2019年9月30日 更新

銀ブラ事件の概要とは!日本や海外の反応はどうだった?

「銀ブラ事件」と聞いて、どのような事件なのか正確に答えられますか?若き日の上皇さまのエピソードなのですが、どのようにして銀座に行かれたのか、銀座で何をされたのか。”銀ブラ”の由来や事件の真相、実際のご学友方のお話をからめながらご紹介します。

4時間の自由時間だった

Pocket Watch Time Of Sand - Free photo on Pixabay (656695)

突然始まった若き日の上皇さまの冒険は、たったの4時間で幕を閉じます。
4時間ではあっという間だったのではないかと推測しますが、上皇さまの胸の内はいかがだったのでしょう。

コーヒーを1口、アップルパイを1口食する毎に、至福のひと時を楽しまれていたのではないでしょうか。
高級喫茶店のハシゴで「銀ブラ」は終わってしまいましたが、そこで終わらなければ他にはどちらに行かれたかったのでしょうか。

上皇さまになられてご政務を離れられた今、今度は上皇后さまと「銀ブラデート」などをして頂きたいものです。

銀ブラ事件に関わった学友

Books Shelving Library - Free photo on Pixabay (660864)

何度か上記でもご紹介してきましたが、この「銀ブラ事件」に関わった学友は2人いらっしゃいます。
上皇さまに「銀座に行きたい」と相談されるくらいですから、心を許された中だったのではないでしょうか。

いかに仲が良くても、未来の天皇陛下になられる方に「銀座に行きたい」と言われて、「はい、そうですか」とお連れするのは相当悩みそうな気がする凡人の筆者ですが、彼らご学友はどのような方達だったのか気になりませんか?

ここではこのご学友方の人柄などを、上皇さまとのエピソードを交えながらご紹介していきます。

橋本明

Achievement Agreement Arms - Free photo on Pixabay (660927)

上皇さまのことを「チャブ」と呼び、上皇さまからは「ハチ」と愛称で呼ばれるほど仲が良かったようです。
小学1年生の時から一緒に机を並べていたのですから、当然と言えば当然なのかもしれませんが、それに対しての逸話があり「お前は僕のことをしゃべりすぎだ」と上皇さまに言われてしまいます。

ここで普通ならばビビッてしまうところですが、「ちょっと待て。オレは自分のことをしゃべっているんだ。ずっと一緒にいるから、自分のことを話すと殿下のことをしゃべることになるんだ」と言い返したそうですから、お付き合いの深さを感じます。
ケロリン on Instagram: “#橋本龍太郎 #歴史好きな人と繋がりたい” (660925)


橋本氏は、大日本麦酒の常務を務めた橋本卯太郎の孫で、内閣総理大臣を務めた橋本龍太郎や高知県知事を務めた橋本大二郎は父方の従弟にあたるようです。

上皇さまのご学友として、様々なメディアから皇室の諸問題に関する意見を求められることが多かった橋本氏は、ジャーナリスト・評論家として活躍されました。

千家崇彦

Izumo Taisha Shimenawa - Free photo on Pixabay (661115)

”千家”と聞いてピンと来られた方もいらっしゃるかもしれませんね。
千家崇彦氏は、祖父が80代出雲国造出雲大社大宮司・出雲大社教初代管長・男爵の千家尊福。父親は國學院大学教授で出雲大社管長を務めた千家尊宣。兄に作家の千家紀彦がいるという家系に生まれています。

千家は代々、「出雲國造」(いずもこくそう)の系譜を受け継ぐ「出雲氏」の家系であり、古来より「朝廷」によって執り決められた、出雲の国を治める官職のことを指します。

Yellow Chrysanthemum Spring - Free photo on Pixabay (661120)

高円宮家の典子さまがこの千家家へ降嫁されたことは、まだ記憶に新しいのではないでしょうか。
このように千家家は皇室との縁が深い間柄なのです。

同い年で縁も深い間柄だった為か、上皇さまが「銀座へ行きたい」と橋本氏へ持ち掛けた時に「もう一人連れて行こう」と橋本氏が提案したら「千家崇彦が良い」と、上皇さまからのご指名だったようです。

銀ブラ事件を起こした理由

Why Text Question - Free image on Pixabay (667324)

何事にも、物事を起こすのには理由が発生します。
未だ立太子される前であられたとはいえ、必ず次の天皇陛下になられるお立場にあった訳ですから、我々凡人とはいつも違う次元で物事をお考えでいらっしゃったようです。

当然のことながら、若き日の上皇さまも千思万考しての行動だったのではないでしょうか。
昨日今日の思い付きではなく、きっとお胸の内で日々温められていたように感じてなりません。

そんな若き日の上皇さまの思いを、少しだけご一緒に探ってみようではありませんか!

立太式が迫り自由がなくなると思った

Sky Freedom Happiness - Free photo on Pixabay (667327)

立太子の礼(りったいしのれい)または立太子礼(りったいしれい)は、日本の皇太子が自らの立太子を宣明する国事行為たる一連の儀式で、皇室儀礼の一つでもある重要な儀式です。

立太子された後では、本当に自分の自由に動くことができなくなってしまうと思われていたようです。
実際「大学に入るといろいろむずかしいと思う。ボクは立太子式後はますます公的行事に時間をとられて身動きできなくなる。いまがいちばんのチャンスだと思うんだよ」と、学友たちに話されていたようです。

世襲は辛いと周りにいっていた

Family Tree Ancestors - Free vector graphic on Pixabay (667336)

上皇さまが学生の頃、憲法の講義の時に、中央付近に席を占めた明仁親王(上皇さま)は隣席の橋本氏を見つめて、ふっと次の言葉を洩らされたそうです。

「世襲の職業はいやなものだね」
講義は天皇の項目を扱っていたそうで、親王の表情に何かを読み取ろうとして、われ知らず狼狽した橋本の眼には、にこやかに微笑んでいるいつもながらの親王の姿が映ったようです。

上皇さまは少年時代、家庭教師だった米国人のエリザベス・ヴァイニング夫人に「将来何になるのですか」と問われ、「私は天皇になる」と答えたことがあったそうです。

それ以来、「未来の天皇」という立場について常に考え、父である昭和天皇の背中を見つめながら、自らを律していたのではないかと思われます。

電車に乗りたかった

Motion Trains Subway - Free photo on Pixabay (667366)

後に学友が語られていますが、夜の7時頃に寮を抜け出した3人は、「電車に乗ってみたい」という若かりし頃の上皇さまのご希望により、目白駅で二十円の切符を三枚買い、上皇さま自ら切符を改札口で切らせて(この辺りに時代を感じます)山手線の内回り電車に乗られたそうです。

車内はかなり混んでいて座れないような状況だった為、周囲の人に気が付かれることもなく、扉の前の銀色の柱を背に当時の上皇さまはニコニコして嬉しそうだったようです。

一般人であれば当然のような行動も、当時の上皇さまには機会がなかったということでしょう。

上皇さまの性格

Teachers Friends Enemies - Free image on Pixabay (667418)

2 / 4

関連する記事 こんな記事も人気です♪