2019年7月19日 更新

死刑囚が放つ最後の言葉とは?日本だけでなく海外のものも

みなさんは死刑囚が最後に言う言葉を知っていますか。そして興味がありますか。今回はそんな興味のある人に向けて死刑囚の最後の言葉を紹介していきます。日本だけではなく世界の言葉も紹介します。最後の言葉は怖いのあるのも謝罪の意が含まれているなどさまざまです。

目次

尾形英紀は熊谷男女4人拉致殺傷事件の犯人として死刑が執行されました。この死刑判決の裁判には是非が問われる内容となっています。

最後の言葉として「死を受け入れるかわりに反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族の事を考えるのをやめました。」と言っています。

これは死をもって償い人間には反省は必要ない、反省は生きてしょうらいがあるからこそ反省するのだと言っています。

これは恐怖から来る言葉なのか本心なのかはわかりませんが、尾形英紀は死刑という制度自体に疑問があったようです。

お前もやってみろよ/関根元

Hand Finger Pointing - Free photo on Pixabay (488200)

関根元は埼玉愛犬家連続殺人事件の殺人の罪で死刑囚となった人物です。しかし死刑執行を前に獄中で病死でしています。

最後の言葉ではないが関根元は死体を解体するときに共犯であった山崎に「お前もやってみろよ。冷んやりして気持ちいいぞ」と言っていたようです。

この関根元は常軌を逸した発言が多く、また30人近くは殺しているという情報もあるようです。これは死への恐怖など微塵も感じないでしょう。

関根元がなぜこのような発言を行いここまでの残虐な事件を起こせたのかは本人が死んだ今は不明のままです。

日本人死刑囚の最後の言葉【怒り】

Smiley Emoticon Anger - Free photo on Pixabay (488201)

次は日本人死刑囚の怒りに関係する最後の言葉をまとめました。死刑囚の怒りは様々なものに向けられています。

日本という国に対してや世の中に対してであったりはたまた自分に対する怒りであったりもします。

死刑囚はほとんどの人が拘置所の中で反省を行なっているでしょう。その中でなぜ罪を犯してしまったのか考える時間はありますり

しかしながら迫り来る死というものからどのように向き合うのか反省よりもその気持ちが大きくなってしまうようです。

日本社会は誰かを悪者にして吊し上げて留飲を下げると/豊田亨

Angel The Witch Hell - Free photo on Pixabay (488202)

豊田亨はオウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件に関与したとして死刑判決を受け、死刑が執行されています。

豊田亨は東京大学の出身者で日本国憲法になってから初めて東大出身者で死刑判決を受けた人なのです。

豊田亨は最後の言葉として「日本社会は誰かを悪者にして吊し上げて留飲を下げると、また平気で同じミスを犯す。」と言っていたそうです。

豊田亨は拘置所にいる間も「命ある限り世の中のためになりたい」と発言し、二度と事件が起きないことを願っていたようです。

俺を殺すと革命が起きるぞ/永山則夫

France French Revolution Civil War - Free photo on Pixabay (488205)

永山則夫は当時19歳の少年であったが4つの都道府県で4名を殺害したとして死刑判決を受け、死刑が執行されています。

永山則夫は最後の言葉として「俺を殺すと革命が起きるぞ」と言ったそうです。この発言の意図はわかりませんが、永山は激しい性格であったようです。

永山則夫は今回の事件を起こす前に自殺未遂を9回もしています。これは生きていることへの絶望があったようです。

この言葉が怒りなのかそれとも死への恐怖から出た言葉からはわかりませんが、死刑が執行されてしまえばもう真意を問うことはできないのです。

おれは悪い人間なんだ/大久保清

Fantasy Spirit Nightmare - Free photo on Pixabay (488206)

大久保清は41日間の間に若い女性を8人も殺害した罪で死刑判決を受け、死刑が執行されています。大久保清は強姦など前科4犯でありました。

大久保清は最後の言葉として「おれは悪い人間なんだ」と言ったそうです。裁判でも控訴しなかっ理由には自分も苦痛から逃れたいと言っています。

しかしながら最後まで大久保清から謝罪の言葉が出ることはありませんでした。犯した罪は自分が悪い人間だからということなのでしょう。

強姦をはじめたくさんの犯罪を犯してきた大久保清は自分は悪い人間だからということで全ての苦痛から逃げようとしていたのかもしれません。

ありゃー調子付いてると僕もね、思うとりました/大月孝行

Woman Long Hair People - Free photo on Pixabay (488207)

大月孝行は当時18歳の少年がアパートに押し入り主婦と娘を殺害し、主婦には屍姦しています。また娘はまだ生後11ヶ月でした。

被害者の遺族である本村さんに向けて手紙で「ありゃー調子づいてると僕もね、思うとりました」と語っています。

反省の色は一切見せることはなく、殺害自体も故意であったとも言っています。まさに遺族に対して怒りをぶつけています。

また大月孝行の父親もテレビの取材に対して自分には責任がないという発言もしており、親子揃って問題があったと言えるでしょう。

日本人死刑囚の最後の言葉【謝罪】

Food Drinks Afternoon - Free photo on Pixabay (488208)

日本人死刑囚の最後の言葉として謝罪に関わるものを紹介していきます。今までは死への恐怖や怒りでしたが、謝罪は少し様子が違います。

謝罪するということは被害者や遺族に対しての謝罪であり、自分の行なった行動が誤りであったと認めていることがほとんどです。

死刑になるのは複数人の殺人など残虐で悪質なものです。それを行なってしまった過去は変えることはできません。

それを死刑という形で死んで償うことである意味その過去から解放されたいという思いもあるのかもしれません。

生かされ感謝している/林郁夫

Background Abstract Graffiti - Free photo on Pixabay (488209)

林郁夫は元オウム真理教元幹部であり、元医師です。林郁夫は死刑になっていません。無期懲役として現在は千葉刑務所に服役中だそうです。

林郁夫は地下鉄サリン事件の実行犯でありながら本事件の関係者は皆死刑判決を受けているにも関わらず無期懲役の判決を受けています。

無期懲役の判決を受けた際には「生かされ感謝している」と述べたそうです。ではなぜ死刑ではなく無期懲役になったのでしょうか。

林郁夫は地下鉄サリン事件の内容をすべて自供しました。これは自首に相当するとして検察側が死刑ではなく無期懲役を求刑したのです。

自分がしたことを後世に伝え/広瀬健一

Man Woman Composing - Free photo on Pixabay (488210)

広瀬健一は元オウム真理教の幹部でオウム真理教内での武装化のため様々な兵器の開発に携わり、地下鉄サリン事件にも関与しました。

広瀬健一は「自分がしたことを後世に伝え、同じことをさせない」と語っていたようです。自分がしたことを理解し、反省していると感じられます。

広瀬健一は大学生に向けてカルトへの入会を防止するための手紙を執筆しています。自分が行ったことへの後悔と反省の思いがあったのでしょう。

また裁判においても自分の知っていることは全て話すというとても誠実な姿勢が見られたようです。未来への教訓を残しだったのでしょう。

真人間になって死んでいきます/小原保

Michelangelo Abstract Boy - Free photo on Pixabay (488212)

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