2020年5月7日 更新

生きたメキシコを検索してはいけない理由は?具体的な内容とは

検索してはいけないワード危険度高順位の「生きたメキシコ」。半端な気持ちや、遊び感覚で覗いてしまうと、後悔することになるでしょう。この記事では、「生きたメキシコ」とは何なのか、そしてそれらが作られた背景や現在の様子について、詳しく解説していきます。

目次

Prison Fence Razor Ribbon Wire - Free photo on Pixabay (626838)

様々なビジネスを行っている組織もありますが、麻薬カルテルの主な資金源は、麻薬の売買です。麻薬を売り買いし、その資金を使い武力を向上させています。武力を向上させた後、様々なビジネスに応用しているのです。現在、日本に限らず世界中で、麻薬撲滅の動きが加速しています。

この流れは、麻薬カルテルにとって好ましくありません。資金源が衰退すれば、組織の弱体化が進み、さらに資金の調達が難しくなるからです。麻薬撲滅の動きに抵抗するために、自分たちの恐ろしさを発信していると考えられます。

自己顕示欲

Attack Blackmailing Crime - Free photo on Pixabay (626839)

「生きたメキシコ」で殺人や拷問行為を発信する理由は、彼らの自己顕示欲だとも言われています。メキシコは、裕福な国ではありません。メキシコ以上に発展している国々は、多数存在するのです。

そういった国々にたいして、自分たちの強さや優れていると感じている部分を示すために、殺人映像を発信しているとも考えられているのです。自己顕示欲の根本には、自分への劣等感が存在しています。つまり、「生きたメキシコ」には、メキシコ国民の歴史が深く関係していると言えるのです。

メキシコの歴史

Mexico Ruin Maya - Free photo on Pixabay (626843)

前項でご紹介したように、「生きたメキシコ」には、メキシコの歴史が関係しています。「生きたメキシコ」で残虐な行為を発信する理由、そしてそれらの行為を行う理由を理解するには、メキシコの歴史を知る必要があるのです。

ここからは、メキシコの歴史と、麻薬カルテルが誕生した時代背景について解説していきましょう。「生きたメキシコ」内で、残虐な犯罪行為を行っている麻薬カルテルを作り出しているのは、日本にも馴染み深い国が関係しているのです。

2万年以上前に人類が進出し高度な文明を築く

Towels Fabric Woven - Free photo on Pixabay (626844)

メキシコやその周辺地域には、居間から2万年以上前に人類が進出し、高度な文明を築きました。日本では、旧石器時代と呼ばれた時代です。旧石器時代では、人々が集団で生活していたり、土器などを作成し生活していたとも言われていましたが、現在は疑わしいとも言われています。

同じ時代、メキシコでは高度な文明が築かれていました。狩猟やトウモロコシの農耕、それらに使用する道具や居住区など、当時としては先進的な文明が続いていたのです。

16世紀頃スペインによって植民地化される

Cabo San Lucas Mexico Ocean - Free photo on Pixabay (626845)

当時としては高度な文明を築いていた現在のメキシコですが、スペイン人によって征服されます。16世紀頃、ヨーロッパ人によってアメリカ大陸全土の征服が始まったのです。

メキシコで暮らしていた先住民たちは抵抗しましたが、スペイン人によって植民地化されます。この時、スペイン人によって持ち込まれたのが、麻薬です。スペインによって植民地化されたメキシコでは、スペイン式の建物が次々と建設され、現在のメキシコシティとなっています。

18世紀独立を果たす

Acapulco Sunset Mexico - Free photo on Pixabay (626848)

メキシコの植民地化は、約300年間続きました。18世紀頃、アメリカの独立運動や、フランス革命に影響され、メキシコ国民が立ち上がります。メキシコ国民の独立運動は、激しい弾圧を受けました。世界中が、独立運動や革命などによって混乱していた時期でもあり、様々な国や組織と闘うこととなります。

最終的に、メキシコと同じくスペインに反発していた組織と共闘し、植民地軍を排除することに成功しました。1821年、植民地化を継続し続けた王政が廃止され、メキシコは独立を達成します。

戦争や独裁など争いが絶えなかった

Supercell Chaparral New Mexico - Free photo on Pixabay (626849)

ヨーロッパから独立を果たし、メキシコ独自の文化を築けるかに思えましたが、独立後のメキシコでも争いが絶えませんでした。フランスやイギリスの干渉、隣国のアメリカで行われる戦争などに巻き込まれ、平和とは程遠い時代が続きます。メキシコ国内では、政権が頻繁に変わり、独裁時代も訪れました。

戦争や独裁が続いたことによって、メキシコ国内の物資も滞り、一般人同士で奪い合いも多発するようになります。これらの争いが長く続いたため、メキシコは経済的発展をとげることができませんでした。

貧富の差が広がりまともに教育を受けられない人々も多数

Kid Child Portrait - Free photo on Pixabay (626850)

国内外で争いが続いたことによって、メキシコ国内では貧富の差が広がり続けました。メキシコ国内で富を独占したのは、政治家や争いに武器を供給する側です。一般市民は、自分たちの食べ物をまかなうことも難しく、当然真っ当な教育を受けることもできませんでした。

教育が受けられないという事は、仕事に就くことも難しくなります。仕事に就くことができなかった人々が子供を産み、そしてまた教育を受けられない子供たちが大量に誕生し続けたのです。

暮らしていくにはカルテルに入るしかない

Boy Hungry Sad - Free photo on Pixabay (626851)

富を独占し続ける人々にたいして、武力を持って抗議する人々も誕生し始めました。これが、麻薬カルテルの先駆けです。腐敗した政治や、私腹を肥やす人々に抵抗するため、か弱かった一般市民が協力して作り上げたのが、麻薬カルテルでした。

麻薬を作成し、それらを売りさばくことによって生存する道しかなかったのです。教育を受けられず、職に就けなかった子供たちは、麻薬カルテルに積極的に参加するようになりました。麻薬カルテルでは、安定した生活が送れるからです。こういった背景の元、麻薬カルテルは次第に大きな力を持ち始めます。

隣国のメキシコ利用

Statue Of Liberty New York Ny - Free photo on Pixabay (626853)

メキシコの麻薬カルテルが取引する相手は、メキシコ人ではありません。メキシコの隣国アメリカが、主な顧客として知られています。アメリカでは、何かしらの薬物を使用したことがある人の割合は、15歳以上で42%以上だと言われているのです。

メキシコでは、薬物の使用経験者は15歳以上で5.5%だと言われています。つまり、メキシコの麻薬カルテルの麻薬は、主にアメリカに流れ、アメリカ人によって麻薬カルテルはさらに大きくなっていると言えるのです。

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