目次
- 真我とは
- 真我と無我の違い
- 真我とはこの世は本来何も存在しないという事
- 無我とは自我を消した状態である事
- 欲や嫉妬心などネガティブな人間らしさを消し去った状態
- 人生とあの世の解釈
- この世は仮想現実
- 現在の人生は自身が選択している
- メインとして生きる世界はあの世である
- あの世は時間や空間を超越した高次元な世界
- あの世には試練や感動が存在しない
- あの世は一元性
- 自らの魂の切れ端をあの世からこの世に宿らせている
- この世で経験や試練を繰り返し魂を向上させることが目的
- 魂は輪廻転生を何度も繰り返し少しずつ学んでいる
- 死への解釈
- この世では「死」は悲しい出来事
- 本来は「死」はあの世に帰るということ
- この世からあの世に帰る際この世の記憶がすぐに消えるわけではない
- この世の記憶を保ち反省する場所が存在する
- ソウルメイトなどと合流し情報交換を行う
- あの世に帰り次の準備を始める
- 真我を理解する事の意味
- 人生の困難を受け入れられる
- 人生の困難の意味を探し向上することができる
- 積極的に人生を楽しむことができる
- 死への恐怖がなくなる
- 生きる意味や自分の意味が理解できる
- 真我の間違った解釈
- 人生はシナリオとして完成されておりあがいても無駄
- 人間に自由意志はないという思考の放棄
- メインのあの世へ行くためこの世の強制終了
- 真我の正しい活用方法
- 肩の力を抜いて人生を謳歌する
- 困難に屈しずチャレンジし経験を積む
- 死を極度に意識せず前向きに生きる
- 過去や未来に囚われず今を生きる
- 真我を理解すると生きることが少しだけ楽になる
真我とは
via pixabay.com
真我とは、「しんが」と読みます。真実の我と漢字でお分かりいただけるように、本当の自分自身のことをいいます。心の一番奥底、深いところにある「本当の自分の心」なのです。
真我とは、宇宙の心であり神の心、無限の調和、愛のエネルギーであるという事ができます。悟りの境地であり、完全なる調和、無限の愛、仏心ともいう事ができて、人間の意識の次元では、最高の次元といえます。
この記事では、真我と無我の違い、人生とあの世の解釈、死への解釈、真我を理解する事の意味、真我の間違った解釈、真我の正しい活用法などを紹介していきます。
真我とは、宇宙の心であり神の心、無限の調和、愛のエネルギーであるという事ができます。悟りの境地であり、完全なる調和、無限の愛、仏心ともいう事ができて、人間の意識の次元では、最高の次元といえます。
この記事では、真我と無我の違い、人生とあの世の解釈、死への解釈、真我を理解する事の意味、真我の間違った解釈、真我の正しい活用法などを紹介していきます。
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真我と無我の違い
via pixabay.com
それでは早速、真我と無我の違いを紹介していきます。「真我」というのは、ヒンドゥー教の教えによるもので、「真(実)の我(自分)」という意味です。そして、「無我(むが)」といいうのは、ヒンドゥー教の教えではなく、仏教の教えだと言われています。
「真我」とは、この世は本来、何も存在しないという意味です。「無我」とは、自我をなくした状態である事をいいます。欲や嫉妬心などの、ネガティブな人間らしさを消し去った状態を言います。以下に詳しく解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
「真我」とは、この世は本来、何も存在しないという意味です。「無我」とは、自我をなくした状態である事をいいます。欲や嫉妬心などの、ネガティブな人間らしさを消し去った状態を言います。以下に詳しく解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
真我とはこの世は本来何も存在しないという事
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真我とは、宇宙の意識・神の意識と言われていて、誰の心の中にもそれはあります。それは、「自我」を消したものであり、究極の愛でもあります。真我とは、この世には本来何も存在しないということで、愛のエネルギーだけのものです。人間として産まれてきて、様々な環境で生きているうちに、たくさんの自我が出てきます。
欲求や嫉妬心、ねたみの心などが生きているうちに出てきますが、本来は「愛のエネルギーだけ」であって、もともとは皆、愛のエネルギーで満ちているのです。今、どんなに自我があったとしても、心の奥底には誰もが「真我」があるのです。
欲求や嫉妬心、ねたみの心などが生きているうちに出てきますが、本来は「愛のエネルギーだけ」であって、もともとは皆、愛のエネルギーで満ちているのです。今、どんなに自我があったとしても、心の奥底には誰もが「真我」があるのです。
無我とは自我を消した状態である事
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「無我というのは、自我を消した状態」を言います。「我を無くす」と書いて「無我」と読みます。しかし、「自分自身を忘れる。自分自身を見失う」という意味ではありません。「我を無くす」という意味で「無我」という言葉を使う場合には、「マンがを読んでいて無我夢中になる。」というような使い方をすることができます。
ここで「真我」と比べている「無我」というのは、嫉妬する気持ち、恐怖、人へのねたみなど、ネガティブな感情の性質を取り去った状態をあらわしています。
ここで「真我」と比べている「無我」というのは、嫉妬する気持ち、恐怖、人へのねたみなど、ネガティブな感情の性質を取り去った状態をあらわしています。
欲や嫉妬心などネガティブな人間らしさを消し去った状態
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ここで説明する「無我」というのは、「欲や嫉妬心など、ネガティブな人間らしさを消し去った状態」を言います。無我とは、自我を消し去った状態をいい、自我とは、自分自身に対する、意識や思い込みを表します。
このなかでも、「○○が欲しい」「奪ってやりたい」という欲求や、人と自分を比べて起こる「嫉妬心」や「ねたんだり羨んだりする気持ち」、「自分や他人、そして環境に対してのネガティブな感情」を消し去った状態を「無我」と定義しています。
このなかでも、「○○が欲しい」「奪ってやりたい」という欲求や、人と自分を比べて起こる「嫉妬心」や「ねたんだり羨んだりする気持ち」、「自分や他人、そして環境に対してのネガティブな感情」を消し去った状態を「無我」と定義しています。
人生とあの世の解釈
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それではここからは、「人生とあの世の解釈」を紹介していきます。「この世というのは仮想現実」であり、「現在の人生は、自分自身が選択している」という解釈です。また、「メインとして生きる世界といいうのは、あの世である」という考えがあり、「あの世は、時間や空間を超越した高次元な世界である」といえます。
また、「あの世には、試練や感動が存在せず、一元性である」という解釈があります。「自らの魂の切れ端を、あの世からこの世に宿らせている」「個の世で経験や試練を繰り返し魂を向上させることが目的」であり、「魂は、輪廻転生を繰り返して、少しずつ学んでいる」という解釈をしています。
以下に詳しく解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
また、「あの世には、試練や感動が存在せず、一元性である」という解釈があります。「自らの魂の切れ端を、あの世からこの世に宿らせている」「個の世で経験や試練を繰り返し魂を向上させることが目的」であり、「魂は、輪廻転生を繰り返して、少しずつ学んでいる」という解釈をしています。
以下に詳しく解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
この世は仮想現実
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この世は仮想現実であるという事が様々な場所でも言われています。2003年に、ニック・ボストロムというスウェーデンの哲学者が生み出した「この世は仮想現実である」という仮説もありますし、イーロンマスクさんも「この世界が、仮想現実でないという可能性は、100万分の1だ」と言っています。
この仮説にはもちろん賛否両論がありますが、この世界というのは、意識が全てで、自分の魂、そして意識というのはエネルギーなのです。本当にこの世が仮想現実であるといえるのなら、「自分自身が現実である」という事になります。仮想現実である「映画」「ゲーム」のように、誰かがプレイをするのではなく、自分自身がプレイヤーであり、現実であるという事ができます。
という事は、自分自身の人生は、自分で決めることができるという事になるのです。それは、意識によって変わってくるということなのです。
この仮説にはもちろん賛否両論がありますが、この世界というのは、意識が全てで、自分の魂、そして意識というのはエネルギーなのです。本当にこの世が仮想現実であるといえるのなら、「自分自身が現実である」という事になります。仮想現実である「映画」「ゲーム」のように、誰かがプレイをするのではなく、自分自身がプレイヤーであり、現実であるという事ができます。
という事は、自分自身の人生は、自分で決めることができるという事になるのです。それは、意識によって変わってくるということなのです。
現在の人生は自身が選択している
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この世が仮想現実で、「自分が現実である」という事は、現在の人生は自分自身が選択しているという事になります。現在の自分の状況というのは、過去の自分の選択の積み重ねによって出来上がっています。
過去の選択の積み重ねが今の自分の人生であるという事は、未来の自分の人生というのは、今この瞬間とこれからの選択の積み重ねによって自分の未来が作られているという事なのです。
全ては自分で選択して積み上げて、自分で自分の人生を創造していく事ができるのです。それは、全ては意識でありエネルギーだからなのです。
過去の選択の積み重ねが今の自分の人生であるという事は、未来の自分の人生というのは、今この瞬間とこれからの選択の積み重ねによって自分の未来が作られているという事なのです。
全ては自分で選択して積み上げて、自分で自分の人生を創造していく事ができるのです。それは、全ては意識でありエネルギーだからなのです。
メインとして生きる世界はあの世である
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メインとして生きる世界というのは、「この世」ではなく、「あの世」です。「この世」にも「あの世」にも魂と意識は存在していますが、この世では、肉体を借りているだけです。肉体が老いて朽ちれば、腐り、土に返ります。また、燃やして灰になります。
しかし、肉体がなくなっても魂は残るのです。そして、あの世でまた生きる事になるのです。魂・意識・心などは永遠になくならないものなのです。この世とあの世の違いは、魂が肉体に宿っているか宿っていないかの違いで、メインとして生きる世界というのは、あの世なのです。
しかし、肉体がなくなっても魂は残るのです。そして、あの世でまた生きる事になるのです。魂・意識・心などは永遠になくならないものなのです。この世とあの世の違いは、魂が肉体に宿っているか宿っていないかの違いで、メインとして生きる世界というのは、あの世なのです。
あの世は時間や空間を超越した高次元な世界
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