2022年4月4日 更新

真言は唱えてはいけないのか?真言の種類と唱える際の注意点

自身を清めるため、世界の平和を願うため、日々真言を唱えている人も少なくありません。「恋人と復縁したい」「お金が欲しい」など私的理由から真言を唱えている人もいるかもしれませんね。何かしらの欲求を満たすため唱えることも多い真言ですが、種類が多く秘められた力も様々。さらには「唱えてはいけない真言がある」とまことしやかな噂まで…。真言とはいったい何なのか、また唱えてはいけない真言とはどういったものなのか、徹底解説していきましょう。

不動明王の真言は唱えると縁が切れる

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不動明王の真言を唱えると、人との縁が切れていくという口コミがありました。不動明王を祭っているお寺を訪問し、真言を1日1回唱えていた女性は、度重なる縁切りに合い悩んでいたようです。

不動明王の真言には、魔を取り去り迷いを断ち切ったり、苦難に立ち向かう勇気が与えられるとされています。つまり、直接的に縁を切るご利益・功徳はないのです。自然に縁が切れていくのは、その縁が切れるほどの縁だったということ。

トラブルが発生し切れる縁は、自身の行いに見直す部分があるということ。今回のケースは、不動明王の真言で縁が切れたというよりも、当事者の行いが起因だと考えられます。もしくは、魔を取り払うご利益・功徳が力を発揮し、不要な縁を取り払ってくれたのかもしれませんね。

真言宗以外が真言を唱えてはいけない

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非常に多く見聞きするのが、真言宗以外が真言を唱えてはいけないという噂です。他にも、僧侶以外、無宗教者が真言を唱えてはいけないといった噂もありました。

真言は密教層の間で扱われていた呪文ですが、現代では多くの一般人が唱えています。信じる気持ちと仏を敬う気持ちがあれば、誰でもどんな宗教であっても、唱えていいのです。ですから”真言宗以外が真言を唱えてはいけない”という噂は間違いだと言えます。

印を結んで真言を唱えるのは危険

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真言などの呪文を唱える時、印を結ぶシーンを見たことはありませんか?印とは、手指を使い様々な形に組み直す行為です。現在、印の組み方はYouTubeなどの動画サイトでも公開されていることから、より確かなご利益・功徳を得るため見よう見まねで行う人も少なくありません。

しかし修行もしていない、信仰心も十分ではない一般人が印を結ぶのはあまり良くないんです。宗教の作法には様々な意味が存在し、複雑な所作と意識が必要とされます。また仏・真言によって結ぶ印も掟も異なるため、安易に実行するのは危険です。

ですから”印を結んで真言を唱えるのは危険”という噂は間違いではありません。もし印を学びたいのであれば、仏門をくぐり正しい修行を積み重ねましょう。

愛染明王の真言は108回唱えなければならない

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良縁・結婚成就や夫婦円満など、恋愛の仏さまとして知られる愛染明王。真言には、産まれた子どもを幸福にするご利益、子孫繁栄や家族愛といった功徳が含まれているため、唱える女性も珍しくありません。愛染明王の真言について、108回唱えなければ意味がないという噂が見つかりました。

この噂は、本当ではありませんが100%ウソでもありません。真言は、3回、7回、108回、1080回のいずれかで唱える必要があるとされているためです。回数には諸説ありますが、多く唱えれば唱えるほどご利益・功徳がえやすいとされています。

しかし、ただ多ければいいというわけではありません。テレビを見ながら、携帯を触りながら真言を何百回唱えるよりも、目を閉じ仏を想像し穏やかな気持ちで唱えるほうが良いに決まっています。回数を意識する前に、唱える状況を整えてみましょう。

海の神様に真言を唱えてはいけない

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”海の神様に真言を唱えてはいけない”という噂は正解です。海は神道の管轄とされています。つまり、仏教と異なる存在である神道に、仏教の真言を唱えるのは失礼にあたるのです。

しかし日本は神仏習合(しんぶつしゅうごう)といって、神と仏を同一視する思想があり、融合した宗教現象も起きていることから、そこまで深く意識する必要はないでしょう。

真言を唱える際の注意点

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真言を唱える時、回数や姿勢を意識する人も少なくないでしょう。確かに、どのような意識で真言と向き合うかは非常に大切です。しかしそれ以上に大切なのは、真言の主である仏がどういった存在なのか、そして唱える場所で祀られている仏はどういった存在なのか知ること。

お寺は仏教の象徴ですから、寺ならどんな真言でもいいと感じるかもしれませんね。ところがお寺にはそれぞれ祀っている御本尊が存在し、仏の存在も異なります。お稲荷様を祀っている場所で、愛染明王の真言を唱えるのは何だか違和感がありますよね。
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ご利益・功徳が欲しいと思っているのなら、せめて祀られている仏に合わせた真言を唱えなければなりません。またご利益・功徳だけを意識し真言を選び、真言の主である仏の本質を理解しないまま唱えるのもNGです。

良く知りもしない、理解しようと努力もしない相手からいくら真言を唱えられたとしても、力を貸したいとは思えません。

唱える真言の種類よりも向き合う気持ちが大切!

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仏・真言の種類は非常に多く、深く知るたびに多くの学びがあります。唱える真言選びや回数決めに躍起になるよりも、仏教とは何か、真言とはどういった意味を持つのか向き合う気持ちを大切にしていきましょう。

また、不吉な真言や唱えてはいけない真言などありません。もちろん、修行者でしか行えない作法や真言に安易に手を出すのはNGですが、真摯に向き合い唱えた真言で仏様が気分を害したり罰を与えることなどないのです。

もし何かしらのトラブルが発生したのなら、真言との向き合い方や自身の言動を思い返してみましょう。自身を振り返り、改善するチャンスをもらったと思って、言動を改めてみてくださいね。

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