2019年9月30日 更新

銀ブラ事件の概要とは!日本や海外の反応はどうだった?

「銀ブラ事件」と聞いて、どのような事件なのか正確に答えられますか?若き日の上皇さまのエピソードなのですが、どのようにして銀座に行かれたのか、銀座で何をされたのか。”銀ブラ”の由来や事件の真相、実際のご学友方のお話をからめながらご紹介します。

銀ブラ事件ってどんな事件?

Ginza Wako Tokyo - Free photo on Pixabay (655882)

「銀ブラ事件」と聞いてピンと来る貴方は、かなりの皇室通なのではないでしょうか。
そもそも”銀ブラ”という言葉の由来は、大正時代からの俗語であり「銀座の街をぶらぶら散歩すること」を指しているのだとか。

この言葉を流行らせたのが慶応義塾大学の学生だという説や、「銀座の老舗コーヒー店カフェーパウリスタでブラジルコーヒーを飲むこと」から発祥したという説もあったそうですが、後者は宣伝目的のデタラメとして、専門家より否定されているそうです。

今でも華やかな大人の街として人気の銀座ですが、1952年2月に当時18歳で高等科の学生であられた上皇さま(第125代目の天皇陛下・本名は明仁様)の若き日の冒険話をご紹介していきます。

銀ブラ事件の概要

Coffee Cup - Free photo on Pixabay (655971)

伝統を重んじる皇室では、自分の思い通りに振舞うということはとても難しいようです。
一般人には想像もできないことですが、不自由さや息苦しさを感じられる毎日であられたのではないでしょうか。

それが若ければ若いほど、少しでも自由の時間が欲しいと思われるのは当然の欲求だと思います。
青春真っただ中の18歳、銀座をブラブラと歩いて、コーヒーやケーキを嗜みたい=「銀ブラ」したい!との思いから、「銀ブラ事件」に発展してしまったようです。

上皇さまが天皇陛下になる前に起こした事件

Japan Kyoto Shimogamo Shrine - Free photo on Pixabay (656020)

上皇さまが天皇陛下になられる前、継宮 明仁親王(上皇さま)が昭和27年(1952年)11月10日(満18歳)で立太子される前に起こされたのが「銀ブラ事件」でした。

天皇陛下になられる前とはいえ、皇族でしかも皇位継承をされるであろうことは日本中の誰もが知っていましたし、当時はテレビがあまり普及はしていない頃ではありますが、新聞などでお顔を拝見する機会はあったことでしょう。

実際銀座四丁目あたりで慶応ボーイと遭遇し「殿下こんばんは」と声をかけられたり、入った喫茶店の店員もすぐに気が付いたようです。

学習院高等科3年生のとき学友に「銀座に行きたい」と言う

Classroom School Education - Free photo on Pixabay (656194)

なんと学習院高等科3年の試験終了日に、学友である橋本明(龍太郎の従兄弟)に「銀座に行きたい」と相談し、学友が「いつがいいか?」と尋ねると「今日がいい」とお答えになられたそうですから驚きです。

まぁ、昨日今日の思い付きではなく、日頃から胸の内で温められていた思いだったのではないでしょうか。
相談された学友が「一人ではなくもう一人つれていこう」と提案し、承諾されたそうです(もう一人は千家崇彦)。

このような訳ですから、この学友方の行動力にも関心させられませんか?

東宮侍従を騙して抜け出しに成功する

Man Shoes Boots - Free photo on Pixabay (656430)

なかなか一般人には馴染みのない言葉の”東宮侍従”ですが、東宮とは皇太子のことで、侍従は(高貴な立場の)ある人物の身の回りのお世話や付き従う人の事を指します。

ですから常にお傍に待機している立場にあるのが、この東宮侍従と言える訳です。
この東宮侍従(しかも新任だった)に「今宵、殿下を目白の方にご案内したい」などと騙して抜け出し、3人で銀座の街をブラついたそうです。

この事件にはオチがついているのですが、それはこの先でご紹介させて頂きます。

友達2人と銀座をブラつく

Architecture Railway Station Urban - Free photo on Pixabay (656534)

みごと抜け出すことに成功した3人は、学習院の寮のある目白駅から満員の山手線に乗って新橋駅で下車したそうです。
幸いなことに、電車が満員だった為に周囲の人たちに気が付かれなかったようです。

そこから銀座の喫茶店に向かわれるのですが、”殿下の足どりはゆっくり落ちついていたが、軽やかだった。殿下は手放しの喜びようだった”

と、後に学友の方が語られているように、ひと時の自由な空気を思い切り吸い込まれたのではないでしょうか。
次期天皇陛下になられるお方が警護の1人も付けずに銀座の街をブラつくなんて、本来ならあってはならない事だったはずです。

花馬車やコロンバンに行く

Apple Pie Dessert Patty - Free photo on Pixabay (656553)

当時高級喫茶店として有名だった「花馬車」にて、”殿下は運ばれてきたコーヒーを実にうまそうに飲んだ”と学友の方が語られています。

学友の橋本氏の彼女と合流し、皆でお金を出し合い一杯99円のコーヒーを飲み、店長に上皇さまと気が付かれてしまいお店を後にします。

その後「宮内庁御用達の店がある」と上皇さまが言われ、洋菓子屋「コロンバン」で大好物のアップルパイと紅茶を楽しまれたようです。
Tea Cup Vintage - Free photo on Pixabay (669049)

上皇さまが当時訪れた銀座の「コロンバン」は現在なくなってしまったようですが、洋菓子店のコロンバン本店は明治神宮前にて営業をされています。

その当時のアップルパイのお値段が推定で35円位、紅茶は50円位ではないかとコロンバンの方が話されています。
当時の公務員の初任給が6500円ですから、とても高級なお店をはしごされたわけです。

すぐに騒ぎになり警察に確保される

Traffic Road Vehicle - Free photo on Pixabay (656651)

上皇さま達が銀座を満喫されている間、東宮御所や警察では大騒ぎだったようです。
目撃情報などがあった為、当然のことながらすぐに事件は発覚となり居場所を突き止められてしまいます。

上皇さまの周囲に警官が20~30メートルおきに配置されて、銀座は警官だらけになったとか。
当時銀座の街中にいた人々も何事かと驚かれたのではないでしょうか。

流石にそんなに沢山の警官に囲まれては、”銀ブラ”も諦めざるを得なかったことでしょう。

学友が叱られる

Punch Fist Hand - Free photo on Pixabay (656681)

銀ブラ事件の際、上皇さまの行方が分からなくなった侍従達は、たいへん肝を冷やしたというエピソードも残っているそうです。

上皇さまたちが銀座で捕まった後、橋本明と千家崇彦を叱ったのも東宮侍従と言われています。
それもそのはずですが、やはり時期天皇陛下になられるお立場の方を、1人の護衛も付けずに外出させるなんてことは、絶対にできないということでしょう。

二度とこのようなことを起こさないように、学友達をこっぴどく叱りつけたのは仕方のないことなのかもしれません。

1 / 4

関連する記事 こんな記事も人気です♪