びを得るために、自らの魂の切れ端を、あの世からこの世に宿らせているといわれています。

ツインソウルという言葉をご存知でしょうか?自分の魂の片割れの存在のことです。この世では、ツインソウルに出会うこともあります。ツインソウルに出会ったときというのは、初対面でもとても懐かしい気持ちになり、「やっと会えた!」という感激に満ち足ります。

あの世からこの世に自分の魂の切れ端を肉体に宿らせ、他の魂を他の肉体に宿らせる事で、ツインソウルが存在するのです。ツインソウル同士では、たくさんの学びもあるので、学びが終われば別れることもあります。

この世で経験や試練を繰り返し魂を向上させることが目的

Autumn Avenue Away - Free photo on Pixabay (555689)

この世では、経験や試練を繰り返すことをしています。そうする事で、魂が向上していきます。様々な経験をこの世で体験して、試練を繰りかえす事で、魂を向上させることが目的なのです。

あの世では、試練もなければ感動もありません。時間も空間もないことを解説しました。ですから、この世で肉体を借りて魂を宿し、学ぶのです。そして学びが終われば、その肉体の使命は終わりますから、肉体はなくなり、魂はあの世に帰るのです。

魂は輪廻転生を何度も繰り返し少しずつ学んでいる

Tree Lake Reflection - Free photo on Pixabay (555693)

魂というのは、輪廻転生を何度も繰り返しています。そして、少しずつ魂は学んでいます。この世では、肉体を借りて魂を宿すことで、経験や試練を繰り返し魂を向上させることが目的である事を前述しました。そして、学びが終わると、肉体の使命はなくなり、肉体は死に、魂はあの世に帰っていきます。

しかし、帰って終わりではありません。あの世に帰ったら、また学びを得るために、この世の肉体に魂を宿し、試練や経験を積みに行くのです。このようにして、何度もこの世とあの世を行き来しながら、たくさんの経験をして魂は学んでいるのです。

死への解釈

Blue Sky Night - Free image on Pixabay (555717)

それではここからは、死への解釈についてを解説していきます。

この世では「死」は悲しい出来事

Aurora Polar Lights Northen - Free photo on Pixabay (555723)

この世では、「死」というのはとても哀しい出来事とされています。もちろん、死への価値観というものは、世界では様々な価値観があり、「死ぬことは喜ばしい事」としている国もあります。しかし多くの国では、「死」は哀しい出来事として捉えられています。

肉体がなくなるという事は、会うことが出来なくなりますし言葉を交わす事もできないです。また触れることも出来ませんし匂いを感じることも出来なくなります。このように五感で相手を感じることができないので、とても哀しいこととして捉えられています。

本来は「死」はあの世に帰るということ

Sparkler Holding Hands - Free photo on Pixabay (555748)

この世では、死は哀しいものという認識がありますが、本来は「死」は、あの世に帰るという事を意味しています。元々は、「魂」というエネルギーです。エネルギーの存在が本来のもので、何かを学びに、そして体験して自分の魂を向上させるために、この世の肉体を借りて魂を宿します。

学びを終えたら、肉体の役割は終わり、魂の試練も終わり、魂だけがあの世に帰ることが出来るのです。という事は、とても喜ばしいことで、本来は、「やっと帰れる」と魂は喜んでいるのです。

この世からあの世に帰る際この世の記憶がすぐに消えるわけではない

Hills Landscape Mist - Free photo on Pixabay (555796)

この世での試練や経験、学びを得る事を終え、あの世に帰るとき、この世の記憶がすぐに消えるわけではありません。死を迎えて、お通夜や告別式が執り行われるまでにも役一週間ほど時間を要する事があります。この間というのはまだ肉体と魂は繋がっており、魂は自分が借りていた肉体が死んだことの自覚を進めている時期なのです。

ですから、あの世に帰るまでには、さまざまな記憶がまだ残っています。肉体から離れた時点でこの世の記憶がすぐに消えるという事ではないのです。

この世の記憶を保ち反省する場所が存在する

Ahead Background Blur - Free photo on Pixabay (555852)

2 / 4

関連する記事 こんな記事も人気です♪