目次
- 金粉ショーとは?
- 大須大道町人祭の金粉ショー
- 大須大道町人祭とは?
- 大須大道町人祭のトリとなる金粉ショー
- パフォーマンス集団「大駱駝艦」
- 大須大道町人祭の見所
- 大須大道町人祭の開催期間
- 大駱駝艦の注目メンバー
- 藤本梓
- 岡本彩
- 柏村さくら
- 高円寺びっくり大道芸
- 高円寺びっくり大道芸とは?
- 大駱駝艦も常連
- 高円寺びっくり大道芸の見所
- 金粉ショーの歴史
- インカ帝国の時代まで遡る
- 吉本興業が日本劇場で公演
- 日本初の金粉ショーを行ったのは藤田繁
- キャバレーやクラブのショーの演目に
- 土方巽がキャバレーで弟子に上演させる
- キャバレーの衰退と共に大道芸へ変化
- 金粉ショーの目的や魅力
- 金粉ショーは危険?
- 命に関わる危険がある?
- 都市伝説の元となったのは「007」
- 寺田寅彦の一言
- 金粉ショーは金粉を張っている?
- 人体用のボディペイント
- ペンキは危険
- 金粉ショーの問題点
- 公然わいせつ罪に該当する?
- アダルト的な要素がある
- 日本が世界の誇るパフォーマー
- が~まるちょば
- 蛯名健一
- 町井勲
- 意外と知らない日本の大道芸
岡本彩は美人ぞろいの大駱駝艦の女性メンバーの中で、あどけなさの残る可愛いらしさがネットで話題になりました。金粉ショーでは金粉や白塗りで素顔が隠れているので分かりにくいですが、目鼻立ちが整っています。
金粉ショーだけでなく、大駱駝艦の舞台にも多数出演しており、これからの活躍が期待されている若手メンバーです。彼女のTwitterアカウントもあり、出演情報などがツイートされているので、興味のある方はチェックしてみてください。
金粉ショーだけでなく、大駱駝艦の舞台にも多数出演しており、これからの活躍が期待されている若手メンバーです。彼女のTwitterアカウントもあり、出演情報などがツイートされているので、興味のある方はチェックしてみてください。
柏村さくら
via pixabay.com
柏村さくらは元AKB48の川西智美に似ているとネットでもよく噂されている大駱駝艦のメンバーです。若手の中では岡本彩と同様にこれからの活躍を期待されており、大駱駝艦の公演にも多く出演しています。
大駱駝艦の女性メンバーにはこの3人の他にも、音響のセンスは大駱駝艦随一と言われている我妻恵美子、振付・演出・美術を手掛けた新作「ぼたのおかみ」がまもなく上演される高桑晶子といったベテランメンバーもいて、注目を集めています。
大駱駝艦の女性メンバーにはこの3人の他にも、音響のセンスは大駱駝艦随一と言われている我妻恵美子、振付・演出・美術を手掛けた新作「ぼたのおかみ」がまもなく上演される高桑晶子といったベテランメンバーもいて、注目を集めています。
高円寺びっくり大道芸
via pixabay.com
高円寺びっくり大道芸をご存知ですか?毎年4月の最終土曜日と日曜日の2日間に実施される高円寺びっくり大道芸には、国内外からたくさんのパフォーマーが集まります。大駱駝艦も常連であり、金粉ショーを見ることができます。
高円寺びっくり大道芸とは?
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高円寺びっくり大道芸とは、2009年の5月に、杉並区にできた劇場「座・高円寺」のオープニング企画として、国内外から30組を超える選りすぐりの大道芸パフォーマーが集結して始まった大道芸です。
それ以降、「笑いと感動とサプライズ」というキャッチフレーズを掲げて、毎年、行われるようになりました。「座・高円寺」をはじめ、9つの商店街が会場となり、街の至る所で驚きのパフォーマンスを見ることができます。
総合プロデュースを務めるのは、知る人ぞ知る辣腕プロデューサーの橋本孝雄で、彼は全国各地で大道芸フェスティバルを仕掛けています。
それ以降、「笑いと感動とサプライズ」というキャッチフレーズを掲げて、毎年、行われるようになりました。「座・高円寺」をはじめ、9つの商店街が会場となり、街の至る所で驚きのパフォーマンスを見ることができます。
総合プロデュースを務めるのは、知る人ぞ知る辣腕プロデューサーの橋本孝雄で、彼は全国各地で大道芸フェスティバルを仕掛けています。
大駱駝艦も常連
via pixabay.com
大須大道町人祭だけではなく、高円寺びっくり大道芸でも、大駱駝艦の金粉ショーを見ることができます。ゴールデンズが繰り広げるパフォーマンスは、その鍛え上げられた肉体美だけではなく、一糸乱れぬ動きであったり、情熱的で野性的な踊りであったり、楽しめる要素が盛りだくさんとなっています。
それを間近で見ることができるので、まさに大迫力の舞踏を堪能することができるでしょう。定番の炎を噴き出す曲芸も、彼らがやるとなぜか違った感じに見えるのが不思議です。
それを間近で見ることができるので、まさに大迫力の舞踏を堪能することができるでしょう。定番の炎を噴き出す曲芸も、彼らがやるとなぜか違った感じに見えるのが不思議です。
高円寺びっくり大道芸の見所
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高円寺びっくり大道芸の見所はたくさんあります。大駱駝艦の金粉ショーも大人気ですが、中国雑技団も参加しており、彼らが見せる空中パフォーマンスやバランス芸には目が釘付けになる人も多いようです。
その他にも、アクロバット、ジャグリング、空中曲芸、人間彫刻などの本格的なパフォーマンスを至近距離で見ることができます。また、足長ウォーキングアクトは、ひょろりと伸びた長い足とユニークな格好が特徴で、街のどこかで遭遇すると思わず振り向いてしまいます。
人間彫刻は街角に銅像のような姿で立っており、気づかずに通り過ぎようとすると、突然動き出すそうです。銅像だと思い込んでいたのですから、びっくりすること間違いないでしょう。まさに、笑いと感動とサプライズの大道芸です。
その他にも、アクロバット、ジャグリング、空中曲芸、人間彫刻などの本格的なパフォーマンスを至近距離で見ることができます。また、足長ウォーキングアクトは、ひょろりと伸びた長い足とユニークな格好が特徴で、街のどこかで遭遇すると思わず振り向いてしまいます。
人間彫刻は街角に銅像のような姿で立っており、気づかずに通り過ぎようとすると、突然動き出すそうです。銅像だと思い込んでいたのですから、びっくりすること間違いないでしょう。まさに、笑いと感動とサプライズの大道芸です。
金粉ショーの歴史
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ここからは金粉ショーの歴史について解説していきます。現在のかたちに変わるまでにどのような歴史があったのか、日本で初めて金粉ショーが行われたのはいつなのか、その詳細をまとめてみましたので、見ていきましょう。
インカ帝国の時代まで遡る
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金粉ショーの歴史は古く、インカ帝国の時代まで遡ります。インカ帝国では今のような娯楽としてではなく、宗教行事として行われており、とても神聖なものでした。インカの神は日本やエジプトと同じ太陽神です。
インカ帝国と言えば、ケチュア族が築いた国であり、文字を持たない文明でした。インカ帝国の遺跡「マチュ・ピチュ」は世界遺産に登録されており、インカ帝国の首都であるクスコの市街地も世界遺産に登録されています。
1533年にスペイン人に征服されたことにより滅亡し、アンデス文明は文字を持たなかったために、マチュ・ピチュの遺跡が、何のために作られたのかは、いまだに分かっていません。
インカ帝国と言えば、ケチュア族が築いた国であり、文字を持たない文明でした。インカ帝国の遺跡「マチュ・ピチュ」は世界遺産に登録されており、インカ帝国の首都であるクスコの市街地も世界遺産に登録されています。
1533年にスペイン人に征服されたことにより滅亡し、アンデス文明は文字を持たなかったために、マチュ・ピチュの遺跡が、何のために作られたのかは、いまだに分かっていません。
吉本興業が日本劇場で公演
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1934年に吉本興業がアメリカから召集した「マーカスショウ」は、丸の内の日本劇場で連日満員になるほど人気がありました。そのため、大阪でもマーカスショウを開催し、こちらも大人気となりました。
マーカスショウは日本の歴史にも名を残すほどのインパクトを与え、日本に「ショー」という単語を根付かせました。当時の人々を驚かせたのは、銀粉ショーでした。銀粉を塗った女性ダンサーが天井から降りてきたのです。
この時代の日本ではまだこのような演出は行われていなかったので、観客たちは度肝を抜かれました。ただ、当時は検閲が厳しかったため、裸ではなく、胸や腰には布を巻いていました。
マーカスショウは日本の歴史にも名を残すほどのインパクトを与え、日本に「ショー」という単語を根付かせました。当時の人々を驚かせたのは、銀粉ショーでした。銀粉を塗った女性ダンサーが天井から降りてきたのです。
この時代の日本ではまだこのような演出は行われていなかったので、観客たちは度肝を抜かれました。ただ、当時は検閲が厳しかったため、裸ではなく、胸や腰には布を巻いていました。
日本初の金粉ショーを行ったのは藤田繁
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日本で初めて金粉ショーを行ったのは、バレーダンサーであり、舞踏家・演出家としても活躍していた藤田繁だと言われています。藤田繁は本名で、藤田繁一が芸名になり、日本人離れしたルックスで一世を風靡した尾崎紀世彦の父親です。
金粉ショーが本格的に日本で演じられるようになったのは、1965年~1975年ですが、全身を金粉で塗るという演出はそれ以前の明治時代にも行われていました。
舞踏ではありませんが、1905年(明治38年)に、俳優の上山草人が「金色夜叉」の夜叉を演じる際に、全身に金粉を塗ったと言われています。
金粉ショーが本格的に日本で演じられるようになったのは、1965年~1975年ですが、全身を金粉で塗るという演出はそれ以前の明治時代にも行われていました。
舞踏ではありませんが、1905年(明治38年)に、俳優の上山草人が「金色夜叉」の夜叉を演じる際に、全身に金粉を塗ったと言われています。
キャバレーやクラブのショーの演目に
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