目次
- 聖書には心に響く多くの名言が記載されている
- 聖書とは
- キリスト教・ユダヤ教の聖典
- キリスト教関連の宗教で最も重要とされる
- 神と人間の歴史書
- 律法・文学書・預言書など多くの本が集まった集合体
- 旧約聖書と新約聖書の2つにまとめられる
- 旧約聖書と新約聖書の違い
- 旧約聖書はイスラエル民族と神
- 旧約聖書の「メシア」が書かれているのが新約聖書
- ユダヤ教では新約聖書は教典とされない
- 旧約聖書と新約聖書はどちらが正しいというものではない
- 聖書の名言【愛】
- わたしの目にはあなたは高価で尊い
- 愛は寛容であり、愛は親切です
- 人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になる
- ことばや口先だけで愛することをせず
- 愛は隣り人に害を加えることはない
- 聖書の名言【結婚】
- 彼らはもはやふたりではなく一体である
- 何よりもまず互の愛を熱く保ちなさい
- できる限り謙虚でかつ柔和であり
- 妻は夫と別れてはいけません
- つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません
- 聖書の名言【死】
- 罪から来る報酬は死です
- 霊だからといってみな信じてはいけません
- 自分の命を愛する者はそれを失い
- いのちを愛しさいわいな日々を過ごそうと願う人は
- 聖書の名言【励まし】
- あなたが水の中を過ぎるときわたしはあなたと共におる
- わたしはあなたに命じたではないか
- 神はわれらの避け所また力である
- 神がわたしたちに下さったのは臆する霊ではなく
- あなたの荷を主にゆだねよ
- すべての事について感謝しなさい
- 聖書の中には多くの教えが記載されている
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「彼らはもはやふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない。」はマタイによる福音書19章5~6節に記されています。
結婚は永久のものでありひとりの男とひとりの女の関係は死ぬまで続いていくものだということです。お互いを大切に思うことこそが人間にとって基本的なものなのでしょう。
マタイの福音書ではイエスが生まれてから十字架にはりつけにされて処刑された後に復活するまでが書かれています。マタイは他の福音書よりも旧約聖書との関係を強調し教団的思考を重視している特徴があります。
結婚は永久のものでありひとりの男とひとりの女の関係は死ぬまで続いていくものだということです。お互いを大切に思うことこそが人間にとって基本的なものなのでしょう。
マタイの福音書ではイエスが生まれてから十字架にはりつけにされて処刑された後に復活するまでが書かれています。マタイは他の福音書よりも旧約聖書との関係を強調し教団的思考を重視している特徴があります。
何よりもまず互の愛を熱く保ちなさい
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「何よりもまず互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。」はペテロの手紙4章8節に書かれている言葉です。
旧約聖書が作られた時代は神が命じた方法として牛や羊を生贄に捧げることで罪が覆われていました。しかしイエスキリストが血潮を流したことで人々は一度完全に赦されたのです。
現在は、神はただ罪を覆うのではなく人々を悔い改めさせてから罪を覆っています。「熱く」は途切れることなくや堅くという意味を持つため、途切れることなく愛を保つ頃が大事だと言えるでしょう。
旧約聖書が作られた時代は神が命じた方法として牛や羊を生贄に捧げることで罪が覆われていました。しかしイエスキリストが血潮を流したことで人々は一度完全に赦されたのです。
現在は、神はただ罪を覆うのではなく人々を悔い改めさせてから罪を覆っています。「熱く」は途切れることなくや堅くという意味を持つため、途切れることなく愛を保つ頃が大事だと言えるでしょう。
できる限り謙虚でかつ柔和であり
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「さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍び合い、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。」はエペソ人への手紙4章1~3節に書かれています。
謙虚とは神を畏れ敬い神の前で謙遜であることです。エペソ人への手紙を書いたのは使徒パウロで、小アジア諸教会あての回状です。
コロサイ人への手紙とよく似ているため、この手紙を発展させたものがエペソ人への手紙だと言われています。
謙虚とは神を畏れ敬い神の前で謙遜であることです。エペソ人への手紙を書いたのは使徒パウロで、小アジア諸教会あての回状です。
コロサイ人への手紙とよく似ているため、この手紙を発展させたものがエペソ人への手紙だと言われています。
妻は夫と別れてはいけません
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「次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい。また夫は妻を離別してはいけません。」はコリント人への手紙第一7章10~11節に書かれています。
聖書では離婚を勧めていません。禁じているとも受け取れますが絶対に離婚をしてはいけないわけではなく、自分の命にかかわるような問題が起きているのなら離婚は仕方ないと受け取れます。
コリント人への手紙は使徒パウロからコリントの教会の共同体へ宛てられた手紙です。
聖書では離婚を勧めていません。禁じているとも受け取れますが絶対に離婚をしてはいけないわけではなく、自分の命にかかわるような問題が起きているのなら離婚は仕方ないと受け取れます。
コリント人への手紙は使徒パウロからコリントの教会の共同体へ宛てられた手紙です。
つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません
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「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。」はコリント人への手紙第二6章14節に書かれている言葉です。
「くびき」とは二頭一組の家畜の首にかける横木で、二頭が一緒に畑を耕す際に使用する農作業の道具です。神様を信じていない人のように人生の答えを探し回ったり自分の知恵に頼ったりしてはいけないことを意味しています。
他にお、神様からの愛を受けていない人のように周囲の人を見下すことはしてはいけないと解釈することができます。神様を信じることが大切だという教えです。
「くびき」とは二頭一組の家畜の首にかける横木で、二頭が一緒に畑を耕す際に使用する農作業の道具です。神様を信じていない人のように人生の答えを探し回ったり自分の知恵に頼ったりしてはいけないことを意味しています。
他にお、神様からの愛を受けていない人のように周囲の人を見下すことはしてはいけないと解釈することができます。神様を信じることが大切だという教えです。
聖書の名言【死】
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聖書では死を肉体と魂の離別だと説いています。死は罪の結果であり、人間は皆罪を犯しているため死を経験するのです。しかしイエスキリストが死んだのは罪ではなく罪人の身代わりです。
そのためイエスキリストは処刑されてから3日で復活することができました。人間もイエスキリストを信じていれば魂は肉体を離れた後にイエスキリストの元へ行けると言われています。
キリスト教では死ぬことを眠りにつくと解釈しているのです。聖書に記されている死についての名言を見ていきましょう。
そのためイエスキリストは処刑されてから3日で復活することができました。人間もイエスキリストを信じていれば魂は肉体を離れた後にイエスキリストの元へ行けると言われています。
キリスト教では死ぬことを眠りにつくと解釈しているのです。聖書に記されている死についての名言を見ていきましょう。
罪から来る報酬は死です
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「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリストイエスにある永遠のいのちです。」はローマ人への手紙6章23節に書かれています。
アダムが罪を犯すまでは死は地上に存在しないものでしたが罪を犯したことで死が世界に入りました。罪には様々なものがあり、争いやそねみ、妬みなどが挙げられます。
聖書では神なき人生という死、肉体的な死、永遠の滅びの3つの死があるとされていますが、イエスキリストを信じれば永遠のいのちを受け取ることができます。つまり神と共に生きればからだが復活して永遠に祝福を受けということになります。
アダムが罪を犯すまでは死は地上に存在しないものでしたが罪を犯したことで死が世界に入りました。罪には様々なものがあり、争いやそねみ、妬みなどが挙げられます。
聖書では神なき人生という死、肉体的な死、永遠の滅びの3つの死があるとされていますが、イエスキリストを信じれば永遠のいのちを受け取ることができます。つまり神と共に生きればからだが復活して永遠に祝福を受けということになります。
霊だからといってみな信じてはいけません
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「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ予言者がたくさん世に出て来たからです。」はヨハネの手紙4章1節に書かれています。
愛する者たちとはヨハネの手紙を読む信者たちへの呼びかけです。にせ信者は霊・肉二元論を唱えていたグノーシス主義や仮現説を唱えたケリントス主義の指導者たちのことを指します。
霊に無防備でいると真実がわからずに惑わされることになるという教えです。何でも信じてしまわずに聖書から出たものなのか吟味することが大切です。
愛する者たちとはヨハネの手紙を読む信者たちへの呼びかけです。にせ信者は霊・肉二元論を唱えていたグノーシス主義や仮現説を唱えたケリントス主義の指導者たちのことを指します。
霊に無防備でいると真実がわからずに惑わされることになるという教えです。何でも信じてしまわずに聖書から出たものなのか吟味することが大切です。
自分の命を愛する者はそれを失い
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「自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」はヨハネによる福音書12章25節に書かれた言葉です。
自分の命にのみ固執しているとかえって命を失うことになるという意味です。自分の命を憎むとは、憎むことで命への執着から逃れた結果永遠の命に至るということです。
神様からいただいた命に感謝をせず富や名声にばかり気を取られていると、永遠の命を手に入れることなく滅んでしまうのです。
自分の命にのみ固執しているとかえって命を失うことになるという意味です。自分の命を憎むとは、憎むことで命への執着から逃れた結果永遠の命に至るということです。
神様からいただいた命に感謝をせず富や名声にばかり気を取られていると、永遠の命を手に入れることなく滅んでしまうのです。
いのちを愛しさいわいな日々を過ごそうと願う人は
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「いのちを愛し、さいわいな日々を過ごそうと願う人は、舌を制して悪を言わず、くちびるを閉じて偽りを語らず、悪を避けて善を行い、平和を求めて、これを追え。主の目は義人たちに注がれ、主の耳は彼らの祈にかたむく。しかし主の御顔は、悪を行う者に対して向かう。」という言葉があります。
ペテロの手紙3章10~12節に書かれており、幸せな毎日を過ごしたいのであれば何かを手に入れようとするのではなく心の在り方を変えることが大切という意味です。
悪を言わず偽りを語らずに善を行い平和を求めることで幸せな日々が過ごせるのです。
ペテロの手紙3章10~12節に書かれており、幸せな毎日を過ごしたいのであれば何かを手に入れようとするのではなく心の在り方を変えることが大切という意味です。
悪を言わず偽りを語らずに善を行い平和を求めることで幸せな日々が過ごせるのです。
聖書の名言【励まし】
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