2019年10月23日 更新

遠山美枝子とは?遠山美枝子の生い立ちや連合赤軍やリンチ事件の概要

学生運動から暴力革命を目指し始めた組織の1つが連合赤軍です。遠山美枝子もそのメンバーの1人でしたが、仲間内でのリンチの対象とされ、無残な死に方をしてしまいました。今回は遠山美枝子の生涯を通し、連合赤軍の正体や彼女が犠牲となったリンチ事件について紹介します。

目次

山崎順は、当時21歳で早稲田大学出身の赤軍派の構成員です。彼はM作戦と呼ばれる銀行強盗にも参加していますが、主に運転手を担当していました。

彼の死に関しては、あまり詳しい状況が分かっていないのですが、寺岡恒一処刑に対して、積極的に参加していなかったということで、森に総括対象にされてしまったのです。

山崎もまた、殴る蹴るの暴行を受けた後、森によって死刑を宣告されてしまい、アイスピックで突き刺された後に絞殺され、1972年(昭和47年)1月19日(水)に死亡しました。

山本順一

Mom Caucasian Child - Free photo on Pixabay (715085)

山本順一は、連合赤軍の中では当時最高齢の28歳で、組織の構成員では無かったのにも係わらず、仕事を辞め妻子を伴って共闘に参加しました。妻は保子、子はまだ生後2ケ月の頼良(らいら)ちゃんという女児です。

永田洋子は、山で子供を育て真の革命戦士にすると、当初は3人の参加を歓迎していましたが、山本順一が妻に頼まれて子供のオムツを取っていたことを非難し始め、総括の対象となっていきました。3日間ほど激しい暴行を受け、外の木に縛られた上、森からは自殺しろと罵られています。

山本は舌を噛み切ろうとしましたが出来ず、板や角材などで殴られていました。1972年(昭和47年)1月30日(日)、妻と子を残したまま山本順一は死亡します。妻は夫の死後、子供を置いたまま逃亡し、子供の世話を任されていた中村愛子も頼良ちゃんを連れて逃亡した為、山本保子と頼良ちゃんは生き延びることが出来ました。

大槻節子

Woman Face Wall - Free photo on Pixabay (715110)

大槻節子(おおつきせつこ)は、横浜国立大学出身の当時23歳で、革命左派の構成員でした。彼女は、加藤能敬(かとうよしたか)と共に、森と永田に意見書を出した1人だったこともあり、総括の対象となってしまいます。

永田は遠山美枝子が死亡した後、残っていた女性達に革命戦士となる為に女性らしさを自己批判し、生まれ変われねばならないと指示しながら総括を行っていました。その中で、大槻は活動中にカンパのお金でパンタロンを買ったことを告白し、それ以後彼女に対する永田や森の追及は激しさを増していくのです。

永田は獄中にいる大槻の恋人のことや、男兄弟で育った大槻は男に甘えたり媚びたりすることに長けていると糾弾を始めます。また、兵士達のリーダー的存在であった植垣康博(うえがきやすひろ)と恋愛関係になったことで、永田の怒りを買ってしまい、髪を切られた上に激しい暴行を受け、大槻節子は1972年(昭和47年)1月30日(日)に死亡しました。

金子みちよ

Woman Baby Mother - Free photo on Pixabay (715115)

金子みちよは事実婚である夫の吉岡雅邦と共闘に参加していましたが、妊娠8ヶ月という身重の状態で山へやってきました。彼女もまた革命左派の構成員で、永田は当初「山で子供を育て、私達の子供にしよう」と金子の参加を歓迎していたのです。

森も金子に会計係を任せる程でしたが、同士を迎えに行った際、外食をしたということから総括が始まりました。最後には、「子供を私物化しようとしている」という理由で暴行されてしまいます。

1972年(昭和47年)2月4日(金)、金子みちよはお腹を庇うような姿で死亡しました。享年24歳、彼女はお腹の子供と共に死亡しています。

山田孝

Wintry Weather Mood Light - Free photo on Pixabay (715118)

山田孝は京都大学出身の当時27歳で、元々赤軍派の政治局員を務めており、森よりも上の地位にいました。かつてのリーダーであった塩見孝也が逮捕された際、山田孝も逮捕されていましたがすぐに保釈され、しばらく活動を控えていたのです。

その間に妻子を設け、森たちの説得に応じ連合赤軍に入りました。後から参加したことを理由に、あえて森の下に付いていましたが、元々山田の方が地位が上だった為、森にも意見を述べたり反論することが総括の原因となっていくのです。

車の修理に山を下りていた山田が戻ると、やけにこざっぱりした姿を森が見咎め追及を始めます。森は修理を待つ間に銭湯に入ったことを告げ、更に総括を拒否した為、森の怒りが爆発しました。1972年(昭和47年)1月31日(月)から始まった総括は、雪の上で正座や食事抜きの焚き木広いから始まり、最後は暴行を受けて逆エビ反りに縛り上げられ、2月12日(土)、山田孝は死亡して最後の犠牲者となったのです。

リンチが行われた理由

Dark Art Daemon The Witch - Free photo on Pixabay (715129)

共産主義化と暴力革命という同じ目的を持ちながら、仲間内で粛正を繰り広げた連合赤軍ですが、一体何故そうなってしまったのでしょうか?

何度か触れているように、集団リンチ事件の理由は、森恒夫と永田洋子という2人の小者が、狭い空間の中で主導権をしていただけに過ぎません。

しかし、あまりにも壮絶な事件だったが故に、世の中では山岳ベース事件が起きた原因や理由について、様々な憶測が飛び交いました。ここでは、リンチが行われた理由を総合的に分析していきます。

永田洋子による嫉妬

Face Soul Head - Free image on Pixabay (715141)

遠山美枝子を始め、山岳ベース事件では女性が4名死亡しています。その総括理由が、全て「女らしさの否定」というものでした。その総括を全て煽ったのが、永田洋子だったこともあり、女性達は嫉妬によってリンチされたと言われています。

主導権を握り、男に負けたくないという女に見える永田でしたが、実はトップになるよりも、幹部の女として権力を握る№2の存在に憧れていました。誰よりも、男の意見に左右されていたのは永田であり、その地位を脅かしそうな女性達をターゲットにしていたとも言われています。実は永田洋子も、かつての幹部であった妻帯者の川島豪(かわしまつよし)にレイプされていますが、妻と別れさせ自分を妻にしろと縋っていました。

また逮捕直前、永田は共産主義化の為に森と結婚すると、事実婚相手の坂口弘に離婚を申し出ていたことからみても、彼女は幹部の女として存在したかったことが窺えます。その為、元々幹部の女だった遠山や、植垣に見初められた大槻節子、妊娠して作業量を減らされていた金子みちよなど、男性の庇護下にある女性に嫉妬していたのかもしれません。

外部の敵と戦えないもどかしさ

Fist Strength Anger - Free photo on Pixabay (715143)

赤軍派と革命左派が山に籠っていたのは、すでに警察に終われる身だったからです。その為、いくら偉そうに指導者会議をしたり、新しい組織を立ち上げてみたところで、大きな活動が出来る訳ではありません。

元々この2派は、逮捕されてしまった幹部達の救出劇の為に、銀行を襲ったり、銃器店や交番などを襲撃していたのですが、連合赤軍を結成する際、森と永田は獄中の幹部達との決別を決定したので、目的が無くなってしまったということも原因の1つと言えるでしょう。

結果、外部との敵とは言っても、誰をターゲットにして何をするかという話をする前に、気が付けば身内同士での内ゲバが始まることとなってしまうのです。どちらかと言えば、もどかしさなど無く、ただ時間と力を持て余していただけなのかもしれません。

異なる両派がまとまらない

Conflict Disagreement Discussion - Free image on Pixabay (715146)

大きな原因は、何度も触れているように森と永田の主導権争いが発端です。そもそも互いが別の組織から派生した組織でもあり、今までは幹部の下で働いていた一兵隊でしかない、森と永田に具体的な目的があった訳ではありません。

また、森と永田が合流する前は、総括で暴力を振るうことも、懲罰を喰らうことも無かったので、当初は2人に反発する構成員も多くいました。

加藤能敬(かとうよしたか)や小嶋和子のように、獄中の幹部に従うべきだという革命左派のメンバーもいたことで、赤軍派よりも人数の多い革命左派の意見をまとめ主導権を握る為、森と永田はいつしか暴力を正当化して恐怖政治を行うのです。

全員で共犯になるためのリンチ

Thieves Theft Robbery - Free photo on Pixabay (715148)

大量殺人を犯した北九州監禁事件や、尼崎事件、そしてオウム真理教の集団殺人などと共通するマインドコントロール法は、山岳ベース事件にも見受けられますが、共産主義化する為の国民分断方法の1つでもあります。

まずは家族や友人などから引き離し、情報を遮断した上で相手の悪口や欠点などを吹き込みます。また、暴力での躾や教育と称した正当化を述べながら、互いに暴力や犯罪、そして殺人、死体遺棄などに参加させ共犯者にしてしまうのです。

山岳ベース事件でも、森と永田は「真の共産主義化」の為、殴ることは「援助、救済である」という正当化を図り、全員リンチに参加させています。最初の1人が死んでしまったことで、次は自分かもしれないという恐怖心を煽り、参加させたことによって、逃げ場はもう警察以外に無いということを意識させたのでしょう。

連合赤軍のその後

Males 3D Model Isolated - Free image on Pixabay (715150)

6 / 7

関連する記事 こんな記事も人気です♪