目次
- 下村早苗が起こした事件
- 大阪2児餓死事件
- 死体遺棄容疑で下村早苗(当時23歳)が逮捕される
- 大阪2児餓死事件の概要・判決
- 2010年7月30日大阪市西区マンションで幼児2名の遺体が発見される
- マンションに住んでいた幼児2名の母親である下村早苗が逮捕される
- 殺人罪で起訴されるも保護責任者遺棄致死罪にとどまる
- 刑期について最高裁まで争われるも懲役30年が確定する
- 下村早苗の生い立ち
- 高校教師であった下村大介と専業主婦の母のもと長女として誕生
- 母親は下村早苗を出産後世話を怠り不倫行為を繰り返す
- 下村早苗・妹を残し家出し父親に育てられる
- 父親の再婚相手にも愛情を注がれず中学時代から荒れ始める
- 高校を卒業と同時に割烹店に就職
- 割烹店で出会った大学生の元夫と結婚・出産
- 2人目の出産を機に古い友人と遊び歩くようになる
- 結婚から約2年後早苗の不倫により離婚
- 元夫からの養育費もなく風俗店で働きながら子育てを続ける
- 幼児を放置し当事件を起こす
- 下村早苗の父親下村大介という人物
- ニュースで特集されるほど有名な高校のスポーツ指導者
- 妻の不倫によって離婚し三姉妹を引き取る
- 下村大介本人も浮気していたという噂もある
- 離婚した妻へDVしていたという噂もある
- 3度結婚しその全てが元教え子
- 下村早苗が逮捕された当時証人として出廷
- 10年以上娘と連絡を取っていなかったことを明かす
- 事件を起こした背景
- ホストにハマり子供が邪魔になる
- 家族に頼ることができなかった
- 現実を直視することができなかった
- 元夫との関係
- 自身の生い立ち
- 下村早苗の現在の様子
- 「もう一度2人を抱きしめたい」
- 姓を変え中村早苗となっている
- 現在も服役中
- 下村大介の現在の様子
- 孫の遺体引き取りを拒否
- 下村早苗逮捕時も通常出勤
- 現在は絶縁状態
- 2度と繰り返してはいけない悲惨な事件
下村早苗が起こした事件
via pixabay.com
あなたは「下村早苗」という女性をご存知ですか?この女性がテレビやワイドショー、ネットニュースを騒がせた頃、子を持つ親の多くは彼女に対し、嫌悪感を隠すことはできなかったでしょう。
下村早苗は日本中の子を持つ親を敵に回すような犯罪を犯してしまいました。今回は、下村早苗が起こした事件について迫っていくと共に、下村早苗という人物についても迫っていきましょう。彼女はのような犯罪を犯してしまったのでしょうか、そして彼女はどうして犯罪を犯してしまったのでしょうか。
下村早苗は日本中の子を持つ親を敵に回すような犯罪を犯してしまいました。今回は、下村早苗が起こした事件について迫っていくと共に、下村早苗という人物についても迫っていきましょう。彼女はのような犯罪を犯してしまったのでしょうか、そして彼女はどうして犯罪を犯してしまったのでしょうか。
大阪2児餓死事件
下村早苗が起こした事件は「大阪2児餓死事件」と呼ばれています。その事件の名前の通り、彼女は子ども2人を餓死させてしまうという犯罪を犯しました。このような事件を犯してしまう女性・男性は決して少なくありません。「大阪母子餓死事件」「奈良5歳男児餓死事件」「1歳児餓死事件」「三郷幼児餓死事件」など、多くの餓死事件が発生しているのです。
数十年前と比べ、日本の暮らしは信じられないほど衣食住に困ることはなくなりました。その為、自然に発生するという飢餓状態は遭難状態などにならない限り、可能性は0に等しいのではないでしょうか。そんな幸せな時代に悲しい事件が発生してしまっているのです。
子どもは親の背中を見て育ちます。頼る人は両親しか居ません。住居を提供してくれるのも、食べ物を用意してくれるのも、トイレを補助してくれるのも、すべてが両親頼りなのです。そんな両親が育児を放棄してしまっては、子どもに待つのは「死」という悲しい現実なのです。
数十年前と比べ、日本の暮らしは信じられないほど衣食住に困ることはなくなりました。その為、自然に発生するという飢餓状態は遭難状態などにならない限り、可能性は0に等しいのではないでしょうか。そんな幸せな時代に悲しい事件が発生してしまっているのです。
子どもは親の背中を見て育ちます。頼る人は両親しか居ません。住居を提供してくれるのも、食べ物を用意してくれるのも、トイレを補助してくれるのも、すべてが両親頼りなのです。そんな両親が育児を放棄してしまっては、子どもに待つのは「死」という悲しい現実なのです。
死体遺棄容疑で下村早苗(当時23歳)が逮捕される
2010年にとあるマンションで2児の遺体が発見されました。そして2児の遺体の母である下村早苗が逮捕されることになりました。捕まった当初、下村早苗は23歳でした。逮捕された当初、テレビ・ラジオなど多くのワイドショーでこの事件は取り上げられることとなりました。
若い女性が幼いわが子の命を奪ってしまったという衝撃的な事件。「子どもが子どもを育てていたようなもの」「だから若い母親っていうのは」「まだ遊び足りなかったのか」などと、多くの批判・偏見が集まることとなってしまったのです。
それでは、大阪2児餓死事件の詳しい概要・判決について解説をしていきましょう。
若い女性が幼いわが子の命を奪ってしまったという衝撃的な事件。「子どもが子どもを育てていたようなもの」「だから若い母親っていうのは」「まだ遊び足りなかったのか」などと、多くの批判・偏見が集まることとなってしまったのです。
それでは、大阪2児餓死事件の詳しい概要・判決について解説をしていきましょう。
大阪2児餓死事件の概要・判決
via pixabay.com
「大阪2児餓死事件」といっても、ピンとこない方も多いでしょう。事件は2010年に発生しました。現在までに約10年ほど経過しています。2010年は「長野市一家3人殺害事件」「山口県下関市6歳女児殺害事件」「11代目市川海老蔵暴行事件」など大きな事件が起きた年でもあります。
そんな中起きてしまった、幼い子ども2名が息を引き取ってしまった事件はどのような事件だったのでしょうか。
そんな中起きてしまった、幼い子ども2名が息を引き取ってしまった事件はどのような事件だったのでしょうか。
2010年7月30日大阪市西区マンションで幼児2名の遺体が発見される
via pixabay.com
2010年7月30日未明、下村早苗が働く風俗店の男性従業員が「部屋から異臭がする」という理由で、110番通報を行いました。駆けつけた警察職員により当時3歳だった女児羽木桜子ちゃん・当時1歳9ヶ月だった男児羽木楓ちゃんの遺体が発見されました。
遺体が発見された時、既に死後1ヶ月という長い時間が経っていました。遺体は腐敗が進んでおり、一部は白骨化をしてしまっていたといいます。幼い女児・男児の遺体はお互い支えあい、寄り添う状態で発見されました。
遺体が発見された時、既に死後1ヶ月という長い時間が経っていました。遺体は腐敗が進んでおり、一部は白骨化をしてしまっていたといいます。幼い女児・男児の遺体はお互い支えあい、寄り添う状態で発見されました。
マンションに住んでいた幼児2名の母親である下村早苗が逮捕される
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府警は30日午後、遺体が発見されたマンションに住んでいた「ファッションヘルスクラブリッチエレガンス」の店員である、下村早苗(当時23歳)を死体遺棄容疑で逮捕しました。下村早苗は逮捕後、カメラの前に姿を現しますがその姿はキャップを深く被り、明るい茶髪で顔を伏せた状態でした。
実は、事件が発覚する4ヶ月ほど前から、周囲の住民たちは「子どもの泣き声がする」などという虐待を疑う通報を児童相談所にしていました。
子ども相談センターの職員が何度も訪問をしますが、下村早苗、そして子どもとの接触は一切取れなかったといいます。その後は、不在の状態が続いていました。通報の甲斐はなく、このような悲惨な結果となってしまったのです。
実は、事件が発覚する4ヶ月ほど前から、周囲の住民たちは「子どもの泣き声がする」などという虐待を疑う通報を児童相談所にしていました。
子ども相談センターの職員が何度も訪問をしますが、下村早苗、そして子どもとの接触は一切取れなかったといいます。その後は、不在の状態が続いていました。通報の甲斐はなく、このような悲惨な結果となってしまったのです。
殺人罪で起訴されるも保護責任者遺棄致死罪にとどまる
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下村早苗は逮捕をされた後に鑑定留置期間の5ヶ月の間、精神鑑定を受けました。その結果刑事責任能力には問題がなく、大阪地検に殺人罪で起訴をされました。その際、死体遺棄容疑は不起訴処分となります。
検察側は、下村早苗が最後に家を後にしたとき「冷蔵庫には食料がなかった」「子どもの衰弱を見ていた」ということから、下村早苗には子どもを殺す殺意があったとし「無期懲役」を求刑しました。
ですが、弁護側は「被告も育児放棄受けた過去があり、その影響があった」と、殺意はなく保護責任者遺棄致死罪にとどまることとなりました。
検察側は、下村早苗が最後に家を後にしたとき「冷蔵庫には食料がなかった」「子どもの衰弱を見ていた」ということから、下村早苗には子どもを殺す殺意があったとし「無期懲役」を求刑しました。
ですが、弁護側は「被告も育児放棄受けた過去があり、その影響があった」と、殺意はなく保護責任者遺棄致死罪にとどまることとなりました。
刑期について最高裁まで争われるも懲役30年が確定する
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大阪地裁は「下村早苗は子どもに対して末必の殺意があった」と認定をしました。その結果、懲役30年の実刑判決を言い渡しました。大阪高裁は「生命が危険な状況であった。放置すれば死亡すると認識できた」とし、一審判決を支持。
被告側の起訴を棄却しました。そして裁判は最高裁へ、2013年3月懲役30年が確定しました。事件発生は2010年の7月。判決が下るまで、約2年8ヶ月という長い時間がかかってしまいました。
被告側の起訴を棄却しました。そして裁判は最高裁へ、2013年3月懲役30年が確定しました。事件発生は2010年の7月。判決が下るまで、約2年8ヶ月という長い時間がかかってしまいました。
下村早苗の生い立ち
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裁判の際「被告も育児放棄受けた過去があり、その影響があった」と弁護側から発言がありました。下村早苗は弁護側からそのような発言がでるくらい、壮絶な人生を歩んでいたのです。
まだまだ幼いわが子を自らの手で殺めてしまった下村早苗はどのような環境で育ち、どんな生活を送っていたのでしょうか。下村早苗の生い立ちについて紹介をしていきましょう。
まだまだ幼いわが子を自らの手で殺めてしまった下村早苗はどのような環境で育ち、どんな生活を送っていたのでしょうか。下村早苗の生い立ちについて紹介をしていきましょう。
高校教師であった下村大介と専業主婦の母のもと長女として誕生
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早苗は、1987年に高校教師である父・下村大介、専業主婦であった母の間に三姉妹の長女として生まれました。早苗の母は、父の教え子の1人でした。母は高校卒業後、大介と結婚をしめでたく子宝に恵まれたのです。
早苗は、どんな2人の間に生まれた長女ということもあり父・母は長女の出生を心から喜んだでしょう。早苗もこの世に生を受け大きな産声を上げたことでしょう。そして今後の未来に大きな夢を抱いていたはずです。
ですが、早苗の母親は早苗を出産した後にどんどんと変貌していくことになってしまったのです。
早苗は、どんな2人の間に生まれた長女ということもあり父・母は長女の出生を心から喜んだでしょう。早苗もこの世に生を受け大きな産声を上げたことでしょう。そして今後の未来に大きな夢を抱いていたはずです。
ですが、早苗の母親は早苗を出産した後にどんどんと変貌していくことになってしまったのです。
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