目次
- 日本のタブーおじろく・おばさ
- おじろく・おばさとは
- 日本に実在した風習
- 長野県神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)
- おじろく・おばさが生まれた理由
- 現在は存在しない
- どのような風習だったのか
- 世間との交際は禁止
- 生涯戸主のために無報酬で働く
- 家庭内の地位は一番下
- 戸籍には「厄介」
- 多くのものは童貞・処女
- 養子になったり嫁いだりしない限り結婚もゆるされない
- おじろく・おばさの特徴
- 子供のころは普通
- 無感動のロボットのような人格
- いつも無表情
- 話しかけても返事もない
- 夢も趣味も無い
- おじろく・おばさは何を思っていたのか
- 面白いことや楽しい思い出はない
- 私はばかだから
- 不平もない
- おじろく・おばさがこの風習に不満がない理由
- 兄に従うものだという教育を受けた
- 親もかわいそうだとは思わなかった
- 疎外され人格が変化した
- 奴隷的な状況が精神障害をもたらす
- 逃げ出すものはいなかったのか
- 反抗するものはほとんどいない
- まれにあってもすぐに戻ってくる
- この風習から読み取れるもの
- 疎外された環境が人間に与える影響
- 現在の日本社会にもつながる
- 引きこもりやブラック企業
- そのほかの日本の変わった風習
- 夜這い
- おっとい嫁じょ
- 姥捨て
- 旅娘輪姦
- 犬を飼ってはいけない島
- いまだ知られていない風習もある!
日本のタブーおじろく・おばさ
via pixabay.com
日本のある土地の風習であったおじろく・おばさという言葉を知っていますか?
長男以外の人間は結婚もできず、世間との交流すら許されないというまるで奴隷のような扱いをうけるというものです。
長男以外の人間は結婚もできず、世間との交流すら許されないというまるで奴隷のような扱いをうけるというものです。
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いったいどんなフィクションの物語なんだと思うような内容ですが、実際にここ日本であった風習なんです。
もちろん内容的に、現在はタブーとされている風習ですが、過去に存在したおじろく・おばさとはどのような人達だったのか説明します。
もちろん内容的に、現在はタブーとされている風習ですが、過去に存在したおじろく・おばさとはどのような人達だったのか説明します。
おじろく・おばさとは
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16~17世紀ごろから何百年も続いていた実際に会った日本の風習で、ある男女の事をおじろく・おばさと呼びました。
おじろく・おばさとは家長となる長男より後に生まれた子供がなりました。おじろくは次男以降の男性の呼称で、おばさは女性の呼称です。次男以降の男性や女性です。
おじろく・おばさとは家長となる長男より後に生まれた子供がなりました。おじろくは次男以降の男性の呼称で、おばさは女性の呼称です。次男以降の男性や女性です。
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一人の人間である男女に何故このような呼称がついたのか。また、日本のどの地域であったことなのか紹介します。
現在もある風習なのかどうかも、併せてお伝えしていきます。
現在もある風習なのかどうかも、併せてお伝えしていきます。
日本に実在した風習
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現在の日本では考えられない、まるで奴隷制度のような風習ですが実際に日本に実在した風習です。
昔あったおとぎ話や伝説のような非科学的な夢のような話ではないのです。
昔あったおとぎ話や伝説のような非科学的な夢のような話ではないのです。
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彼らの事を当時の人々は助けようと思わなかったのか。また、何故その制度を不思議に思わなかったのかなどたくさんの疑問が生まれてきます。
しかし、もしあなたが実際に長野県神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)に住んでいたら当たり前すぎて疑問にも思わなかった可能性もあります。
しかし、もしあなたが実際に長野県神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)に住んでいたら当たり前すぎて疑問にも思わなかった可能性もあります。
長野県神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)
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この風習の舞台となったのは、長野県にある神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)という集落です。
山林によって隔絶されている村で、外界との接触があまりないために、独自の文化が発生しました。
その奇妙な文化というのがおじろく・おばさ文化です。
山林によって隔絶されている村で、外界との接触があまりないために、独自の文化が発生しました。
その奇妙な文化というのがおじろく・おばさ文化です。
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長野県の南部は、高山の多い信州の中でも特に山深いところであります。
現在でも平地といえるような土地はほとんどなく、まともな道すらありません。天竜川に沿って小さな集落がぽつぽつといくつか点在しています。
現在でも平地といえるような土地はほとんどなく、まともな道すらありません。天竜川に沿って小さな集落がぽつぽつといくつか点在しています。
おじろく・おばさが生まれた理由
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長野県神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)は高山の谷間で平地が極端に少ないため耕地面積が充分とれません。
そのため、たくさん産んでたくさん育てようというわけにはいかず、なんとか人口を制限しなければ村のみんなが食べ物に困ってします。
そのため、たくさん産んでたくさん育てようというわけにはいかず、なんとか人口を制限しなければ村のみんなが食べ物に困ってします。
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そこで、この村の人々が考えた奇妙な人口制限法が、おじろく・おばさ文化です。
虐げるためだけにこの風習が生まれたのではなく、当時の長野県神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)の人々が生き残るための知恵だったのです。
虐げるためだけにこの風習が生まれたのではなく、当時の長野県神原村(現・下伊那郡天龍村紙原)の人々が生き残るための知恵だったのです。
現在は存在しない
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非人道的なおじろく・おばさ文化ですが、もちろん現在はこの風習も残っていません。
明治初期には人口2000人の村に190人。10人に1人はおじろく、またはおばさでした。
明治初期には人口2000人の村に190人。10人に1人はおじろく、またはおばさでした。
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最後におじろく・おばさが確認されたのが昭和40年代(1965~1974年)頃で、その当時3人のおじろく・おばさが生きていたということが確認されています。
このような文化が50年前まで残っていたということが驚きではありますが、現在はいないということで、少し安心できる部分があります。
このような文化が50年前まで残っていたということが驚きではありますが、現在はいないということで、少し安心できる部分があります。
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