目次
「池添村」と「檜枝岐村」の共通点は、その村に存在する苗字が三つしかないことです。「檜枝岐村」では「星」・「平野」・「橘」という三つの苗字しかありません。
その中でも「星」姓は、平安遷都に伴う権力闘争に敗れてこの地に隠れ住んだ藤原氏の落人の系譜につながるとされいます。「檜枝岐村」では、平家の落人伝説が残っているので、すべての苗字はこの伝説につながっています。
そのため「平野」姓は、源平合戦に敗れた平家の落人の系譜につながるとされ、「橘」姓は織田信長に追われた伊勢治田城主・楠七郎左衛門正具の一統に由来するとされています。ネットで話題の「池添村」でも村の苗字は三つとされているので「檜枝岐村」と共通しています。
その中でも「星」姓は、平安遷都に伴う権力闘争に敗れてこの地に隠れ住んだ藤原氏の落人の系譜につながるとされいます。「檜枝岐村」では、平家の落人伝説が残っているので、すべての苗字はこの伝説につながっています。
そのため「平野」姓は、源平合戦に敗れた平家の落人の系譜につながるとされ、「橘」姓は織田信長に追われた伊勢治田城主・楠七郎左衛門正具の一統に由来するとされています。ネットで話題の「池添村」でも村の苗字は三つとされているので「檜枝岐村」と共通しています。
池添村と檜枝岐村の共通点②閉塞的な地域だった
via pixabay.com
「池添村」と「檜枝岐村」の二つ目の共通点は「閉塞的な地域だった」という点です。「檜枝岐村」は、福島県会津地方、南会津郡にあり、標高の高い山々に四方を囲まれた地域で日本有数の「特別豪雪地帯」とも言われています。なかなか部外者が簡単には出入りができないところが共通しているようです。
「檜枝岐村」は、1960年代のダム開発と1970年代の尾瀬の観光地化によって、1980年代より農家が民宿業へと転身する人が増えました。「檜枝岐村」は、周りを会津駒ケ岳、燧ケ岳、帝釈山に囲まれ、それらの間を通る檜枝岐川に挟まれた場所に位置しています。
その中でも燧ケ岳は、標高2,356mの東北地方で最も標高が高い山です。周りを高い山々に囲まれているので交通の便も悪く、道もかなり険しいようですから、必然的に周りの地域とは関わりを断絶された村になります。そういった村はいつまでも昔の風習が抜けなかったりしますから、「池添村」のような都市伝説が流れてもおかしくないのかもしれません。
「檜枝岐村」は、1960年代のダム開発と1970年代の尾瀬の観光地化によって、1980年代より農家が民宿業へと転身する人が増えました。「檜枝岐村」は、周りを会津駒ケ岳、燧ケ岳、帝釈山に囲まれ、それらの間を通る檜枝岐川に挟まれた場所に位置しています。
その中でも燧ケ岳は、標高2,356mの東北地方で最も標高が高い山です。周りを高い山々に囲まれているので交通の便も悪く、道もかなり険しいようですから、必然的に周りの地域とは関わりを断絶された村になります。そういった村はいつまでも昔の風習が抜けなかったりしますから、「池添村」のような都市伝説が流れてもおかしくないのかもしれません。
檜枝岐村の特徴
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「檜枝岐村」の特徴は、民家の屋根の色でしょう。1979年に景観保全のためといって、家々の屋根を赤錆色に統一しています。景観保全のためであっても初めて訪れた人からすると、統一された色は狂気にすら感じるでしょう。
1986年の野岩線の東京・浅草直結に伴う振興計画により、一時は観光地にもなっていました。その甲斐あって”山人料理”や年3回開催される””檜枝岐歌舞伎、スキー場なども賑わいを見せています。
特に”山人料理”は、その土地ならではの食材を鍋料理などに仕立てることで知られ、山菜やキノコ、イワナなどの川魚、熊やウサギ、カモなどの肉、豆腐、裁ち蕎麦などを使います。珍しい料理としては、ハコネサンショウウオの唐揚げや、トウガラシを塩漬けした「山人漬」があります。
1986年の野岩線の東京・浅草直結に伴う振興計画により、一時は観光地にもなっていました。その甲斐あって”山人料理”や年3回開催される””檜枝岐歌舞伎、スキー場なども賑わいを見せています。
特に”山人料理”は、その土地ならではの食材を鍋料理などに仕立てることで知られ、山菜やキノコ、イワナなどの川魚、熊やウサギ、カモなどの肉、豆腐、裁ち蕎麦などを使います。珍しい料理としては、ハコネサンショウウオの唐揚げや、トウガラシを塩漬けした「山人漬」があります。
檜枝岐村の場所や行き方
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「檜枝岐村」の場所は、福島県会津地方、南会津郡にあります。周囲を山々に囲われ、知っている人でないと村を見つけることができないのではないかと思うほど、大自然に囲まれています。
そんな「檜枝岐村」へ向かうには、隣接する只見町、南会津町から入ることができます。只見町とは地続きでありながら町中心部へ続く直結路がなく、南会津町経由で大きく迂回する必要がありますが、登山道すらほぼ無い山岳地帯となっています。
また群馬県の片品村から入る方法もありますが、「檜枝岐村」との境は尾瀬国立公園に指定されており、自然保護の観点から歩行者のみ通行可となっています。新潟県魚沼市からは唯一の連絡路である国道352号は11月~翌年6月まで冬期閉鎖されてしまいます。いずれにせよどの道順でも「檜枝岐村」へたどり着くのは簡単では無いことがわかりますね。
そんな「檜枝岐村」へ向かうには、隣接する只見町、南会津町から入ることができます。只見町とは地続きでありながら町中心部へ続く直結路がなく、南会津町経由で大きく迂回する必要がありますが、登山道すらほぼ無い山岳地帯となっています。
また群馬県の片品村から入る方法もありますが、「檜枝岐村」との境は尾瀬国立公園に指定されており、自然保護の観点から歩行者のみ通行可となっています。新潟県魚沼市からは唯一の連絡路である国道352号は11月~翌年6月まで冬期閉鎖されてしまいます。いずれにせよどの道順でも「檜枝岐村」へたどり着くのは簡単では無いことがわかりますね。
池添村は本当にある?
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果たして池添村は本当に存在するのでしょうか?これまでご紹介してきた情報をまとめると「池添村」は、「村人の苗字が3種類しかない」、「自給自足の生活」、「お盆の時期になるとお供え用の花が玄関に置かれる」、「池添村を訪れると数年以内に死ぬ」という情報がありました。
その情報に非常に近い実在する村というのが、先ほどご紹介した「檜枝岐村」でした。「檜枝岐村」と「池添村」の共通点は多く、「檜枝岐村」へ向かうのもかなり困難な道順であることから、現代では珍しい閉塞的な地域だということがよくわかります。
このことから「檜枝岐村」が「池添村」であるという決定的なことは言えませんが、もしかしたら投稿者が訪れたのは「檜枝岐村」かもしれません。しかしながら「檜枝岐村」にはそのような都市伝説はなく、いたって普通の村のようです。実際のところ「檜枝岐村」が「池添村」なのか、それとも別に「池添村」は存在するのか定かではありません。
その情報に非常に近い実在する村というのが、先ほどご紹介した「檜枝岐村」でした。「檜枝岐村」と「池添村」の共通点は多く、「檜枝岐村」へ向かうのもかなり困難な道順であることから、現代では珍しい閉塞的な地域だということがよくわかります。
このことから「檜枝岐村」が「池添村」であるという決定的なことは言えませんが、もしかしたら投稿者が訪れたのは「檜枝岐村」かもしれません。しかしながら「檜枝岐村」にはそのような都市伝説はなく、いたって普通の村のようです。実際のところ「檜枝岐村」が「池添村」なのか、それとも別に「池添村」は存在するのか定かではありません。
日本全国地図に載らない村
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日本は小さな列島ではありますが、日本全国には私たちが知らないだけで「池添村」のように地図に載らない村が数多く存在しています。その多くはネット上で話題になったもので、今回ご紹介していくのは特にオカルト要素の強い「地図に載らない村」です。
地図に載っていないのにどうしてその存在を知られているのでしょうか。それは地図に載らない村にたまたまたどり着いてしまった、不幸な投稿者達の書き込みから次第にネット上で話題になったようです。
それぞれの村には一体どんな都市伝説や曰くがあるのか、詳しく解説していきましょう。
地図に載っていないのにどうしてその存在を知られているのでしょうか。それは地図に載らない村にたまたまたどり着いてしまった、不幸な投稿者達の書き込みから次第にネット上で話題になったようです。
それぞれの村には一体どんな都市伝説や曰くがあるのか、詳しく解説していきましょう。
杉沢村
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「杉沢村」は地図に載らない村としてネットでとても話題になりました。なぜなら、とても危険な村とされていて一度村に入ると呪われてしまい、二度と出ることはできないと言われているからです。
「杉沢村」では昭和初期にある事件が起こりました。その事件がきっかけで村は呪われ、人が寄り付かなくなり、地図からも消えてしまったのです。その事件とは一人の男が発狂し、村人全員を惨殺した後に自殺したという事件です。それ以来、村には殺された村人の霊がさまよい、村に入った者に襲いかかると言われています。
「杉沢村」の入り口には、朽ちた鳥居とドクロの形をした岩があるそうです。場所は青森と言われていますが詳細は特定されていないので、万が一鳥居とドクロの岩を見かけたらすぐに立ち去ることをお勧めします。
「杉沢村」では昭和初期にある事件が起こりました。その事件がきっかけで村は呪われ、人が寄り付かなくなり、地図からも消えてしまったのです。その事件とは一人の男が発狂し、村人全員を惨殺した後に自殺したという事件です。それ以来、村には殺された村人の霊がさまよい、村に入った者に襲いかかると言われています。
「杉沢村」の入り口には、朽ちた鳥居とドクロの形をした岩があるそうです。場所は青森と言われていますが詳細は特定されていないので、万が一鳥居とドクロの岩を見かけたらすぐに立ち去ることをお勧めします。
巨頭村
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「巨頭村」というのは、村の名前からしてもなんだか不気味な雰囲気が漂います。この村に出会ってしまった不幸な投稿者は、昔行った小さな村にもう一度行きたいと思い車を走らせたところ、この「巨頭村」に出会ってしまったのです。
村へ向かう途中、「後○○㎞」と書かれているはずの看板に、なぜか「巨頭オ」と書かれているのを発見します。不気味に思いながらも車を走らせ、村に到着すると既に廃村となっていました。
男性ががっかりしていると突然、草むらから頭が大きい人間のようなものがたくさん現れたのです。両手をぴったりと足につけ、大きい頭を左右に振りながらものすごい速さで追いかけられ、男性はなんとか逃げその一部始終をネットに書き込んだようです。看板にあった「巨頭オ」の意味も気になりますし、その人間のようなものが何だったのかも気になります。
村へ向かう途中、「後○○㎞」と書かれているはずの看板に、なぜか「巨頭オ」と書かれているのを発見します。不気味に思いながらも車を走らせ、村に到着すると既に廃村となっていました。
男性ががっかりしていると突然、草むらから頭が大きい人間のようなものがたくさん現れたのです。両手をぴったりと足につけ、大きい頭を左右に振りながらものすごい速さで追いかけられ、男性はなんとか逃げその一部始終をネットに書き込んだようです。看板にあった「巨頭オ」の意味も気になりますし、その人間のようなものが何だったのかも気になります。
下多島村
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「下多島村」と呼ばれる村は、昔から自殺者が非常に多いという都市伝説があるのです。その都市伝説の内容には続きがあり、自殺の方法はすべて首吊り自殺だったというのです。その村では首つりに使われるのは、決まって道端の電柱だったそうです。
この村は宮城県に下田島村という似た名前の村が存在していたため、下田島村のことではないか、と言われています。実際に下田島村では部落差別がひどく、差別を苦にしての自殺したのではないかとの推測まで立てられています。
また宮崎県宮崎市にあった場所には、かつて下田嶋村が存在していました。その下田嶋村の近くには上田嶋村も存在しており、ネットではこの場所が有力とされているようです。
この村は宮城県に下田島村という似た名前の村が存在していたため、下田島村のことではないか、と言われています。実際に下田島村では部落差別がひどく、差別を苦にしての自殺したのではないかとの推測まで立てられています。
また宮崎県宮崎市にあった場所には、かつて下田嶋村が存在していました。その下田嶋村の近くには上田嶋村も存在しており、ネットではこの場所が有力とされているようです。
樹海村
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「樹海村」と呼ばれるその村は、山梨の樹海奥深くに存在すると言われています。その「樹海村」の噂の詳細は、樹海に来てみたものの自殺出来なかった自殺志願者が作った村と言われていたり、昔から樹海に隠れ住みサバイバルな生き方をする流浪の集団「サンカ」と呼ばれる人々と自殺志願者の共存する村であると噂されています。
しかしながらこの「樹海村」はガセである可能性が高いのです。実は富士の樹海の中には村が通常に存在し、地図にも載っている村なのです。こちらの村は小学校や郵便局も存在し、「精進湖民宿村」という名前があります。
こちらはごく普通の村なので、この噂とは全く別の場所になります。こちらの村には「樹海荘」という宿もあり、ネットで予約が可能なので、気になる方は是非予約して宿泊してみてはいかがでしょう。
しかしながらこの「樹海村」はガセである可能性が高いのです。実は富士の樹海の中には村が通常に存在し、地図にも載っている村なのです。こちらの村は小学校や郵便局も存在し、「精進湖民宿村」という名前があります。
こちらはごく普通の村なので、この噂とは全く別の場所になります。こちらの村には「樹海荘」という宿もあり、ネットで予約が可能なので、気になる方は是非予約して宿泊してみてはいかがでしょう。
千葉県の地図に載らない村
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