2019年4月21日 更新

おじろく・おばさとは?おじろく・おばさという風習の実情

少し昔に日本にあったおじろく・おばさという風習を知っていますか?小さな集落の中で行われた日本人の日本人による奴隷制度のようなものです。おじろく・おばさとはどのような人だったのか、そしてどのように生活をしていたのかを詳しく紹介していきます。

目次

日本のタブーおじろく・おばさ

Hands Love Couple - Free photo on Pixabay (204766)

日本のある土地の風習であったおじろく・おばさという言葉を知っていますか?

長男以外の人間は結婚もできず、世間との交流すら許されないというまるで奴隷のような扱いをうけるというものです。
Redwood National Park California - Free photo on Pixabay (204778)

いったいどんなフィクションの物語なんだと思うような内容ですが、実際にここ日本であった風習なんです。

もちろん内容的に、現在はタブーとされている風習ですが、過去に存在したおじろく・おばさとはどのような人達だったのか説明します。

おじろく・おばさとは

Yellow Wall Girl - Free photo on Pixabay (204783)

16~17世紀ごろから何百年も続いていた実際に会った日本の風習で、ある男女の事をおじろく・おばさと呼びました。

おじろく・おばさとは家長となる長男より後に生まれた子供がなりました。おじろくは次男以降の男性の呼称で、おばさは女性の呼称です。次男以降の男性や女性です。
Countryside Harvest Agriculture - Free photo on Pixabay (204788)

一人の人間である男女に何故このような呼称がついたのか。また、日本のどの地域であったことなのか紹介します。

現在もある風習なのかどうかも、併せてお伝えしていきます。

日本に実在した風習

Fall Autumn Red - Free photo on Pixabay (204797)

現在の日本では考えられない、まるで奴隷制度のような風習ですが実際に日本に実在した風習です。

昔あったおとぎ話や伝説のような非科学的な夢のような話ではないのです。
Railroad Tracks Railway - Free photo on Pixabay (204802)

彼らの事を当時の人々は助けようと思わなかったのか。また、何故その制度を不思議に思わなかったのかなどたくさんの疑問が生まれてきます。

しかし、もしあなたが実際に長野県神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)に住んでいたら当たり前すぎて疑問にも思わなかった可能性もあります。

長野県神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)

Man Fishermen Nature - Free photo on Pixabay (204813)

この風習の舞台となったのは、長野県にある神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)という集落です。

山林によって隔絶されている村で、外界との接触があまりないために、独自の文化が発生しました。

その奇妙な文化というのがおじろく・おばさ文化です。
Parent Father Holding - Free photo on Pixabay (204820)

長野県の南部は、高山の多い信州の中でも特に山深いところであります。

現在でも平地といえるような土地はほとんどなく、まともな道すらありません。天竜川に沿って小さな集落がぽつぽつといくつか点在しています。

おじろく・おばさが生まれた理由

Hatching Chicks Egg Shell Break - Free photo on Pixabay (204830)

長野県神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)は高山の谷間で平地が極端に少ないため耕地面積が充分とれません。

そのため、たくさん産んでたくさん育てようというわけにはいかず、なんとか人口を制限しなければ村のみんなが食べ物に困ってします。
Hijab Headscarf Portrait - Free photo on Pixabay (204838)

そこで、この村の人々が考えた奇妙な人口制限法が、おじろく・おばさ文化です。

虐げるためだけにこの風習が生まれたのではなく、当時の長野県神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)の人々が生き残るための知恵だったのです。

現在は存在しない

Sunset Tree Water - Free photo on Pixabay (204845)

非人道的なおじろく・おばさ文化ですが、もちろん現在はこの風習も残っていません。

明治初期には人口2000人の村に190人。10人に1人はおじろく、またはおばさでした。
Tree Nature Wood - Free photo on Pixabay (204851)

最後におじろく・おばさが確認されたのが昭和40年代(1965~1974年)頃で、その当時3人のおじろく・おばさが生きていたということが確認されています。

このような文化が50年前まで残っていたということが驚きではありますが、現在はいないということで、少し安心できる部分があります。

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